第六百十四夜『指・裏-promissio-』

2024/03/30「空」「犬」「正義の流れ」ジャンルは「指定なし」


 ある事務所に真沼という男が居た。彼はいわゆる堅気ではない自由業の人で、法的にはギリギリセーフだが倫理的に完全にアウトな悪辣あくらつな事をしてらしていた。

 例えば日々を退屈に過ごしている人が居れば、様々な遊びや趣味しゅみを紹介してあげて、後日借金で首が回らなくなる様ならば、格安で値打ち品や土地を買ってあげる等、そんな事を生業なりわいとしていた。

 そんな事を仕事としているので、真沼は外面は良く、それでいて相手がゴネたり物事を決めかねている時には鬼の様におっかなく怒鳴どなり、そして警察けいさつ相手には論理的ろんりてきに屁理屈をね回してすり抜ける……そんな人間だった。


 しかし、ある日真沼の人生に分岐点が訪れた。これまで彼はギリギリ合法的にやって来たのだが、その時から野望を持つ様になってしまった。

 原因は臥竜がりゅうという、杯を交わした義兄弟のちぎりをした相手。この臥竜という男、仲良く協力して喧嘩けんかせずに真沼と過ごしていたのだが、その日にたもとを分かち、臥竜はすっかり帝国主義ていこくしゅぎに染まってしまった。

 一つの土地に複数の堅気でない組があっては、何時いつかは衝突しょうとつする。シマは狭く、シノギは少なく、しがらみは多い。近所にある組と組が大きくなってしまった以上、どちらか一方が吸収されない限り抗争に発展する以外無い。堅気で無い人間がシマでくすぶっているという状況など、抗争相手が存在する以上に好ましくない。

 真沼は臥竜を襲撃しゅうげきする計画を立て、組員全員を武装させるために日本刀と拳銃を求めた。しかし危ない橋をわたる作業だ、これまで以上に警察に見つからない様に心掛けた。ヤクザ同士がつぶし合いを計画しているとなれば、やれ銃刀法違法じゅうとうほういほうだ、決闘罪けっとうざいだと、官吏かんりいぬぎつける事だろう。


 そして今、真沼は事務所で何者かに胸ぐらを掴まれていた。

 周囲には気を失っていたり、恐怖の余りふるえてちぢこまっている子分が倒れている。

 真沼の事務所はわらを束ねた人形か西洋風のカカシの様な何者かに襲われ、全滅ぜんめつしていた。藁人間は左手にハサミを乱暴らんぼうに握っており、首をでる様に斬っては倒し、斬っては倒し、今はこうして真沼の胸ぐらを掴んでいる。

 初め、真沼は変装した鉄砲玉が襲って来たと思ったが、胸ぐらを掴まれた時に、そうではない事に気が付いた。藁人間の体躯は細く、藁を身にまとった人間とは到底思えない。藁と糸で編まれた一つの人型が表情無く、筋肉も骨も無く、音も無く、彼の事務所の人間を撫で斬りにしに来ていた。

「何をする気だ!」

 真沼は怯むことなく藁人間に怒鳴どなったが、藁人間は全く意に介せず、表情の存在しない顔のまま、ハサミを真沼の手の小指にあてた。

「!!」

 真沼は指に刃物の感覚を覚え、そして小指が骨ごと斬り落とされて断面だんめんが空気に触れる触感しょっかんを覚えた。

「……ッ!」

 しかし真沼は叫び声を挙げる事も無いし、泣いたり情けを乞うたりもしない。

 それを見た藁人間は、真沼のもう片方の手の小指にもハサミをあてがった。

「……ッ!!」

 再び手の小指が切断される感覚を覚え、真沼は顔を苦痛にゆがめた。しかし、それでも彼は泣き言を言わない。事実、彼は官吏の狗も、敵対てきたいする組員も、恨みで逆襲しようとする一般人も全く恐れていなかった。

 しかし、今真沼の目の前に居るのは正体不明で物理法則を無視する異形の存在だ。訳の分からぬ存在を恐ろしく思いつつも、真沼は泣き言一つ言わずにいた。そして、彼はある事に気が付いた。

(指が、斬られた筈の指がある?)

 先程確かに怪物に斬り落とされた小指が、彼の手には正常にあった。超スピードで生えて来たという訳でも無し、先程ハサミで斬り落とされたのは一種の幻痛の様な物だろう。

 真沼がそう理解した瞬間しゅんかん、怪物は三度彼の手の小指にハサミをあてがった。

「……ッ!」

 この時、真沼はこの怪物が行動を理解した。今、彼の事務所には首を斬られた子分達が倒れているが、これは首を斬られたと思い込んで痛みで気を失っているのだろう。つまり、この怪物は痛みで気を失うまで拷問ごうもんをする事を目的にしているのだと、彼は判じた。

「お前、一体何者だ?」

 小指を斬り落とされる痛みに耐えつつ、真沼は怪物をにらみながら訪ねた。すると、意外な事に怪物は一種の返答を見せた。

「お、お前は……!」

 藁人間の顔を形成する部分が左右に開き、そこには臥竜の顔があった。いや、藁人形の顔の芯には臥竜の顔をマネして作った藁製わらせいのマスクがあった。

 臥竜の顔をした藁人間は寂寥せきりょうの表情を帯びたかと思うと、四度真沼の小指にハサミをあてがった。

「ぐ、ぐああああっ!!」

 真沼は、怪物が臥竜の顔をした事に因る動揺どうようもあり、その時初めて痛みで声を挙げた。怪物が臥竜の寂しそうな顔をした事に対し、明確に精神的せいしんてき損傷そんしょうを受けたと言える。

 今から襲撃する予定の、かつて契りを交わし、親友でもある義兄弟が寂しそうな顔を浮かべたせいもあり、真沼は痛みの余り、気を失ってしまった。


 藁人間は事務所の人間が皆、子分達は首への幻痛で、親分は小指への幻痛で十分に痛みつけられた事を見て、満足まんぞくした。

 満足した藁人間は臥竜の顔を、顔を形成する藁の中にしまい、元ののっぺらぼうに戻ると歩いて事務所から退出した。

 その足取りは軽く、一仕事終えた後の様であり、鼻歌はなうた交じりで、ひど機嫌きげんがよく見えた。或いは、その足取りは怪物が次の獲物えものの場所へと嬉々ききとして向っている様にも見える。

『指、きり、げんまん、うそついたら、指つめる、指斬った……』

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