第五百九十六夜『健康的で、味も大変よろしい食事-Sujātā-』

2024/03/07「入学式」「冷蔵庫」「嫌なヒロイン」ジャンルは「指定なし」


「すまない。今日同僚どうりょうと食べて来る事になったから、俺の分の夕飯は要らない」

 俺は出かけ際に妻にそう伝えて出かけた。

 うそだ。いや、別に嘘は言っていない。浮気だの不倫だのをする方便と言う訳ではなく、俺は妻の作る料理がどうしようもなくきらいなのだ。

 妻はいわゆる典型的なメシマズ妻で、味見と言う概念がいねんを知らず、提供する相手の気持ちをつゆらず、その味覚は人類の範疇はんちゅうに収まらず、その実力は壊滅的かいめつてき……なんて事は全然全くなく、むしろ腕は良く、俺の事を考えて調理してくれて、味覚も宇宙人のソレなんて事は無い。食べたら健康を崩すどころか、食べ続けたら健康体になる料理だと断言出来よう。

(ただ、味がしないんだよな……それから食感も悪い……)

 妻は料理が上手い部類だと思う。それに知識ちしきも真っ当にあり、栄養学も人並み以上に修めている。ただ、俺に提供する料理は健康の事を第一に考え、それ以外は何も考えていない。

 肉が食べたいと言えばとりのササミのソテーを作ってくれるが、これが脂身皆無のボソボソ食感、しかも味付けはわずかな塩とコショウのみ! まるで軽量級けいりょうきゅうのスポーツ選手せんしゅの食い物だ。

「あなたには長生きして欲しいから、腕を振るって健康に良い献立にしました!」

 そう言って出て来る副菜や汁物もひどい物。副菜の野菜の煮物は全然塩分が感じられないし、調理酒なんて勿論使っていない。まし汁の様な物が出たと思ったら、塩分カットの名目の元に作られた味噌汁みそしる。デザートを要求したら、糖分とうぶんの摂りすぎは皮下脂肪のリスクがあるからと、何もかかっていない豆腐とうふを出す始末! これでは、可能な限り妻の料理から逃れたいと言うのもご理解いただけるかと思う。

 そもそも、俺の好物は脂身たっぷりのポークソテー、しょっぱいチーズとケチャップがたっぷりのハンバーガー、小麦たっぷりのルーで作った欧風カレー、炭水化物ジャガイモ炭水化物パン粉で包んで炭水化物パンで挟んだコロッケパンに焼きそばパン、塩味の強い各種漬物……あんな献立を毎日三色食べていたら、健康になるどころかストレスで胃が爆発ばくはつしてしまう!

(考えてみるとアレだな、アレは料理と言うより給食に近いんだ……)

 小学校の時に食べた給食、アレは本当にマズかった。うちの給食はお世辞にも美味しいとは言えず、何というか健康面は考えているものの、それ以外は子供心ながらやっつけ作業に感じられた。

 思えば、俺がハンバーガーが好物になったのは、クソ不味い給食が一因にあるのかも知れない。それくらい俺はハンバーガーが好物で、ハンバーガーショップがいこいの場なのだ。


「すまない、お前。そして、いただきます」

 そう小さく口にして、ハンバーガーショップでチキンサンドイッチを頬張ほおばる。

「美味いな、こんな美味いものはこの世にそうそう無い」

 バンズの中の揚げ鶏に噛みつくと、肉と揚げ物の油が口内に広がり、塩分の効いたチーズが自己主張をしつつも瑞々みずみずしいレタスと協力して揚げ鶏を更に輝かせている。塩分が有り、油分が有り、炭水化物が有る。俺の生活に無い物全てが、このハンバーガーショップにはある。

 その時の事だった。レジの方から叫び声が挙がる、別にハンバーガーショップにありがちな子供の猿叫えんきょうではなく、店員の叫び声だ。

「動くな! 俺達は強盗だ! 大人しく金目の物をこのバッグに入れるんだ!」

 ハンバーガー強盗、実在したのか! そう言えばこの間ハンバーガーショップが強盗におそわれて現金を強奪ごうだつされたニュースを聞いた覚えがある。

 こういう時は強盗に気付かれないように離脱りだつしたり、通報するに限る。俺は強盗に気付かれないように客席からこっそりと外へと脱出を試みた。

「おい、そこの男! あやしいマネをするな!」

 後ろからそう声がしたかと思うと、射出音の様な音がひびき、俺はびょうか何かが身体に刺さるのを感じた。

「痛っ!?」

 その次の瞬間しゅんかん、俺の全身に痛みが走った。

(ぐああああああああああっ!)

