第六百二十三夜『世界の終わりに開く箱-Pandōrā‘s pithos-』

2024/04/08「宇宙」「メトロノーム」「最速のツンデレ」ジャンルは「ホラー」


 壁面へきめんつるが這った、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内には、どことなくナイフの様な印象を覚える、詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年が居た。

 従業員の青年が今居るのは、少々埃っぽいが荒れ果てているとか汚れていると言う程でもない地下室。彼は今、地下室の掃除と在庫の整理せいりをしているところ。

「何だろうか、これ?」

 従業員の青年は壁際かべぎわの棚から荷物を取ったところ、そこには十重二十重とえはたえにテープで厳重げんじゅうに封がしてある立方体の箱があった。

 他の商品は収納箱に何かしら簡素かんそな説明であったり、メモ書きがえてある。しかしこの封じられた立方体だけにはそれがなく、まるで地下主の持ち主から忌避きひされているといった風体。

 手に取るとカチリカチリと時計かアメリカンクラッカーの様な規則的な振動を感じるが、どうにもこうにも立方体は開く様子が無い。小型爆弾こがたばくだんか何かと疑うが、それにしても立方体は小さすぎて満足な爆発を起こせる気もしない。

「捨てられている様に見えるけど、忘れられている様にも見える。これアイネさんにたずねた方が良いかも知れないな……」

 従業員の青年は分からない事を分からないままにした方はよくないと、雇用主こようぬしの判断を仰ぐ事にした。分からない事を分からないままにしておくという事は、このまま一生何も分からない事に等しい。

「アイネさん、これ、地下室で棚のすみにすっごく封がしてある箱があったんですけど、これって商品ですか? 忘れ物か何かですか?」

 従業員の青年は地下室から上がりつつ、一階に居た店主にたずねた。

「ひっ!」

 そう小さく叫び声を挙げたのは、かざり気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿ですみを垂らした様な黒髪くろかみが印象的な小間物屋の店主。

「どうしたんですか、アイネさん? そんな声を挙げて」

 従業員の青年は、吃驚仰天ビックリぎょうてんした少女の様な可愛かわいらしい声を挙げた店主の女性におどろくやら、彼女の意外な一面を見て面白がるやら、言葉使いこそ心配そうだが、声色は喜色きしょくを帯びていた。

「ええ、その箱はね……何というか、私はその箱がきらいなの。嫌だわ、絶対に目に入らない場所に置いておいたもりだったのに……」

 店主の女性の言葉に、従業員の青年は疑問を覚えた。

「えっと、目に入らない場所で所有しておかないといけないのですか? この箱って何か厄寄せでもする様な品って事ですか?」

 店主の女性は立方体を気持ちが悪い物でも見る様な目で見つつ、しかししずかに語り始めた。

「何と言うべきかしら? 私はその箱が嫌い。それより上でも下でもないの。本来なら、その箱は商品としてうちに置いておくべきなのだけど、私はその箱が嫌いだから目に入らない所に置いておいたの。それだけ、深い理由はありません」

「この箱、そんなに嫌な物なんですか? 俺は特に嫌悪感とか全く湧かないのですけど」

 従業員の青年はに落ちないといった様子だが、逆に店主の女性は立方体を憎々しげに見ている。憎悪しているというよりは、生理的嫌悪が臓腑ぞうふの底からぞわぞわと全身へと巡っているとでもいうべき態度たいどか。

「その箱はね、世界が終わったら開く箱なの」

 店主の女性はそう、短く吐き捨てる様に言った。

「世界が終わったら開く箱……それっておかしくないですか? だって世界の終わりが、例えば巨大隕石の衝突しょうとつで地球が消滅しょうめつすると仮定でもして、それでもこの箱は無事で、その時に箱が開くって事でしょう?」

「ええ、そう」

 店主の女性は再び、吐き捨てる様に言った。その箱を見たくないし、関わり合いになりたくないと言外に言っている。

「じゃあ俺がこの箱買いますよ」

「あら、いいの? でも、カナエはその箱欲しいのかしら? うちの決まりで、商品は本当に欲しい人にしか売れないのけれど」

 従業員の青年の申し出に、店主の女性は灯が点いた様に明るくなった。

「それこそ、アイネさんが箱を手離てばなしてハッピーになるってんなら、喜んで俺が買いますよ」

「分かったわ。それじゃあその箱はカナエに売ってあげるわ、お題は結構けっこうよ」


  * * *


 従業員の青年はその後、くだんの立方体を自宅に持ち帰って普段通りに生活し、何事も無く一日を終えた。

 別に件の立方体が開く様子も無く、それを所有している内に不安になって来たという事も無い。


「しかし、アイネさんは何でこの箱が嫌いなんだろう?」

 従業員の青年はベッドに横になりながら、自室の机の上に置いた件の立方体について思いを及ばせた。

 従業員の青年は、なんとなく店主の女性がうっかり地球を破壊はかいしかねない爆弾を起爆させる想像や、はたまた全人類に早急に感染して絶滅ぜつめつを促すウィルスの入ったシャーレの封をうっかり開けてしまう想像、或いは宇宙との交信機こうしんきをうっかり触ってしまって宇宙戦争が始まってしまう想像をした。

「はー、下らない」

 どれも荒唐無稽こうとうむけいだが、その一方で心配性な人間なら気に病むかも知れないギリギリの範疇はんちゅうかも知れない。従業員の青年はそう結論付けて、眠りに落ちた。


 夜が明けて、朝が来た。

 別に世界は終わってなんて居なかったし、件の箱は空いてないし、従業員の青年は特に安堵あんどする訳でもなし、当たり前に朝を迎えた。


  * * *


 壁面に蔓が這った、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内の居住スペースには、飾り気の無いシンプルな黒くてゆるやかな寝間着姿で墨を垂らした様な黒髪が印象的な店主が居た。

「ああ、まただわ……」

 店主が今居る部屋には、側面を十重二十重にテープで厳重に巻いてある立方体の箱が口を開ける様に上方にふたを開けて置いてあった。

 店主の周囲には同じように側面を十重二十重にテープで厳重で巻いてあるが、それを引き千切る様に蓋が開いてある箱が幾百も散乱していた。

「あれが無事な最後の一個……なんて事でなければ良いのけれど」

 店主の女性はうれいを帯びた顔で寝間着から着替えて、部屋を後にした。

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