第四百六十四夜『繁茂の風船-when the balloon goes up-』

2023/10/06「山」「風船」「希薄な関係」ジャンルは「大衆小説」


 大勢おおぜいの人々が風船を飛ばし、風船は風に乗って雲の向こうへ飛んで行き、見えなくなった。この風向きだと、山の向こうへと飛んで行く筈だ。

 風船には植物の種やそのたぐいが括りつけられており、落ちたところで植物が芽吹くと言う寸法だ。この地域では季節風が吹く時節になると、こうして風船に植物の種を括り付けて飛ばす事が習慣となっている。

 この習慣は誰が始めたか分からないし、いつ始まったかも知られていない。ただ、季節風が吹く時節に風船に種を括り付けて飛ばす事、種の種類は決められた物である事、風船を飛ばす習慣は自由参加で、誰が参加してもいいし誰が参加しなくてもいい事、そして誰が参加したかは知らないと言うていである事が決まっていた。

 何故その様な妙な習慣が成立しているかは分からないが、とにかく昔からの習慣なのだから何かしら意味があるのだろう。その様な調子で人々は習慣をただただ守っていた。


 時を同じくして、山の向こう。この地域には変わった習慣があった。

 変わった習慣と言っても、習慣を守っている人々も意味が分からないままに実行している訳ではない。当人たちも真剣になり、ちゃんと理由が有って習慣化となっている。

「来たぞ! 地獄花の種だ!」

「くそっ、あっち行け!」

「しかし、地獄花の種は一体どこから来るんだ? こんな悪魔の生物兵器、人間が作って飛ばしているとは思えない……」

「種一つ残らず回収しろよ! 一粒地に落ちたら最後、むしっても地下茎さえ無事なら無限に繁殖はんしょくし、大地の栄養を吸い尽くすと思え!」

 彼らの認識と植物の生態に齟齬そごは無く、事実彼らが地獄花と呼ぶ植物はいわゆる特定外来生物の一種であった。

 季節風の時節に山向こうから飛んでくる、この植物の種が息吹くと、ものすごいいきおいで繁殖する上に大地の栄養素を吸い上げる。故に地獄花と言う俗称で知られるようになった。この地域の人達にとっては死活問題であり、駆除しなくてはならない外敵だ。

 彼らにとって地獄花の種は苦難くなんでしかないが、何よりも怒りを買っているのが地獄花の種が空から飛んでくるのが一体誰の差し金か分からない事だ。


 一人の女と一人の男とが、空の向こうへ消えていく風船を眺めていた。

「種、芽吹くかな?」

「さあな、芽吹かない事もあるだろうし、芽吹く事もあるだろうさ」

「そっか、お茶飲む?」

「ああ、ありがとう」

 女性がそう言って差し出した水筒すいとうには、紫色の花の意匠があった。

「これはホーステールか。うん、美味い」

 男性がカップに注がれたお茶を一口すすってそう言うと、美味そうにお茶を一気にあおった。

「うん、ホーステールは私も大好き。でね、もしもこの植物が手に入らない地域に飛んで行ったら芽吹いたら、すごく素敵すてきだと思わない?」

 水筒を手に持った女性は無邪気に微笑ほほえみながら、そう言った。

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