第四百六十六夜『自転車通勤-BiCycle-』

2023/10/08「晴れ」「ヤカン」「役に立たない殺戮」ジャンルは「サイコミステリー」


 俺は晴れの日に限っては、職場しょくばへ自転車で通っている。職場へは電車で通っている事となっているが、その実自転車で通勤つうきんして手当をふところに入れる形でもらっていると言う寸法だ。

 むずかしい事は何も無い。職場の近くまで自転車で移動し、近くの駐輪所ちゅうりんじょに自転車を停めて何食わぬ顔で徒歩で職場へ向かえばいいだけだ。雨の日には素直に電車を利用するが、それでも通勤手当の額よりはるかに安く済む。


 よく晴れたある朝の事だった。

「なあ、君電車通勤だったよな?」

 上司から唐突にそう質問された。別に俺の事を疑っている様子ではなく、ちょっとした疑問と言うか世間話の様な口振りだ。

「ええ、何某駅なにがしえきから何処其処駅どこそこえきです」

ここで『いいえ、実態じったいは自転車通勤で着服を行なっています!』と言う訳にもいかず、俺は事前に用意しておいた答えを口にした。事実、俺は雨の日はその駅を利用しているのだからうそと言う訳でもない。

「今朝、何処其処駅どこそこえき行きの電車でテロが起こったそうだが、大丈夫だったか?」

 俺は心臓しんぞうを冷たい手でさわられた様になり、血と脳漿のうしょう沸騰ふっとうする様な感覚になった。

「え、な、何ですか? それは本当ですか? 俺はそんな事知りませんが、俺が乗った便の後の事だったのではないでしょうか」

 俺は自分で自分の声がしどろもどろになっているのを感じた。しかしテロ行為を知らずにおどろいたと考えれば整合性はあるだろうし、そもそも俺の話は全てが嘘じゃないのだ、道理は無いと強弁したい。

「ああ。何でも税金泥棒や横領の罪をはたらく不逞の輩共やからどもに天誅を下すため、取引材料になってもらうとか声明をしていたそうだ」

「そ、そうなんですか……恐ろしい話ですね」

 俺は他人事で無い話の内容に、内心恐怖を覚えながら相槌あいづちを打った。他人事で無い話なのだ、相槌の内容も真剣で嘘偽うそいつわりがない。

 ここで俺は、一つの可能性に考えが及んだ。上司は俺が自転車通勤を見破り、その看破の一環いっかんとして鎌かけを行なっているのではなかろうか? ここで俺が『ええ、駅が騒然でしたよ』と作り話をしたら、思う壺と言う奴だ。

「全く、物騒ぶっそうな世の中だよ……これも全部政治が悪いせいで……昨今の財政事情は……来季の営業は……」


 結局、上司は俺を疑っていた訳ではなく、単に世間話をしようと思っていただけらしい。

 俺は今日の勤めを終えて、疲労でヘロヘロ状態じょうたいの青色吐息で自転車を停めた駐輪場へと戻って来た。

 しかしその時、俺の自転車を停めてあった筈の場所には自転車がなくなっていた。

(自転車泥棒!)そう叫びそうになるのを抑えて、俺は自分の置かれている状況を整理することにした。

まずこの駐輪所は防犯カメラが設置しており、俺の自転車はキッチリとカギをかけてあった筈だ。つまり、本当に自転車泥棒が出たならば、無理矢理自転車を持ち上げて盗んで言った筈であり、犯人の特定は容易な筈だ。

 しかしここで二つの問題が立ち塞がる。俺は自転車通勤をしていない事になっており、ここで盗難届を出すにしても、存在しない自転車を捜査する事になってしまう。

 第二に、俺の自転車がある場所には犯人からの物と目される書き置きが、ダクトテープで張り付けてあった。

『これは不当に給金を水増しする社会悪に対する誅罰ちゅうばつである』

 俺は自転車盗難の被害届を出す訳にもいかず、泣き寝入りすることになった。

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