 そう叫び声を挙げそうになったが、声が口から出ない。いや、舌が全く動かない。俺が全身の激痛げきつうで立ってられず、意識いしきもあやふやになって倒れた。倒れた事は分かるがどこが床でどこが天井か分からないし、目の前の光景も分からない。

「お前ら全員妙なマネをするなよ、その男みたいに改造テーゼー銃の餌食えじきになりたいのか? 人質にする都合、殺しこそしないがキチンと気絶する出力にしてあるから後遺症こういしょうが残るかも分からんぞ!」


  * * *


 俺が目を覚ますと、後ろ手にしばられた状態じょうたいで、外にはパトカーのサイレンが聞こえていた。まさか自分が刑事ドラマで見る様な、捕り物の一員になるとは思っていなかった。

 自分が強盗に捕まってどれくらい時間が経ったかは分からないが、床に面した身体が痛む、ほんの十数分倒れていただけではこうはならない。

「くそ、腹ペコだ。そう言えば、昼飯のハンバーガーは一口食べただけだったな……」

 身体をよじらせて外を確認すると、空はすっかり暗くなっていた。そりゃあ腹もる訳だ。

 しかし、どうも店内の様子がおかしい。人々はしばられているが、件の強盗達の姿が見えない。

「大丈夫ですか、みなさん!」

 そう言って機動隊きどうたいおぼしき人達がハンバーガーショップに入って来た。

「犯人は無事、全員捕まりました。人質にされた人達も全員無事です」


 機動隊の人達曰く、ハンバーガー強盗はいつぞやのニュースと同一人物であり、それを受けて防犯を強化していたこのハンバーガーショップからの通報は速やかに届き、犯人は包囲されて逃げる事が出来なくなってひたすら籠城ろうじょうするしかなくなり、結果として逃げる事叶わず御用ごようとなったらしい。

 俺は機動隊の人達に保護ほごされ、話を聞かされれていた。

「いや、すみません。そんな事より俺は腹ペコで……何か食べるものはありませんか?」

 俺が泣き出しそうになりながら、そう口に出した。

「居た! あなた、大丈夫!?」

 誰であろう、妻がその場に駆け付けた。

「え?いや、その俺は……」

「大丈夫? 酷い事されなかった? 立てこもり事件の防犯カメラにあなたが映っていて、報道が言うには何とか銃でたれたとかって、もう私は死んじゃうかと!」

 にぎつぶした新聞紙しんぶんしの様にグシャグシャの顔になりながら泣く妻を、俺は黙って抱きしめてなだめた。

「大丈夫だ、俺は何とも無い」

 その時、情け無い事に俺の腹の虫がいた。我ながら格好がつかないが、生理現象なのだから仕方が無い。

「あっ、あなたお腹ペコペコでしょう? こんな事も有ろうかと。お弁当用意しといたの!」

 そう言うと妻は、パッと灯りがいた様に顔を明るくし、弁当箱と水筒すいとうを取り出した。さすが俺の妻、料理の味以外は完璧かんぺきだ。

(ま、まあ妻の味のしない料理でも、すきっ腹に詰め込めるだけマシか……)

 俺は全力でうれしそうに見える様、愛想笑いを浮かべて弁当に預かった。

「ありがとう、いただきます」

 弁当箱の中身は、俺の記憶に悪い意味で焼き付いているおにぎりとチキンソテーとブロッコリー、そして水筒入りの味のしない味噌汁。おにぎりは最低限の塩味がついているからマシだが、チキンもブロッコリーも味らしい味が無いし、食感も最悪で軽度のトラウマと言えるかも知れない。

 しかし、妻が目の前に居る都合逃げられない。俺は観念して弁当に手を付ける。

「!?」

 美味い。

 味がする、美味しい、味が全然くない筈なのに美味しく感じる!

「美味い! こんな美味い料理を食べたのは初めてだ!」

「あら、そんなに美味しかった?」

「ああ、美味い! こんなに美味い料理なら毎日でも食べたいよ!」

「ふふ、そこまで言うなら仕方ない。私が寄りに腕をかけて作ります」

 妻は見た事の無い様な笑顔で、胸を張って俺に答えた。

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