第五百五十九夜『ささやかで儚い小さなワガママ-wish-』

2024/01/18「天」「ことわざ」「増える目的」ジャンルは「悲恋」


 ある地域に、ねがい事を小さなお札に書く風習があった。これに書かれた願いはきっと、星が叶えてくれると言われている。

 この風習を夢が有るとか、無意味だとか、そんな感じで一蹴いっしゅうするのは簡単かんたんだが、実はこの風習はよく出来ている。

 この風習、まず大前提として人に言えない様な願い事は書けない。気に食わない奴らを皆殺しにしたいだの、隣国りんこくと戦争になってうちの工業製品こうぎょうせいひんが飛ぶ様に売れて欲しいだの、その様な願いは他人に見せられないし、見せられないのだから書く訳にもいかない。

 そして願い事を書く事が習慣化していると言う事は、願い事を書かない奴は変わり者で、願い事を書く人は向上心に満ちていると言う認識にんしきがまかり通っていると言い換えられる。事実、この地域の人間はささやかな願いや小さな目標を書く事を誇り、前向きに捉えていた。

 目標を持って生きると言う事は言うまでも無く良い事だし、ささやかな願いを書いて他人の目にさらされると言う事は民意の反映が意識され易いとも言える。

 結果として、この地域の人々は勤勉で、政治家も意欲的、それでいて自他の欲や願望に対して寛容かんようだった。


 そんな訳が有る筈が無い、願い事を札に書いても叶う訳が無い。

 そもそもの話、星が叶えてくれると言う言い草も怪しい事この上が無い。

 空で光る星なんて物はそらにガスの塊がえているだけに過ぎず、何かを叶える力なんて物を持ち合わせている訳が無い。

 加えて言うと、星がそんな力を持ち得ていると仮定をしても、地球からその星まで気が遠くなるほどの距離きょりが有り、星が実際にその距離を移動するとしても、途中で燃え尽きてしまうのが大半だ。まれに流れ星が燃え尽きずに隕鉄となって地に降る事もあるが、どの道そんな物に願いを叶える力が有る訳が無い。

 この地にらしている、少しでも社交性のある人間は札に願い事を書く。しかし、それだけだ。

 本気で夢や願いや目標がある人間は、札にテキトーでどうでもいい事を書き、札に何かを書くひまなぞ惜しんで目標に向って疾走していた。

 結果として、札にかかれるのはささやかで、他愛が無い、欲が無い、ついでに言うと中身も無い様な願いだけだった。


  * * *


 ある時、この地で一人の政治家が当選とうせんを果たした。名をフランシス・デズモンド=ピサロと言い、知り合いからはフランキーとか、もしくはデズピサロと呼ばれていた。

 彼は札に願いを書くにあたり『万人の願いが叶う世の中』と書いたが、そんな物は勿論心にも思ってない事。

 彼自身の本当の願いは、ガタの来た共和国を帝政に作り替え、近隣国をまとめあげて植民地とし、更に地球の裏側うらがわに至るまでを支配地として、彼自身の手で国を陽の沈まぬ国に作り変える事だった。

 勿論そんな事は言えないし、見せられないし、故に書けない。しかし皮肉な事に、札に願いを書く地出身の人間らしく、彼は向上心にあふれた人間で、事実政治家として当選した。


 しかし、フランシス・デズモンド=ピサロの願いは一向にかなう事は無かった。

 理由は色々考えられるが、真実はお天道様でも無ければ分からない。

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