第五百八十八夜『結婚式の泥棒さん-It’s our business !-』

2024/02/27「楽園」「コーヒーカップ」「壊れた時の流れ」ジャンルは「悲恋」


「それでは新婦の入場です!」

 教会で結婚式が執り行われていた。新婦はバージンロードを歩いてはいるが、その気分はどんよりと憂鬱ゆううつの色そのもの。

 別にマリッジブルーと言う訳では無い、彼女の結婚は事情によるもの。意中の相手は居るものの、結婚相手は事情で選ばれた次第となる。いわゆる財産や権力による婚姻だ。

 別に愛が無い結婚でも、幸福な結婚も有ると言う意見もあるかも知れない。しかし、意中の相手が居てとなると、そうも行かぬ。

 新婦は一歩一歩足が鉛の様に感じながら、重い足を上げて歩いた。子供の様にだだをこねてご破算にしたら、どれだけ気分が良いだろう? そう考えもしたが、この結婚にたずさわった人達の迷惑にもなるし、そんな事は出来ない。そう考えつつも、彼女はバージンロードを歩き切ってしまった。

「それではちかいのキスを」

 神父は滔々とうとうと進行を行ない、そしていざ新郎新婦がキスをすると言う段階。その時であった。

「その結婚ちょっと待った!」

「!?」

 式場の扉を豪快ごうかいに開け、その場で大音声だいおんじょうの宣言をしたのは、紛れもない意中の彼だった。

「来てくれたの……?」

 新婦はおどろくやら、嬉しいやら、胸中きょうちゅうはもう様々な感情でぐちゃぐちゃだった。しかし、更に信じられない事が起こった。

「花嫁泥棒だ!」

「怖い!」

「誰か助けてー!」

 そう次々に声を挙げて、恐怖を伝播させる大勢参列者達。しかし、肝心の花嫁泥棒は単身で丸腰の様に見える。少なくとも目に見えて大勢おおぜいで押し寄せた訳でも、銃器や刀剣類で武装している様にも見えない。しかし、参列者達はパニック状態じょうたいに陥り、そしてパニック状態がパニック状態を呼び寄せている様に見える。

「皆さん落ち着いて下さい!」

 警備けいびの方も居たが、肝心の花嫁泥棒を取り押さえる訳でもなし、パニック状態の参列者をなだめるのに精いっぱいだ。

「おい、お前ら! ……じゃなかった、参列者の皆さん落ち着いて下さい! 私の方へ寄らないで下さい!」

 結果、参列者達はまるでスタンピード状態。と新郎の傍に人の波になって近寄り、ちょっとした渋滞になっていた。

「もう大丈夫だ、行こう。」

 こうして新婦が周囲の状況に驚いている間に、花嫁泥棒は新婦の元にけ寄って手を取った。全てがわずか時間の出来事で、うその様に万事が上手く運んだ。

「う、うん!」

 新婦はこの嘘のような状況を飲み込めずにいたと言う訳では無い、余りに嬉しい事と嘘の様な事が起こった為、これは奇跡だと思った。

 花嫁泥棒と新婦は式場を走り去り、披露宴ひろうえんを執り行う予定だったパーティー会場を横目に駆け抜けた。豪勢ごうせいなご馳走や引き出物の数々が視界にチラッと映ったが、彼女にとってそんな事はどうでもよかった。料理やお酒やプレゼントを用意した人の気持ちなぞ知った事か、それより望まぬ結婚式をご破算にするのが優先ゆうせんだ。

「誰か! 泥棒を捕まえろ!」

 背後では、新郎が花嫁泥棒に対してであろう怒号を挙げている。どうやら人の波が自分の方に押し寄せて身動きが取れない様だ。そして、警備員も参列者がパニックで駆けたりケガをしかねない状態なせいで捕り物が出来ないでいる様だ。

「旦那、早くこちらへ! 早く!」

 そう声を挙げるのは、披露宴会場に居た正装姿の男性。彼は二人のすぐ後ろに張り付く形で先導せんどうならぬ後導を行ない、披露宴のすぐとなりに位置する準備万端じゅんびばんたんのヘリコプターに誘導した。

