第五百七十八夜『九十九年熟成された魂-Spritmonger-』

2024/02/12「天」「サボテン」「激しい大学」ジャンルは「指定なし」


 ある所につまらない壮年男性が居た。いきなりつまらないと言っても訳が分からぬかも知れないが、事実として彼は実につまらない男なのである。

 彼には妻子が居らず、特に弟子が居るなんて事も無く、何か熱心ねっしん趣味しゅみが有る訳でも無し、ペットや観葉植物を可愛がっているなんて事も無い。毎日ルーチンを繰り返すだけであり、死んでないだけでただ生きているだけ。

 今、彼は場末の酒場でと舐める様に酒を飲んでいるが、これも彼の嗜好しこうに合致したところではない。ただ単に酒を飲んでいるだけであって、飲酒を楽しんでいるとは言いがたい。

「俺にも何か、魂を賭けられるかってのが見つからないかねえ?」

「ございますよ」

 つまらない男性が声のした方を見ると、となりの席にセールスマン風の真っ黒い服の男がにこやかな様子で座っていた。

「何だいあんた? 趣味の代物か何かを俺に売ろうってのかい?」

「これはいけない、大変失礼しました。わたくしマーク商会から行商に来た、こう言う者です」

 セールスマン風の男は会釈えしゃくし、つまらない男性はマッチを手渡された。古風な文字とイラストが印刷されたマッチで、クラシカルな悪魔あくまのイラストの脇に古魂ふるたましい回収業と書かれていた。

「悪魔? 魂と引き換えに何でも願いを叶えてくれるとでも言うのか?」

「ええ、その通り。わたくし、地獄じごくから来た魂のバイヤー、即ち悪魔と言う奴です」

 そう言うとセールスマン風の男は被っていた帽子を外して見せると、なんとそこにはかみの毛が渦を巻いて硬質化した様な角が二本生えていたではないか!

「その角は本物なのか? にわかには信じられん」

「ええ、本物ですよ。何せ悪魔ですので」

 セールスマン風の男は自信満々に言うと、ふところから小物入れを取り出し、そこから爪楊枝つまようじサイズの三叉槍さんさそうを取り出した。なるほど、悪魔成りのファッションとでも言いたい積もりか。

「しかしねえ……そんな仮装を見せられても、はいそうですかと納得は出来んよ。それに第一、魂と引き換えに願いを叶えると言っても、普通の人は取引に応じないでしょう」

 それを聞いたセールスマン風の男、我が意を得たりと言わんばかりににやりと笑みをこぼした。

「そう仰ると思いました。しかしご安心ください、わたくし共が求めているのは魂ですが、契約者の魂とは一言も言っておりません。具体的に言うと、そう……九十九神つくもがみと言う言葉はご存知ですか?」

「ああ、知っている。九十九年経った道具には、命が宿るとか言う奴だろう?」

「ええ、その通り!」

 セールスマン風の男は音を立てずに軽く拍手をし、つまらない男性をめ称えた。

「即ち、わたくし共はいわゆる古物商の様な事をしている訳でして……いえいえ、勿論魂を担保にしたいと言う申し出も歓迎かんげいです! ですが、本日参ったのはあなたの身の回りに九十九年経った代物が有るならば、それと引き換えにこの世の物でない快楽を何でもご提供すると言うプランで……」

 つまらない男性は、セールスマン風の男の言葉が琴線に触れるのを感じた。何せ生まれてこの方心の底から面白いと思った事は無いが、この世の物ではない商品と交換と言うなら、それはひょっとしたら、もしくは、或いは……そんな気がして来る。

 しかし、それとは別に一つの疑問も生じた。

「しかしそれならお前さん、古銭の店にでも行けばり取り見取りではないか?」

 それに対し、セールスマン風の男は悲しそうに眼を閉じて首を横に振る。

「それがですね、古銭と言うのは生きていないのです。倉庫にずーーーっとしまわれて九十九年、これでは人間で言うコールドスリープと同じ。ひょっとしたらコインに魂がこもる事も有りましょう、しかしそれは売買に使われ続けたコインだけ。通貨が九十九年も変わらず使い続けられる事はまれでして、そんなこんなでコインは九十九神には不向きなのですよ」

 セールスマン風の男の説明は、つまらない男性のに落ちるものだった。確かにコールドスリープ装置に仕舞われて、目が覚めたら九十九きゅうじゅうきゅうさい誕生日たんじょうびだと言われても、そんな事は納得出来ない。

「分かった、探してみよう!」

「分かりました。それではまた来週、同じ時間、同じ場所で」

 つまらない男性とセールスマン風の男は悪手をし、その場を後にした。


「ダメだ!無い、無い、無い、無い、無い!」

 つまらない男性は困窮こんきゅうしていた。セールスマン風の男との交渉は簡単かんたんな物と思っていたが、その実九十九年の間使われていた物など、そうそう手元にはある筈が無い。

 つまらない男性は近所の古物商やリサイクルショップにも足を運んだが、使われた形跡が有って九十九年も経った物なんてどこにも無かった。そもそもそんな物が有るならば、あのセールスマン風の男が自分で買うだろう。

「クソッ、俺はこれまでの人生で一度も心の底から幸せだった事が無い! 話に聞く、幸せの余り鳥肌が立つと言う感覚も知らない! だがあの男は俺を幸せに出来るかも知れないんだ! どこかに魂の籠った代物は無いのか?」

 その時だった、つまらない男性の部屋のテレビがある大学の取材に答えていた。


 つまらない男性とセールスマン風の男が言葉を交わして、ちょうど一週間の時間が流れていた。

 場末の酒場の客足はまばら、満席とは言いがたく、しかし閑古鳥と言う程で無し。

「大将、テレビでニュースをたいのですが、チャンネルを変えてもよろしいでしょうか?」

 セールスマン風の男がそう尋ねると酒場のマスターは快諾し、彼はリモコンを操作してテレビのニュースを点けた。

「市内にある大学に侵入し、年代物の楽器を盗んだとして男性が逮捕されました。氏はいずれの容疑も認めていて、盗まれた楽器は氏の住宅で発見されたということです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る