第四百八十一夜『トマトソースとオリーブオイルが跳ね焦げた-Spaghetti all'Assassina-』

2023/10/23「闇」「コーヒーカップ」「業務用の物語」ジャンルは「サスペンス」


二人の青年が深夜のレストランで、清掃の仕事をしていた。

二人は手に雑巾ぞうきんとモップとを持ち、床には扁平缶の様な形の業務用ボトルに入った洗剤や水の入った大きなバケツが置いてあり、作業の熾烈しれつさを語っている。この作業はそれほどにきびしく、茶渋の染み抜きの様な小さな作業ではない事が見て取れた。

「なあ、一つ気になる事があるんだけどさ、暗殺者のパスタって名前聞いた事あるんだけど、あれってどう言う由来の名前なんだ?」

 床の掃除をしながら、青年の片割れが疑問を口にした。それに対し、質問をされた方の青年は少々鬱陶うっとうしそうな表情を浮かべて、視線の先を床の汚れから相棒の方へと向けた。

「諸説あるが、いい加減な説が大半だな。まず暗殺者のパスタってのはイタリア式のトマト焼きそばなんだが、俗説だと死ぬほど美味いとか、トマトが血の色だからだとか、焼きを入れるから暗殺者だとか……」

 質問をされた方の青年は、それはつまらなさそうに答え、そしてこう返した。

「ところでお前、イタ飯で美味くない、マズイ料理って何が思いつく?」

「知らない、マズイイタ飯なんて一度も食べた事が無い」

 最初に質問をした方の青年は床を雑巾でみがきながら、確固たる声調で答えた。

「まあお前の場合はそうだろうな……まあ、死ぬほど美味いから暗殺者ってのは土台妙な話なんだ。加えて、イタリアの風潮的ふうちょうてきにも見知らぬ料理をめると言うのも、おふくろの味を有難ありがたがるスタンダードと合わない。それじゃあ次の俗説なんだが、お前はトマトを使わない料理ってどれだけ知っている?」

「知らない、俺はトマトの入ってないイタ飯なんて食べた事は一度も無い」

 先程と同じく、確固たる声調で答えた相棒に対し、最初に質問をされた方の青年はしばしの間絶句した。

「お前の考えるイタリア像は、コロンブス以降だけで構成されているのな……」

「コロンブス? そんな昔の人間は知らないし、そもそもそんな昔の人間がアメリカを見つける以前の話はもっと知らない。」

 またしても確固たる声調で答える相棒に対し、質問をされた方の青年は表情がすっかり呆れ顔で固定されてしまった。

「……まあいい、とにかくトマトを使う料理も、トマトを使わない料理もたくさんある訳だ。だからトマトを使っているから暗殺者と言うのもおかしい。それにトマトやトマトのって意味ならポモドーロやロッソ赤いと言う。」

「なるほどなー」

「最後の俗説なんだが、焼きを入れたから暗殺者ってのも明らかにおかしい。そもそも暗殺ってのは社会的影響力えいきょうりょくを持つ人間を殺すって意味だ、根性焼きを施して生かしたまま口封じにするってのを暗殺者と評するのは意味不明としか言えない」

 質問をされた方の青年に対し、質問をした方の青年は始終眉をしかめた表情を浮かべていた。まるで勿体ぶった名探偵の語りに対し、胡乱なものを見る表情を浮かべる登場人物の様ですらある。

「そう言う俗説は良いんだけどよ、結局のところ本当の由来はどうなんだ?」

「ああ、通説とされているのはだな、暗殺者のパスタは要するにトマト味の焼きそばだ。つまりはトマトソースと油がたくさん入っていて、トマトと油が跳ねた様子が殺人現場の様だから暗殺者のパスタと命名したらしい」

 質問をされた方の青年は、モップで丹念に磨きながらそう語った。

「ところでこの汚れ、どう言う風にしたらついたんだろうな?」

 二人が清掃している床には赤黒い人間大のヒトガタの汚れが付着していた。それはもう、ちょっとやそっとでは落ちない頑固な汚れで、色はヘモグロビンを思わせる様な赤黒であった。

「さあな、俺はの清掃の仕事だと聞いたし、仕事の内容はだから他言無用だと聞いたし、の仕事だからは相場通りだと聞いたぞ」

「いやでも、俺は実入りの良い緊急の仕事だって……」

 質問をした方の青年が疑問を口にしたが、質問をされた方の青年はさえぎる様に口を開いた。

「ただのレストランの清掃だ。ただの頑固な汚れだし、きっとただの油汚れとトマトか何かだ。ただ基本給とは別にボーナスが出て、他言無用ってだけの普通の清掃だろ?」

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