第四百三十六夜『貧乏神の下賜-Igo-』

2023/09/06「砂」「歌い手」「きわどい才能」ジャンルは「童話」


 ある場末の酒場に一人の歌手の女性が居た。彼女は華やかさこそないが、その歌声は素晴らしく、聞く者を魅了みりょうするに十分な歌唱力があった。

 そんな彼女が場末の酒場に居る理由だが、彼女にとってそれが自分らしい生き方だと思っている所が大きく、特に不満も不自由も無く暮らしていた。

 そんなある日、彼女の歌を熱心に聞いている一人の新客が居た。来ている服は立派なスーツだが、顔はせぎすで骨張っており、それでいて羽振はぶりが良さそうな印象を覚える男だ。

 痩せぎすの男は歌手の歌を聞き終わるや否や、ブラボーと言わんばかりに拍手をし、大変満足げな表情を浮かべていた。この様な場末の酒場ではそんな事はこんな事はそうそうない。

「聞いてくれて、ありがとうございます」

 歌手の女性はそう言って裏手へ引っ込む。しかし、そこには先程の痩せぎすの男が居るではないか!

不審者ふしんしゃ!)

 歌手はそう感じとり、ともすればすぐに表に逃げたり叫び声を挙げようと身構みがまえた。

「こんばんは、先程は素晴らしい歌をありがとうございました。わたくし、すっかりあなたのファンですよ」

「それはどうもありがとう」

 にこやかに、朗らかに話しかける痩せぎすの男に対し、歌手の女性は警戒心けいかしんを抱いてかたくなな態度たいどで対応した。

わたくし先程のあなたの歌唱には感動かんどうを覚えまして、実はあなたの才能に報いるためにささやかな贈り物があるのですよ」

 不審者からプレゼントがあると言われ、思わず身構える歌手の女性。そう言って痩せぎすの男がふところから出したのは、黒い砂の入った小さな小瓶こびん。歌手は思わず警戒心を解きそうになるが、それでも猜疑心さいぎしんは手放さない。

「その小瓶は何ですか?」

「これは厄除けの小瓶です」

 痩せぎすの男は友好的な態度を示すが、歌手の女性はやはり不審者を見る目をやめはしない。不審者からのプレゼントと言えば、発信機はっしんきや毒物のたぐいだと相場が決まっている。

「まあまあ、そんなに身構みがまえないで。これは怪しい物ではございません、本当にただのわたくしからの好意でして……」

「身構えないでと言われまして、そもそもあなたはどこの誰なんですか?」

 歌手の女性がそう尋ねると、痩せぎすの男は柔和な態度を崩さないままにこう言った。

わたくしですか?わたくし、実は貧乏神と言う奴でして」

 これを聞いた歌手の女性はビックリ仰天。比喩ひゆで貧乏神と言っているのか、自分を貧乏神と言っている不審者かは定かではないが、ともすれば『不幸になりたくなかったら自分の言う通りに動いてもらおう、私にはお前を不幸にするだけの権力がある』と言いだしてもおかしくないのだ!

「それで、その貧乏神が私に何の用ですか?」

 歌手の女性はもう刺々しい敵対心を隠そうともせず、貧乏神を自称する痩せぎすの男に言葉を投げた。

「ふむ、わたくしの事を疑っているご様子。ですが、繰り返しますがわたくしは本当にあなたの歌を気に入ってプレゼントしたいだけなのです」

 そう言って、痩せぎすの男は歌手に無理矢理小瓶を握らせる。歌手の女性は身震みぶるいをして小さく音の無い叫び声を挙げたが、男は全くのおかまいなし。

「あなたがこの小瓶を所有している限り、あなたは人並みの不幸には絶対見舞みまわれません。有効期限は小瓶を手放すか、中の砂が全て白くなるまで。それでは良き人生を」

 そう言うや否や、貧乏神を自称する男はきりかすみの様に消えてしまった。

「ほ、本物の貧乏神……?」

 歌手の女性はただただ呆然してその場に立ち尽くした。


 場面は切り替わり、集合住宅の一室、歌手の女性が住む部屋である。彼女は訳が分からないまま、くだんの小瓶を家に持ち帰っていた。

 歌手の女性は小瓶を気持ち悪いと感じていたものの、貧乏神から厄除けだと言われた物を捨てたら本当に不幸に見舞われてしまう気がした。

「でもこの小瓶の中の黒い砂、何とも言えずに気持ち悪いわね……」

 黒い砂と表現すると、綺麗きれいなインテリアを想像そうぞうするかも知れない。しかしこの小瓶はそうでもない。見てくれはどことなく蚊や小蜘蛛こぐもの死体の様で、見ていると忌避感きひかんが胸の内から湧き上がるのだ。

 そもそも厄除けが黒いと言うのはどうなのだろうか? 普通、厄除けと言うのは塩の様に白い物ではないのだろうか? チェスやリバーシだって、白が先手で黒が後手だと決まっている。この厄除けとやらは、厄寄せの間違まちがいじゃあなかろうか? 有効期限は砂が白くなるまでと言っていたけれど、それはどう言う意味か?

 歌手の女性の頭の中にはそんな考えがグルグルと回り、しかし彼女はどっと疲れが出てしまい、頭がよくはたらかず眠ってしまった。


 人間は思い悩んだり、悩みがあると訳の分からない悪夢を見るものである。歌手は訳の分からない悪夢を見て、内容こそ全く覚えていないが汗びっしょりでね起きた。

 普通ならば、人は悪夢から覚めたら安堵あんどするだろう。しかし歌手の女性は、この悪夢は昨日の不審者のせいだと、そう思い当たった。

「何が厄除けの小瓶よ!」

 そう叫んで、小瓶を窓から外へと放り投げた。

 小瓶は集合住宅のゴミ捨て場へと飛んでいき、その場に落ちて割れてしまった。割れた小瓶からこぼれた砂はゴミ捨て場に散布される形となったのだが、そのこぼれた砂を見てゴキブリやネズミはまるで殺虫剤の類がかれた地面でも避ける様にその場から逃げ出した。

 丁度、気味の悪い何かを見て恐れをなしたかのように。


 その後、歌手の女性が住む集合住宅からネズミやゴキブリやノラネコを見る事はめっきりなくなった。

 近隣きんりんの住民は衛生状態えいせいじょうたいが良くなっただの、ゴミ捨てのさいに神経を使わなくていいと喜んだが、歌手の女性は特に思い当たる節も無く、一緒になって訳が分からないまま喜んだ。

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