第四百三十二夜『遺言と忠臣-Lockheart-』

2023/09/01「湖」「金庫」「先例のない主従関係」ジャンルは「王道ファンタジー」


 私がその男と言葉を交わしたのは、酒場でカウンター席でとなりになった時の事だった。

 その男はボロボロの上着を羽織はおった流れ者風の風体をしており、私は最初に彼を見た時に盗人かお尋ね者か何かだと思った。

「こちらの席、よろしいですか?」

 私は胡散臭いものを見る目でその男を見たが、その一方で何とも言えない大きな違和感いわかんを覚えた。この男は上品で礼儀れいぎを弁えた大人物で、それこそお城で王様のすぐ傍らに仕える衛兵えいへいか何かに違いない。この目の前の流れ者風の男からは、その様な気品と雰囲気ふんいきと声調を感じたのだ。

「ええ、どうぞ」

 俺は流れ者風の男の発する大人物の様な雰囲気に安心感を覚え、反射的にそう言った。

「ありがとうございます。ここでこうして会ったのも何かの縁、何かおごらせてください。と言うのも、私はここら辺の人間ではなく何を頼めばいいかよく分からないのです」

 その言葉を聞き、俺はすっかり気分を良くした。だって考えてみて欲しい、世を忍ぶお尋ね者が相手に印象を残す様な事をするか? 金子がきびしい逃亡生活で、目立つような散財をするか? この後俺を亡き者にすれば、俺と言う証言者は消えるかも知れない。だが、そんな殺人と言う新しいリスクを次から次へと背負い込むバカが居るか?

 俺はすっかり気がゆるみ、この酒場の名物料理と酒を二人前注文した。流れ者風の男は俺に対して恭しくお辞儀じぎをし、それは美味そうに料理を平らげた。

「ところで、あなたはこの土地のものではないと言ったが、何の目的でこんな辺鄙へんぴな場所まで?」

 美味い酒で気が大きくなっている俺は、流れ者風の男に対してそう質問をした。いや、決して不注意をはたらいた訳ではない! 相手を信用し、ともすれば更に力になってやろうとしただけだ、それが人道と言う物ではなかろうか?

「ええ、この場所へは巡礼へ参りました……それが本音ですが、建前としては王命を帯びて任務の途中とちゅうと言った所です」

 流れ者風の男は、一見訳の分からない事を言い出した。しかし俺がかんで感じた様に、どうやらこの男は王様の家来らしい。

「それはつまり、巡礼へ行けと王様から命じられたって事か?」

 俺の質問に対し、流れ者風の男はうなづき、懐から何やら金色の縁をした白い箱を取り出して言った。

「ええ。私の任務はここにおわす先王陛下の心臓しんぞう、お隠れになった彼を聖地までお連れする事です」

 俺は流れ者風の男が何を言っているのか一瞬いっしゅん理解出来ず、彼が言っている事が理解出来た時にはひどく肝をつぶした。

「先王の心臓! その箱には王様の遺骸いがいが入っているのか?」

 俺はそう叫んでしまい、流れ者風の男は席を咳払いを一つ、そして周囲に言い聞かせる様に大きな声で言った。

「いやはや、何をおっしゃいますか! こんな小さな箱に王様のお身体が収まる訳が無いでしょう! 酔っぱらいだからと言って、つまらない冗句を言って他のお客様のご迷惑めいわくをなさってはいけませんよ!」

 しかし幸い、周囲は元より酔っ払いの集まる大衆食堂。心配せずとも誰も話など聞いていないし、聞き耳を立てる間者なんてものも存在しない。

「さて、私としては別にこの事は周知されてもかまわないのですが、いたずらに周囲をおどろかせる積もりはありません。今日の事は忘れて下さいと言う積もりも無いのですが、ただ一つだけあなたにお願いがあります」

 流れ者風の男は別に俺を威圧いあつするでもなく、おどす様でもなくなく、ニコニコと穏やかな表情で、まるで明日の天気の話をするかの様に切り出した。

「お願い……?」

「ええ、近い内にお城から人が来るかもしれません。もしあなたがベディヴィア・ロックハートに対して尋ねられたら、彼は真面目に任務に服していると言って欲しいのです。ただそれだけです」

 なるほど、この王様の家来は色良い証言が欲しくて行く先々で酒や料理を振舞っていたのか。俺には王城での仕事なんて物は分からないが、きっと派閥はばつとかみたいな煩わしい事が多い職場しょくばなのだろう。

