第四百十八夜『母親の試金石-child REAR-』

2023/08/16「冬」「機械」「伝説の可能性」ジャンルは「王道ファンタジー」


 駅のホームにベビーカーを伴った女性が居た。女性はぎこちなくベビーカーを押して電車に乗り込んだが、その際の振動のせいかベビーカーに乗っていた赤ちゃんがぐずり始めた。

 女性は困り顔になりながらベビーカーを押して、窓際まどぎわのスペースへ移動するも、赤ちゃんはその間もリズミカルに泣き声を上げ続けていた。

 女性はベビーカーの車輪しゃりんを固定し、赤ちゃんを抱きあげてあやす。しかしそれでも赤ちゃんはリズミカルに泣くのをやめず、むしろその泣き声は段々大きくなっていった。

 周囲の人はその様子を眉をひそめて見るでもなく、かと言って自分が代わりにあやしてやろうとするでもなく、遠巻きに普通の日常の風景を見るかの様な様子だった。

 そんな中だった、女性のすぐとなりで吊り革に捕まっているスーツ姿の男性が、赤ちゃんを抱いてあやしている女性に詰め寄った。

「うるさい、黙らせろ」

 酷く抑揚が無く、冷徹れいてつな印象を覚える口調だった。

「あら、ごめんなさい」

 女性はただそれだけスーツ姿の男性に向って言うと、その後は先程までと同様に赤ちゃんをあやし始めた。その態度たいどはまるで、スーツ姿の男性に対して無視を決め込んでいる様にも見えた。

 スーツ姿の男性は女性の態度や行動に特に何か言う事も無く、吊り革に捕まったまま何も言わずにじっと女性を見ていた。


 ベビーカーを伴った女性は目的地の駅に到着したのを見ると、すっかりエネルギー切れでも起こしたのか胸中で眠っている赤ちゃんをベビーカーに再び乗せ、電車から降りた。

 電車から降りたところ、寒空からかすかに雪が降っていた。

 ベビーカーを伴った女性は駅のホームから改札口へと昇り、改札から出て、そしてその場で赤ちゃんを抱き上げると首筋くびすじを撫でてからコインロッカーにしまった。ベビーカーも同様に、それを折りたたむむとコインロッカーへとしまった。

 ベビーカーを伴っていた女性はベビーカーと赤ちゃんをすっかりコインロッカーへとしまうと、駅ビルへとショッピングへと向かった。


 ところで先程女性に絡んで来たスーツ姿の男性だが、アレは一般人ではない。アレはベビーカーを伴った女性に対しての覆面試験官ふくめんしけんかんとでも言うべき存在で、赤ちゃんを抱いた人間の反応を見るのが仕事なのだ。

 しかしその様な仕事は、人間が一から十までするべきではないと考える者も居た。どういうことかと言うと、あのスーツ姿の男性は人間ですらなくロボットなのだ。彼の眼球はカメラになっており、試験を受けている最中の対象を見つけると接触や観察を行ない、その様子で何か不備が有ったら連絡を行なって人間の試験官へと情報が伝わると言う寸法だ。

 ではそもそも試験とは何かというと、それは子育てである。ネグレクト、捨て子、虐待ぎゃくたい……人間は子供をもうけても子育てが出来ないケースが往々としてある。これは子育てを行なう動物にも見られる事で、はっきり言って自然な事である。しかしネグレクトは自然な事なのだから、大目に見てやれ! と言うのは人情に反するし、子供からしたらたまった物ではない。

 それ故に子育て試験と言う物が始まり、子育て免許が無い人間は子供を作る事も子供を拾う事も出来なくなった。これによりしつけの出来ない親は目に見えて減り、副次的効果としてしょくにあぶれる人も少なくなった。


 しかしこの制度を悪用しようとする不届き物が居た。人間は決まり事を一つ作れば、それを意図的に破ったり姑息に逃れたりする生き物なのである。

 先程のベビーカーを伴っていた女性だが、実は子育て試験を受けるのはもう数え切れない程で、しかも毎回合格している。

 何故その様な事をしているかと言うと、第一に免許が売れるから。そして第二に、試験官はおおざっぱな観察しかしないロボットだからである。

 かの試験官ロボットはが起動している際に発する波長から試験対象を発見、接触する。逆に言えば、赤ちゃんロボットがオフになっていれば試験官ロボットは減点して来ないし、赤ちゃんロボットをオフにしてコインロッカーにでも入れておけば試験官は寄って来もしないのだ。

 ベビーカーを伴っていた女性は携帯端末けいたいたんまつのぞき、するとそこには合格の通知が届いていた。この端末がそのまま合格証明証として使えるし、これを市役所に持って行けばカードとして印刷もしてくれるとの事だ。

 この通知を受け取り、ベビーカーを伴っていた女性はコンタクトレンズを外し、手を覆っていたセロハン状の被膜ひまくを剥ぎ取り、携帯端末からメモリーをつかさどるカードを取り外した。彼女は別人の振りをしていたが、これで元通りの姿と言う訳だ。

 相手の指紋や虹彩しか見ていないロボット試験官をだますなんて彼女にとっては朝飯前。彼女はこの新しい他人の免許証を売った金で何をしようか考えながら、コインロッカーに預けていたベビーカーに、これまたコインロッカーに預けていた赤ちゃんを乗せて家路へと就いた。

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