第六百十八夜『夢の送信機-this man-』

2024/04/03「楽園」「機械」「希薄な流れ」ジャンルは「邪道ファンタジー」


 あるところに人付き合いの苦手な、いいとしをした独り身の男が居た。

 いや、人付き合いが苦手というのは少々語弊ごへいのある表現だ。彼は人づきあいが苦手なのではなく、妙齢みょうれいの異性と話そうとすると緊張して真っ当に話せなくなるのだ。

「俺にも、出会いとかチャンスさえとか有ればな……」

 そうは言っているが、誤りだ。出会いやチャンスがあったとしても、それをダメにしているのは当人のせいなのだから、出会いやチャンスが有れば良いというのは言い方がよろしくない。

 確かに、人間はとっかかりや切っ掛けさえ有れば、それでチャンスを物に出来るかも知れない。彼もその様なとっかかりを毎日欲していた。


 その日、男は職場しょくばの男連中と一緒になって呑んでいた。

「いや何、結婚生活なんてそんな良い物じゃないぞ? こうやって外で呑んでいる事がバレたら、カミさんになんて言われるか……」

 同僚はそう言うものの、彼からしたら嫌味にしか聞こえなかった。


 そんなこんなで夜は更けて行き、飲み会はお開きになったのだが、結局男の心は晴れずにいた。

 時間を忘れて飲んでいた筈だが、男の心はうまく晴れずにいた。しかし時間を忘れて飲んだので、外はすっかり暗くなり、おそくまでやっている店以外は灯が点っていない。これでは気晴らしにどこかの店に入るという事も出来ない。

「おや、こんなところに遅くまでやっている店があったのか」

 男の前に一店だけ、やわらかな光をたたえる、まるでホタルかランタンを連想させる様な店があった。壁面へきめんつるった、どことなく幻想的な雰囲気ふんいきがする、古風な映画かアニメで見る様な、可愛らしい店だ。

「なるほど、これは雑貨屋か何かだな? しかし、雑貨屋が遅くまでやっているというのも変な話。きっと雑貨屋を営むかたわらで飲み屋を主流でやっているタイプの店だな?」

 男はそう早合点し、店に入った。

 男の予想とは逆に、店はごく普通の小間物屋だった。喫茶店や居酒屋の様なカウンターや席は見えない。

(これはしくじったな……)

 男は自分の判断を後悔したが、その次の瞬間しゅんかんには、そんな事はどうでもよくなった。

「あら、こんばんは。いらっしゃいませ」

 店に居たのは、店主らしい飾り気の無いイブニングドレス風の衣服を着た妙齢みょうれいの女性。すみを垂らした絹の様な豊かなかみ蠱惑的こわくてきな眼差しと魅力的みりょくてきな口唇、イブニングドレスの上からでも分かる豊かな乳房とメリハリの効いた流線形りゅうせんけいの体、透き通る様な色の肩が露出ろしゅつしていて、脇など今にも見えそうだ。

「え、あ、はい、こんばんは!」

 男は素っ頓狂とんきょうな調子で声を挙げたが、女店主はれているのか特に大きな反応は示さなかった。

「お客様、あなたこのお店は初めてですよね? もしよろしければ、こちらをどうぞ」

 そう言って、女店主は男に何かを握らせた。

「え、へあっ、何ですか、これは?」

 男はドキマギしながら、手に握らされた物をマジマジと見た。それはまるで糸でんだ蜘蛛クモの巣かパラボラアンテナの様に見えた。

「それは、恋のおまじないの道具。夢の送信機そうしんきと言う代物です」

「恋のおなじない……?」

 女店主の言葉に、男はただただキョトンと呆然ぼうぜんした。だってそうであろう、いきなり初対面の女性セールスマンに恋のおまじないに使う商品を握らされたら、訳が分からないだろう。

「ええ。お客様、あなた恋に恋している様な顔をしていましたからね!」

「恋に恋……?」

「ええ! 恋をしてみたい、誰か素敵すてきな人と付き合いたい、けれども出会いが無い。そんな顔をしていましたよ?」

 そう言う女店主に対し、男は何故だか首筋を氷ででられた様な感覚に陥った。理由は分からないが、彼は自分の心臓しんぞうひど収縮しゅうしゅくしてしまった感じを覚えた。

「ええ、その通りです! でも、これは何なんですか?」

 男の質問に対し、女店主は待ってましたとばかりに目を輝かせた。

「ええ、その夢の送信機は、文字通り近隣きんりんの住人の夢に介入する物です」

「はぁ……夢に介入?」

「ええ! 夢に異性が出て来ると、その人は夢を見ている本人に恋をしているというお話はご存知かしら? 或いは、単純なザイオンス効果ね。人間は何度も顔を合わせたり、何度も交流する相手の事を好きになる傾向にあります」

 形の良いむねを張って説明する女店主に、男は話の要領を得始めた。

「なるほど! その夢の送信機を使えば、夢の中で私は女の子に印象付けが出来る。夢の中で印象付けが済んでいるという事は、現実でチャンスが増えるって事ですね?」

 女店主はもくして口角を上げ、目を細めて肯定した。

 しかし、男の心は二つに分かれていた。この女セールスマンは、確かに自分の心の状態じょうたいを言い当てた。しかしそれは人間の誰にでも当てはまりそうな言い分でもあるし、何よりそんな虫の良い商品が実現出来るのか? これはいわゆる霊感商法れいかんしょうほうという奴で、法外な値段を分捕る腹積もりではなかろうか?

 男はそう考えながら、控えめな調子で、自分は余り裕福ではないですと表現するかの様な調子で尋ねた。

「しかし夢に介入するなんてすごい商品、とてもとても……」

「ええ、その商品は試供品です。だからお代は結構けっこうです」

「えっ?」

 これはいよいよ怪しい。こっちは法外な値段を取られる覚悟だったのだが、タダと言われては調子が外れてしまう。

「え、でも、しかし」

「ごめんなさいね、そろそろお店を閉めないとなの。その商品が気に入ったなら、また今度たくさん買い物をして言って下さいな?」

 そう言うと、女店主はカウンターの表示をCLOSEDにした。男はふと店内の時計を見てみたが、もうとんでもない時間だ。こんな時間に外を歩いていたら、明日が辛くなってしまう。

 男は試供品をもらった事を小さくお礼をすると、そそくさと店を後にした。


  * * *


 壁面に蔓が這った、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。


 店内には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿で墨を垂らした様な黒髪が印象的な店主と、どことなくナイフの様な印象を覚える、詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

 従業員の青年は寝不足ねぶそくなのか、酷く気怠そうに度々あくびをしていた。

「あら大丈夫? もし辛いようだったらおくのベッドをしましょうか?」

「いえ、大丈夫です。そこまでしてくれなくても平気ですよ」

 そう口で言う物の、青年は少々気分が悪そうだ。

「本当に大丈夫? 何かあったの?」

「いえそれがですね、俺は本来見た夢の内容を覚えてない人間なんですよ。でもここの所毎日、見知らぬオッサンがフレンドリーに接してくる夢を見るんです。毎日ですよ? 毎日毎日、同じオッサンが距離感きょりかん分かってない様子で近寄って来る夢を見るんです! こんな状況誰だって嫌になるだろうし、もうそのオッサンの顔を見たら条件反射で殴ってしまいそうですよ!」

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