第五百八十七夜『明日の今頃の話-Aether Vial-』

2024/02/25「北」「矛盾」「人工の才能」ジャンルは「学園モノ」


 真っ赤な夕焼け色の空、窓から寒い風が入って来た。不快感は無く、むしろ心地良い。

 僕は今、友人らと教室で下らない事を話して過ごしている。時間はもう大分おそいが、知った物か。この楽しい時間こそ大切だ。とにかく、今の僕は家に帰りたくない。

「なあなあ、世界五分前仮説って知ってる?」

「何だそりゃ?」

「僕も知らない言葉だ」

 疑問を示した僕達に対して、彼は滔々とうとうと続けた。

「今ある世界は、今から五分前に記憶や年齢ねんれいもひっくるめて作られた物だって考え方らしいよ。今から五分より前には何も無くて、今ある記憶は全て夢だって思考実験」

「ふーん」

 よく分からない話だ。何と言うか、想像が上手く出来ない。突如五分前に今の自分がポンと発生したとしても、そんな訳があるかとしか言いようがない。

「うわ、もうこんな時間! 俺は先に帰るわ」

 僕と一緒になって高説を聞いていた友人は教室の時計を見て、ギョッとした声を挙げた。

「了解、それじゃあまた明日」

「また明日―」

 教室には僕と、高説を垂れていた方の友人とだけになった。

「しかし夕焼けってのは何か人間を家に帰らないとって気分にさせる何かがあるのかね?」

「どうした? また妙な事を言って」

 僕は別に夕焼けにそんな感想を抱かない。人間には家に帰りたい気分と、そうじゃない気分が有るのであって、それ以外の何でもないんじゃなかろうか? 少なくとも、僕は夕焼けを見ても家に帰りたい気分にはならない。

「いや何、暗くなる前に帰りたくないな―とか、その程度の話でもいいさ」

「そんなもんか」

 しかし僕にはそう言う帰るべきだとか、戻らないといけないと言う実感が無い。人間や人生はなるように出来ているとでも言うべきか、とにかく他人とそこまで感性がちがうつもりも無いが、考え方は少々違う気はしないでもない。

「そろそろ良い頃合いかな? 学食の安くなった炒飯でも買いに行こうぜ」

「おっ、いいね」

 そんなくだらない事をしたり言ったりして、夕方の学校の時間は流れて行った。どうせ部活動をしている連中はもっと遅くまで学校に居るんだ、その時刻まで学校をぶらついて何か問題が有るのだろうか?

 何というか、今の僕はこう、心に損傷を抱えていると言うか、胸に穴が空いていると言うか、真っ直ぐ帰るべき場所に帰りたくないと言うか、ぶらぶらとそこら辺を浮足立って過ごしたい気分なのだ。この気分がいつから始まったか知らないが、少なくとも五分以上前からそうに違いない。


  * * *


 何かの研究施設の様な場所で、絵にかいた様な白衣を身に着けた人々が液体に満たされたカプセルの中に培養されているモノを観察していた。

 それは日常では見慣れぬ物だったが、その存在を誰もが知っているモノだった。培養液の中で浮いたり沈んだりしているモノは人間の脳味噌のうみそだった。

「脳波はどうだ?」

「いけませんね、未だ曖昧あいまいです。大分成長してきましたが、まだ一歩代替品に成り得ない状態じょうたいです」

 白衣を着た人々は互いに情報を交換しては、手離てばなしには喜ばずに残念がったり、逆に希望の色を含んだ顔を見せたりした。

「ゼロからクローニングを行ない、患者の健康だった頃の脳を再現する……今のところ順調だが、まだ再現したと言うには成長し切っていないと言った事か」

「何、この様子なら近い内に施術出来ますよ! 理論は完璧かんぺきですからね、きっと患者も完治しますよ」

 そう前向きな意見を口にする白衣の人物は、モノの状態や計器の数値を観察しながら言った。

「ところで、これは九九パーセント人間の脳として機能きのうすると言う話だが……ではこの状態では何を考え、何を感じているのだろうな?」

「はて? 恐らく肉体を持った人間で言うところのレム催眠だと思われますが、何せ肉体を持っていない人間なのだから真逆の夢を見ているかも知れないし、案外肉体を持った人間と同じ夢を見ているのかも知れませんね」

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