第四百十夜『地味で地道で地続きな仕事-turn the brain-』

2023/08/04「人間」「ミカン」「バカなかけら」ジャンルは「指定なし」


 丸奇まるき佐渡さど氏が街を歩いていると、駅前で目を惹くオレンジ色にられたプラカードを掲げてメガホンで何かを叫んでいる人物が居た。

『ヘルメットに含まれるフェライトは洗脳装置のパーツ! 政府がヘルメットの着用を義務付けているのは、政府に従順な人間を造り出すため! 目覚める時は今!』

 周囲の人間は、プラカードとメガホンを持った人物を胡乱な物を見る目で見ている。丸奇もまた、件の人物を呆れた目で見ていたが、それは周囲の人間とは少々違う内容だった。

(何がヘルメットは洗脳装置だ、そんなお手軽に洗脳なんて出来るなら、私はそんなに苦労はしていない!)

 丸奇の心の声には実感がこもっており、事実として彼はかたくなな人間を洗脳する事を生業なりわいとしていた。

 洗脳と言っても、ゲームやアニメの様には簡単にいかない。捕囚となった人間はそもそもこちらに敵意を抱いているに決まっているし、ちょっと暗示をかけたら言いなりになるだなんて、そんな物は洗脳をした事も無い素人の知ったかぶりに外ならない。

(こちとら長い期間をかけて、一人の人間をやっと洗脳出来ると言うのに……)

 丸奇はこの仕事は長いが、この仕事をする上で大切な事は楽や手抜きをしない事だ。

 一人の人間を丁寧ていねいに言葉と暴力で口答えする度に打ちのめす。口答えをしたら平手打ちにし、反抗的な目をチラリとでも見せたら車を洗う様な水圧のホースで水を浴びせかける、逃げようとしたら人間用のむちで百叩きだ。そして例え表面的にも従順に見えたとしても、内心反抗的に見えたら拳を振るう。この仕事で手を抜くと、従順で盲目的な人間は完成しない。

 しかし洗脳とは暴力を振るえばいい訳でも無い。昼も夜も無い空間に何週間も閉じ込め、相手の感覚を狂わせるのは常套手段だ。今日が夏なのか冬なのかは勿論、昼か夜かも分からない状況に陥らせ、自分が捕囚となってからどれくらいの時間が経ったのか分からないようにするのは基本中の基本、窓や時計を設置する等悪手もいい所だ。

 それから洗脳を行なう上で、絶対に避けてはいけないのは人間の尊厳そんげんを奪う事だ。絶対に身体を清潔せいけつにさせず、身体を洗うのはホース放水。必要とあれば四つん這いで生活を行なわせ、食事の際に手を使ったら食事を没収するのも効果的と言える。ベッドなど言語道断、床にわらで寝かせておけば人は死なない。

 しかし食っちゃ寝させていても、それだけで洗脳が出来る程世の中は甘くない。刑務作業の様な物を毎日課し、これに従わなかったら鞭打ちと食事没収である。定番なのは、毎日無為に午前中に土を掘らせ、そして午後には自分で埋めさせる作業を課す事。この様に無為な作業を繰り返させると人間はモチベーションや思考を失い、自由意志が希薄きはくになって行き、自分で考える事を放棄するのである。

 しかし時にはやさしく接する必要もある。何せ思考をうばう事も大切ではあるが、本質としては妄信的で且つ自分でものを考える事を放棄ほうきした奴隷どれいを造り出すのが洗脳の目的なのである。従順な態度を見せたらやさしく応える事は、むしろ洗脳をする上での近道にして定石と言える。しかしその態度が表面的だったり、相手の顔色伺いであるなら、その時は平手打ちをするべきだと言える。この様に何も考えずに相手を妄信する人間になるまで、何度も地道に根気よく殴るのが大切なのである。

 この様に洗脳とは、細かな工夫の数々を長期間かけてやっと一人の人間を仕上げる事が出来る大変な事業なのだ。一朝一夕と言う言葉から最も遠い世界と言っても、それは過言ではない。

(全く……ヘルメットを被せれば洗脳が出来る等と、もしも本気でそんな事を言っているならば、それは洗脳事業に対する冒涜ぼうとくに外ならない。私達の様に、洗脳を行なっている人間の身になって欲しいものだ!)

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