「ええ、ベディヴィア・ロックハート様は誰よりも真面目な王様の家来です! ところでロックハートきょう、グラスが空ですが喉がかわいておりませぬか?」

「うむ、丁度私もこの土地の酒は甘くて美味いと思っていたところです。店主、酒の代わりをお願いします!」

 ロックハート卿と言うらしい、流れ者風の男は満面の笑みで俺の要求を飲み、そして夜は更にふけて行った。


 俺が流れ者風の男に奢られてから数日が過ぎた夜、俺は自宅で寝ていると妙な悪寒を覚えた。

 妙な悪寒と言っても、性質の悪い風邪をひいたとかではない。実際には寒くないのに寒気がし、背筋に悪寒が走り、歯の根が合わずガチガチと歯が鳴った。

 俺は何が何だか分からず、この状態から逃れようと毛布にくるまったが、状態じょうたいは一向に良くならない。それどころか俺の耳には幻聴げんちょうの様な物すら聞こえて来た。

「何だ……馬のいななきと駆け足、戦車の走る音が聞こえる?」

 俺は自宅で床に就いているのだ、戦場に居る訳じゃない。余程疲れていて、馬が戦車を走らせる夢でも見ているのかと思ったのだが、この異常はそれでは終わらなかった。

「おい、そこの男」

 俺が何事かと思って毛布から顔を出すと、そこにはバケモノが居た。俺のベッドのすぐ前に馬が居り、戦車が有り、そしてその戦車には抜き身の剣と王冠を身に着けたガイコツが居たのだ。

「が、ガイコツ!」

「黙れい!」

 ガイコツは俺の首元に剣を突きつけた。剣先が首の皮膚ひふをなぞり、俺は全身から冷たい汗が出るのを感じた。

「ひっ、た、助けて下さい!」

 俺はガイコツの空っぽの眼窩がんかを見て必死の命乞いをした。しかしガイコツは剣を下ろす事なく、俺のに対して敵意を向けたままだ。

「貴様、この街にベディヴィア・ロックハートと言う騎士が来た事は知ってるな?」

「はい! ロックハート卿は確かに数日前にこの街に来ました! 彼は任務を真面目にやっている最中です!」

 俺は知っている名前を聞き、反射的に知っている事を全て吐いた。もっとも、彼はこの事を伝えて欲しいと言っていたので、彼にとっての不利益にはなる事はない筈だが……

「任務を真面目に? ロックハート卿がか?」

 どうやら俺は発言を間違えたらしい。ガイコツは皮膚も眼球も無い顔でも分かる程に怒りをあらわにしているのだから!

「ひ、ごめんなさい、許して、命ばかりは!」

 俺の必死の命乞いが功を成したのか、ガイコツは俺の首元から剣を下ろし、今度は部屋の窓を通して外を眺め始めた。

「数日前……か」

 急に俺に対する敵意を収めたガイコツだが、今度は窓の外を見たまま落ち着き払い、俺は逆に怖く感じた。

「えっと、あなた様とロックハート卿の関係をお尋ねしてもよろしいでしょうか……?」

 俺がそう質問した瞬間、ガイコツは再び俺のすぐ傍へと詰め寄り、今度は俺の顔を骨だけの手で鷲掴わしづかみにし、俺の目の中をのぞき込んだ。

「ワシとロックハート卿の関係だと! いいだろう、教えてやろう! あいつはワシの心臓を運ぶ任務を受けた事を良い事に、あちこち寄り道して経費けいひで飲み食いしては怠けている大バカ者だ! お陰でワシはこうして安眠出来ず、化けて出るハメになり、王城からあのバカを追いかけている最中だ! あのバカはどこに行った?さあ、言え!」

「聖地に先王陛下の心臓をお連れする最中だと言ってました!」

 そう言うと、ガイコツは俺を解放し、戦車に乗って俺の家から飛び出して夜の街へと消えて行った。彼は来た時と同じで、家の壁を音も無く透過していった。

 俺はどこかへ走り去った先王の消えて行った方角を見ながら、ロックハート卿がまたどこか別の土地で現地の酒場で誰かに奢り、その人物が先王に問い詰められる様を想像した。

「ベディヴィア・ロックハート……とんでもないのお尋ね者だったんだな」

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