第六百十五夜『あなたにぴったりの時計-cinderella fit-』

2024/03/31「緑色」「メトロノーム」「ゆがんだ山田くん(レア)」ジャンルは「指定なし」


 あるところに山田という困った男が居た。

 何が困ったかと言うと、この山田という男は非常に時間にルーズなのだ。

 まず朝は毎日寝坊する、待ち合わせにはおくれる、すぐに時間を忘れて没頭する……それならまだいいが、それを口答えして言い逃れようとする。

「俺が時間に遅れたのは、良い時計が無いからだ! 俺にもピッタリの時計さえあれば朝は起きられるし、時間に遅れる筈も無い!」

 この始末である。


 ある日、山田は酒場で大いに時間を忘れて酒を呑んだ。すると辺りはすっかり暗くなり、帰る頃には町はすっかり眠ってしまっていた。

「あーくそ、調子に乗って呑み過ぎた。頭ははっきりしているが、どうにもうまく歩けん」

 山田はその様な強がりを言っているが、彼の頭はかすみがかかっている様にボヤけている。つまりは、普段通りという事になる。

「しっかし、どこの店も閉まってるなあ。おい!」

 そんな酔っ払いの独り言は誰も聞いていない。聞いていたとしても、酔っ払いが何か大声で胡乱うろんな事を言っているのは忌避きひの対象。酒に呑まれる者は避けられる。

 そんな酔っぱらった山田の前に一店だけ、やわらかな光をたたえる、まるでホタルかランタンを連想させる様な店があった。壁面へきめんつるった、どことなく幻想的な雰囲気ふんいきがする、古風な映画かアニメで見る様な、可愛らしい店だ。

「あの店だけやってるな……喫茶店か何かみたいにも見えるし、ちょいと邪魔じゃましてみるか!」

 そう言いながら、勇み足で扉を開ける山田。

「あら、こんばんは。いらっしゃいませ」

 店内には、かざり気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿ですみを垂らした様な黒髪くろかみが印象的な店主が居た。

 時刻は遅いが、店は普通に営業中の様だ。店内には様々な小物を展示したたなやテーブルがあり、山田が想像していた様なささやかな小料理屋とは全然ちがう種類の店だった。

「すみません、間違えました!」

 そう言って山田がきびすを返そうとした瞬間しゅんかん、外では稲光が走り、続いてタライをひっくり返したようなひどい雨が降り始めた。

「あら大変、良かったら雨宿りして行きませんか?」

 いや、結構けっこう。そう一言が言いづらく、山田は口をつぐんだ。大人しく店主の好意に甘える事にした。

「ありがとうございます。しかし……」

 山田は言葉に詰まった。こんな小物屋に全く興味きょうみが無く、しかし外の豪雨ごううには飛び込みたくなく、そんな状況で言葉に詰まったのもある。しかし、今の彼には言葉に詰まった理由がもう一つあった。彼の視線の先にある翡翠ひすいの意匠の腕時計うでどけい、これがどうしようもなく魅力的みりょくてきに思えた。

「あら、その腕時計が気になるの?」

 店主の女性は、山田の目線を目聡めざとく見抜く。伊達だてに店主をやっている訳では無い。

「ええ、まあ……」

「その腕時計はね、誰にでも合う時計です」

「誰にでも合う時計?」

 山田は、店主の言葉に何とも言えないの様な物を覚えた。店主の勿体ぶった言いぶりに対して、彼は何かが有ると感じ取ったのだ。

「ええ、フリーサイズでどんな人の腕にもピッタリと合う時計……というのは、その時計のオマケ。その時計は、着けるとどんな人でもピッタリと機械きかいの様になる開運グッズの様な物です」

「機械の様に、ですか」

 なるほど、それは願ったり叶ったりだ。山田は時計を腕に着けた自分がキッカリ時間通りに動いている様を想像し、増々その時計に心惹かれた。

「面白い、それを一つ下さい」

 どうせ腕時計を着けたところで、人間の性根は変わらないだろう。しかし、時間にルーズな自分の前に時間通りに動ける腕時計が現れたと言うのは、何か運命染みた物を感じてしまった。

「はい、かしこまりました」

 腕時計の値段は、店の素朴そぼくな雰囲気の外観がいかんに相応で腕時計としては安い範疇はんちゅうだった。

「はい、どうぞ。お似合いですよ」

「うむ、ありがとう。これはいい!」

 店主のセールストーク通り、腕時計は寸法やサイズの変更をせずとも山田の腕にピッタリと合った。

 気が付くと、雨はすっかり止んでいた。


(今日は何だか疲れたな。今日はとっとと寝て、明日シャワーを浴びる事にしよう)

 家に帰り、そう考えに及んで山田は布団に入った。

 しかし、体はすっかり疲れている筈なのに眠れない。そして体は何とも言えない違和感いわかんが走っている。

「何が起こっているんだ?」

 違和感の一つは、すぐに分かった。いつの間にか、ピタリと合っていた筈の件の腕時計が無くなっている。

「おいおい、さっきまで腕にピッタリジャストフィットしていたよな? 一体どこへ行ったんだ?」

 山田は腕時計を外した記憶が無い。しかしあの腕時計はすっぽ抜ける様な構造こうぞうをしていないし、まるで見ていない間に一人でに消えてしまったとしか思えない。

「……なんだ、この音は?」

 コク、刻、刻……時計が時を刻むとこが聞こえる。しかし山田の家にはデジタル時計しかなく、アナログ時計は存在しない。

「どこから聞こえているんだ、この音は……?」

 アナログ時計の姿は無いが、アナログ時計の音がどこに居ても聞こえる。まるで山田は自分の心臓しんぞうが時計になってしまった様な気分の悪さを覚えていた。

「……顔でも洗うか」

 そう考え、洗面所に向った山田はギョッとした。そこにはなんと、眼球があるべき眼窩がんかに、球体の時計が一つずつ収まった自分の姿が映っていた。

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