第六百七夜『お変わりありませんか?-sorry-』

2024/03/22「海」「鷹」「壊れた可能性」ジャンルは「王道ファンタジー」


 壁面へきめんつるが這った、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿で墨を垂らした様な黒髪が印象的な店主と、どことなくナイフの様な印象を覚える、詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

 従業員の青年は丁度たなの整理をしていたところ。棚には商品名を記したプレートが施してあり、彼はそれを確認しながら補充や商品の入れ替えをするのが当面の彼の役目。

 棚に並んでいるのは『魔除まよけのポプリ』『ささやかな願いが叶う日記』『時間がゆっくりに感じられる砂時計』……しかしその棚には、一つだけ彼に理解出来ない商品名が並んでいた。

「アイネさん、この『変わらないレターセット』……って在庫ありますか?」

「ああ、それは今はもう取り扱ってないの。だからプレートを外しちゃってくださる? 何か別の商品を置く事にしましょう」

 店主の女性は、何を空いてしまったスペースに置くか軽く思案する。しかしその一方で、従業員の青年は売れてしまった『変わらないレターセット』が気がかりだった。

「あの、アイネさん。『変わらないレターセット』って何ですか?」

 従業員の青年の言葉に対し、店主の女性はパッと表情を明るくした。

「あら、カナエも気になるの?」

「俺?」

 疑問を口にする従業員の青年とは逆に、店主の女性は楽しそうにクスクス笑いをらした。

「ええ、これはこの間それをお求めしてくれたお客さんの話なのだけれど……」


  * * *


「『変わらないレターセット』って、どういう意味ですか?」

 店内に居るのは、女学生とおぼしき客と女店主。女性客の手には太陽や茄子や富士山が描かれたポストカードが見て取れ、厚みからして十二枚一組のポストカードだと分かった。

「ええ、それは文字通り『変わりありません』と書くためのレターセットです。いわば厄除けのレターセットと言い換えてもいいかも知れません」

 女店主の言葉は、大半の人は意味が分からなかったかも知れない。しかし、彼女はその説明を聞いて商品の全貌ぜんぼうを理解した。

 何故かと言うと、女性客は『変わりありません』と手紙に書けない立場であった。端的たんてきに言うと、彼女は忌引き中だった。彼女の父は漁師だったが、海難かいなん事故じこで帰らぬ人となってしまっていた。

「これ、本当に効果があるんですか?」

 女性客はおずおずと質問をした。出来る事なら親族を二度と失いたくないという考えと、いい加減かげんな冗談やインチキ商売をするなら許してはおけぬという考えとが入り交ざった感情かんじょうだ。

「このレターセットを購入こうにゅうしたお客様からクレームのたぐいはいただいた事がありません」

 女店主は胸を張って自信満々に言ってのけた。その調子たるや、女性客はそんなに自信満々ならば買ってみようかという気分にすらなった。

 無論、女性客はこれがあれば身内が亡くなる等とは露程つゆほども信じてはいない。しかし、女店主の態度たいどには何とも口では表現しがたい爽やかな魅力みりょくを感じていた。

「分かりました、この『変わらないレターセット』を下さい」


  * * *


「それからどうなったんです?」

 従業員の青年は興味半分、恐れ半分で店主の女性に尋ねた。

 何せこの店にある商品は全てワケ有りの曰くつき、女店主のセールストークには文字通りうそいつわりが無い。彼女が『変わらないレターセット』と言えば、それは正真正銘『変わらないレターセット』なのだ。

 問題は、従業員の青年には『変わらないレターセット』がどういう物か分からない事。彼の脳裏のうりでは何が何だかまるで想像が出来ない。

「何も無いわ」

「何も無いんですか?」

 女店主はさも当り前、常識じょうしきちゅうの常識、プライマリー小学生レベルの問題だよ、ワトソン君。とでも言いたげな様子で言った。

「ええ。あのレターセットを買っていったって事は、あの人の身には本当に何も無いわ。身内が亡くなる事は勿論無いし、従ってうちにクレームが来る事も無いわ。それから進学する事も卒業する事も無くなるし、就職しゅうしょくする事も引っしする事も無いでしょうし、結婚する事も子供を設ける事も無くなるでしょうね。勿論、本人が亡くなる事も……」

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