第六百十二夜『普遍的ヒーロー像-messiah-』

2024/03/28「昼」「プロポーズ」「いてつく才能」ジャンルは「悲恋」


 昔、ある所にまん丸い顔のおじさんが居た。

 丸い顔のおじさんは徒歩で人を訪ね、空腹の人を見つけると持っていたアンパンをその人に渡した。

「これを食べなさい」

 これには空腹の人はおどろいて目をいた。

 まず第一に、彼は空腹の余り元気が出ないし、良い考えも浮かばない、お腹は減る一方で心まで貧しくなってしまっていた。そうなると何か略奪りゃくだつでもはたらいて金銭や食べ物をまかなおうと悪い考えが浮かんでしまう。そんなところにパンを恵んでくれる人が居たのだ、空腹の人は涙を流して喜んだ。

 そして第二に、自分にアンパンを恵んでくれたのはただのおじさんだった事。政府の役人だの国の兵隊が事業でやっている炊き出しだののたぐいでなく、ただの一個人が自分なんかをかえりみた事が信じられなかった。

「ありがとうございます! なんとお礼をすればいいか……」

 空腹の人は心が急激きゅうげきあたたかくなるのを感じ、本心から感謝かんしゃの言葉を口にした。

 しかし、丸い顔のおじさんは大した事をした様子はなく、そして何かを要求する様子も強く見せない。

「もしもあなたがんでいる時、空腹の人を見かけたら同じ事をしてあげなさい」

 丸い顔のおじさんはそれだけ言うと、別の空腹の人を探すために徒歩でその場を去って行った。


 その後も、丸い顔のおじさんは昼も夜も時間がある時は、その様な慈善じぜん活動かつどうをしていた。

 しかし、この行ないに意見をする人達が居た。スーパーヒーローの組合だ。

 無論、慈善活動をする人間を見てバカにするスーパーヒーローなんて居る筈がない。しかし、スーパーヒーローとはいつでも苦難くなんに直面し続けている人種であり、常在じょうざい戦場せんじょう心的外傷トラウマの持ち主が普通なのだ。

「あの様なパンを配るだけのおじさん、もしも略奪者に狙われたら終わりではないか?」

「うむ、力無き正義せいぎは無力。無力と言う事は、慈善活動は失敗してしまって出来ない事と同じ!」

「あれだけ高潔こうけつな行ないだというのに、それは忍びない……」

 そう額を寄せたスーパーヒーロー達は、丸い顔のおじさんに名刺を渡してスーパーヒーローの一員になる様勧めた。こうすれば慈善活動を一緒に出来るし、悪者に狙われても撃退げきたい出来るという寸法だ。

 しかし、丸い顔のおじさんは首を縦に振らない。

「いいんですよ、ぼくは僕が出来る事をしているだけです。それに、あなたがたの救助や活躍かつやくの妨げになってはいけませんからね」

 これは丸い顔のおじさんにとって、本心からの発言だった。別に自分が武力を持ったり所属しょぞくをしたら、自分が変質してしまうにちがいないと思った訳でも無い。

 彼は彼の意志で慈善活動をしているし、他者の慈善活動の妨げになってはいけない。この考えに、スーパーヒーロー達はすごすごと退いた。今この瞬間しゅんかんも誰かが助けを求めているかもしれないし、自分達がやっている事と同じ事を誰かに口出しするのは恥ずべき行為だろう。

 こうして、丸い顔のおじさんは今日も一人で空腹の人にアンパンを配りに行った。


 恐れている事が起こった。丸い顔のおじさんが何者かにおそわれて死んだ。

 恐らく私怨による殺人ではないだろう。彼が持っているアンパンを狙っての殺人だと思われるが、犯人が逮捕されていない今は、何もかもが推測するしか出来ない。


  * * *


 それから二千年の時が過ぎた。

「我が君の肉体は粒あんに決まっている! こしあんなんてふざけた者をかかげるは根絶やしにしろ!」

「何をふざけた事を言う! 我が君はにも、にも恩寵おんちょうを与えて下さる事が何故わからん? 貴様らの様な分からず屋、にも、にも居場所は無い、死んでしまえ!」

 その様な事を言い合い、戦争を行っている国があった。両国は共に、丸い顔のおじさんの行いを国民に教え、模範もはんとし、道徳とし、思想の土台としていた。

 しかし、何故だか丸い顔のおじさんの与えるアンパンの中身が粒あんかこしあんかで意見が割れたのだ。それからというもの、粒あん派の国とこしあん派の国とで戦争が延々と起こっている。

 戦争は近代化すればするほど金がいたずらにかかる物だが、戦争をずっとしていると言う事は、国民が飢餓きがに苦しむと言う事に等しい。

 しかし両国のトップはその様な事は気にしない。『信仰とは、思想とは飢餓よりもとおといのだ、粒あんをこしあんとのたまう様な魂の侮辱ぶじょくは神様だって目をつむって下さる!』そんな態度たいどで、国民が飢えている事などどこ吹く風。

 皮肉にも、今現在丸い顔のおじさんが今も存在したならば、当時よりも活躍かつやくしそうな有様であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る