第五百八十九夜『こんばんは地獄の会社員-Saintly-』

2024/02/28「過去」「釣り」「最高の流れ」ジャンルは「王道ファンタジー」


 場末の居酒屋のカウンターで溜息をついているビジネスマン風の人物が居た。

 彼は仕事で鬱憤うっぷんが溜まっており、しかしその業務内容自体には納得しており、出るところに出るなんて事も出来ずに塞ぎ込んでいた。

 ビジネスマン風の人物はあなたに気が付くと、一転表情を明るくして話しかけて来た。

「おや、そこのあなた! 少々よろしいですか? 私ある商会につとめている者なのですが、少々お時間よろしいでしょうか? いえいえ、そこまで時間は取らせません。何より、あなたにとっても良い話ですから!」

 ビジネスマン風の男はあなたに対してと、有無を言わさない様子で詰め寄る。その様子たるや、押し売りにしか見えない。

「実は私、マーク商会に勤める魂のバイヤー。いわゆる悪魔あくまと言う奴です」

 ビジネスマン風の男改め、自称悪魔はそう酔っ払いの戯言たわごとの様な事を言い出した。しかし自称悪魔は酒をちびちびと呑んではいるものの、顔は地獄じごくの悪魔の様に赤かったりはしなかった。

「あなたにも悪い話ではないと思いますよ? 私と契約をしてくれたら何でも私共に融資ゆうし出来る事なら差し上げます!」

 自称悪魔はそう言うと、カバンから色々と資料を取り出した。先程まで酒を呑んでいたとは思えない、機敏きびんかつ正確な動きだ。

「さあさあさあ、契約書をキチンとお読みください! 何せ最近では、地獄もダーティーな契約では魂が取れなくて……」

 自称悪魔はあなたとの契約が取れそうにないと感じ取ると、即座にビジネスマン風の仕草から先程の酒飲みの仕草に同行を切り替えた。今や彼は仕事の愚痴ぐちを他人に聞かせる気満々まんまん、厄介な酔っ払いそのもの。

「地獄のプレジデンテの言う事には、期日までに可能な限り人間の魂を取って来いとの事なのですが、これがライバルのせいで中々上手くいかない! あなた、今ライバルと言うと別の悪魔の事だと思いましたね?」

 最早自称悪魔は聞いても無い話を垂れ流し始めた。恐らく酒が回り切っているなら、相手が人間でなくとも話しそうにすら感じられた。

「私共のライバルと言うのはですね、天界の連中なんです。神仏であったり聖人であったり天使であったり……あいつらは魂のバイヤーにとって本当に汚くて卑怯ひきょうな横紙破りの畜生なのです!」

 あなたは自称悪魔の言葉に少々関心を抱いたかも知れない。しかしこの様な酔っ払いの言葉に真剣に耳を傾けるのもどうかと思い、話半分に耳を向ける。

「ソドムの話はご存知ですか? いえ、不道徳でほろんだ話ではございません。ソドムにまだ善人が居た時の話、天界の連中は一人でも善人が居るならば許容きょよう範囲はんいだと抜かしておりました。これだけなら私共の仕事には何の支障もございません。問題はここから、私共が取って来た魂を奴ら「その人は不道徳を尽くしたが、生きている時に一人を助けたから天の国の管轄かんかつだ」抜かし、折角取った魂を横からうばい取りやがりました! 天使だ神だと言いますが、その実汚い泥棒どろぼうです!」

 自称悪魔はそう嗚咽おえつ混じりの訴えを言い終えると、ぐいと手元の酒を呷った。それこそ戦争になりかねないトンでも無い事を言っているが、ここは居酒屋、周囲の客は誰も自称悪魔の話には気が付かない。

「神と天使もムカつきますが、これはまだマシ。私としてはあのシッダルタ一派こそ最大最悪の巨悪ですね! 釈迦しゃかが地獄に蜘蛛くもの糸を垂らす話はご存知ですね? そう、生前ちょっとした善行を少しでもした悪人が居たら地獄から脱出させてやろうって話です。アレね、釈迦がたまたま気まぐれでやった様に言われてますが、それは大間おおまちがい以外の何ものでも無い! 千手観音せんしゅかんのんって仏が居るでしょう? 仏門には手が沢山ある連中が少なからず居ますが、連中はその手一本一本で地獄から魂を釣り上げやがるのです! その事に文句を言ったら「然り、我々の手が多いのは迷える多くの民衆の手を取る為。そして助けを求める民衆の手を取って救い出す為」と開き直る! 全く『地獄に仏』と地上では言いますが、地獄では契約違反と言う意味の言い回しになりますね」

 自称悪魔は仕事の愚痴を言うにあたって饒舌じょうぜつのピークと言った様子で、酒を煽りながら語るものだからもう完全に出来上がってしまっている。

「そもそも悪魔と言うのは古来から契約に忠実なんですよ。それを天界の連中は契約違反みたいなマネばかりしますからね……冗句で地獄は弁護士べんごしで一杯だと言いますが、その実、連中は誰かに感謝かんしゃされているので地獄に来る事は滅多にありません。何せ九十九の悪行を隠蔽いんぺいだの擁護ようごだのしようが、一つ善い事をすれば天界の管轄になるのだから!」

 自称悪魔はそう言い終わると、仕事の鬱憤が晴れたのか静かになった。酒を呷る様子もなく、残った酒をちびちびと舐める様なペースで飲み始める。

「あなた、私の話が、私がこの様な話を持ち掛けた話が気になっていますね? 口をっぱくして言った様に、誰かに一つ善行をすれば魂は天国に行ってしまうのですよ」


「あなたの様に、生まれてこの方誰一人にも人助けをしていない人間を見て、嬉しくなりましてね!」

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