「ありがとうございます、なんとお礼を言ったら……」

「早く!ヘリに乗られて! 早く!」

 花嫁泥棒が悠長にお礼を言っている様に感じられたのだろう、正装姿の男は二人を急かす様に怒鳴ってヘリコプターに乗る様促した。その形相たるや、はたから見たら泥棒を威嚇いかくする様に怒鳴っている様にすら見える。

 二人は大人しく正装姿の男の言う事に従い、ヘリコプターの後部座席に乗った。運転席には別のドライバーが居り、二人の着席を今か今かと待っていた。

「よし、これから国境を超えますよ」

 準備万端だったヘリコプターは二人が着席して扉が閉まった事を確認するや否や、早急に飛び立った。新郎や警備員の姿は未だ見えない、今もまだ式場で挌闘中かくとうちゅうなのだろう。

「ありがとうございます。なんとお礼を言ったら……」

「私からもお礼を言わせてください、彼の力になって本当にありがとうございました」

 今度こそお礼を言う二人。お礼を言われたドライバーは運転に集中している様で、顔を見せないで後頭部で返事をする。

「なあに、こちらもビジネスですからね。それより、これからの生活は幸福かも知れませんが決して険しくない物ではないでしょう。あなた方の将来が、幸多い物である事を祈ります」

「そんな、いえ、本当にありがとうございます」

「確かに私はあなた方に依頼をしましたが、あれは本当に俺達にとっては救いの手でした。本当にありがとうございます」

 そう言われるも、運転手は照れる訳でも無し、少々にやけた口をするだけで大きく感情を見せない。

「いえいえ、繰り返しますが、これは我々のビジネスですからね」


 その頃、地上では正装をした男が空を見上げていた。

 今頃教会は更に混乱状態を極めているだろう。そして正装をした男が、花嫁泥棒は証言したら、更に怒り狂う事だろう。

 何せ新郎はこの結婚式を大勢に告知して、結果としてあのザマだったのだ。

 警備がうすくて花嫁を強奪ごうだつされたと喧伝されるのは業腹だろうし、花嫁側に婚約破棄に相当する様な不誠実が有ったと吹聴する事になるだろう。しかしそれには目撃者もくげきしゃが余りにも多く、口止め料を参列者や関係者に払う必要も出て来るかも知れない。

 そうなると、正装をした男が盗難保険とうなんほけんをかけていたヘリコプターを花嫁泥棒に盗まれたと保険会社に届ける事も口止めしないといけなくなり、新郎は保険金を上回る額を払わねばなるまい。泣きっ面にハチとはまさにこの事。

 正装をした男がそう考えていると、ようやく警備員や新郎がこの場にようやく駆けて来た。花嫁泥棒はとっくのうに疾く逃げおおせたと言うのに、ご苦労な事である。

「旦那、花嫁泥棒が! ヘリコプターに乗られて! 私のヘリコプターに盗んだ花嫁を詰め込んでどこかに逃げました!」

 正装の男はそう、悲惨さをにじませた声色でしぼりだした様な声色で言った。あくまで彼は被害者であって、共犯者ではないのだ。そう言う事になっている。

 ところで、教会と披露宴会場とこの空き地とには最低限の防犯カメラが設置されている。即ち、花嫁泥棒と正装の男の行なった事は確認すれば分かる。

 カメラには正装の男が花嫁泥棒を追いかける様に走る様、怒鳴っている様子、おど糾弾きゅうだんする様な仕草がカメラに捉えられている事となる。よもや防犯カメラが精密せいみつに音声を拾っているとは思えぬが、仮に音声が拾われていたとしても、正装の男の声は全て新郎に対して説明を行なう物。花嫁泥棒の仲間と思われる事は万に一つもあるまい。

 これには新郎は怒髪天どはつてん、警備員は呆然、遅れて登場した参列者達はとどよめいた。

 まるでその様子は「自分にも分け前……じゃなかった、御祝儀ごしゅうぎ代わりの口止め料を寄越よこせ」と、一つの生物が言っている様だった。

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