第四百三夜『風邪薬・裏-Engineered Plague-』

2023/07/28「過去」「冷蔵庫」「ねじれた剣」ジャンルは「ギャグコメ」


 風邪薬かぜぐすりは作る事が出来たら、ノーベル賞ものの大発見だ。


 これは有名なフレーズだが、知らない人には奇異に聞こえる事だろう。風邪薬と言うのはその実、風邪の症状をおさえているだけに過ぎず、風邪をやっつける特効薬ではないのである。

 何故俺がこの様な話をしているかと言うと、実は今俺の手の中には本物の風邪薬……らしき物があるからだ。

 この本物の風邪薬は俺が作った物なのだが、この薬を作ったのは俺ではない。どう言う事かと言うと、俺は知り合いの研究職けんきゅうしょくの男から酒の席で聞いた話を再現したに過ぎない。


「何、私の理論は完璧かんぺきだ。今は風邪薬を作っていてな……」

 そう語るのは夜雲ヨグモと言う研究者肌の医者。何やら胡散臭うさんくさい研究に没頭しているだの過去に医療ミスを犯して揉み消しただのと陰口を叩かれている男なのだが、実際に話してみた所親しみやすくて柔和な印象を覚える表情の男性だ。

「風邪薬? 風邪薬なんて市販の物で良いじゃないですか、それとも何か画期的な性質でもあるのですか?」

 俺は恥ずかしながら、この時はまだ本当の風邪薬を創れたらノーベル賞と言う話を知らず、そして風邪薬と言う物を何なのか理解していなかった。だからこの様な言葉が口から出たのだ。

「分かっていない様だな、私の風邪薬は本物の風邪薬なのだ。これが完成したあかつきには誰も彼もが、特に若い連中は黄色い声で私の事を賛美するだろう」

「ほうほう、それは素晴らしい。さすがは噂に名高いドクター夜雲、もしも問題が無ければこの浅学な身にご教授願えないでしょうか?」

 夜雲氏は気を良くし、俺にその知識の数々を披露してくれた。理論は完成しきっている事、今は動物実験や治験を行なうだけだと言う事、人間と同じ風邪を引くのは人間と人間に近いサルだけだから足踏みをしている事、そして本当の風邪薬の作り方をしたためたメモを研究室の金庫に入れて保管してある事!


 俺は夜雲氏の言っていた内容が気になり、風邪薬について自分でも調べた。そして本当の風邪薬を作る事が出来たら、それはノーベル賞物だと言う事を知った。

 そして次に俺は気が付いたのだが、夜雲氏は実験の段階で足踏みしており、件の本当の風邪薬の作り方を書いたメモは金庫の中にあるのだ。つまり俺がそのメモを盗み出し、自分こそが本当の風邪薬の開発者だ! と、そう発表すれば俺こそがノーベル賞なのではないか!

 俺はこれが世紀の名案に感じられ、これを実行した。そして出来たのが今手中にある錠剤だ。

「なるほど、これが本物の風邪薬か」

 実はここだけの話、今の俺は風邪気味だ。熱は無いし頭も痛く無い、しかしのどが痛み、呼気はにごったように感じられ、時々咳も出た。

「丁度いい、これが本物の風邪薬だと言うなら俺が飲んでやろう! どうせ受賞するにも密売するにも、人間が飲んで平気だったと言う証拠が無いと話にならん」

 俺は本物の風邪薬を水で流し込み、今日はベッドで休もうと思った。しかし、ベッドに向おうとした俺の肉体に突如とつじょ異変が訪れた。

 頭部から汗が滝のように流れて止まらない! これだけなら肉体が体内の毒素を吐き出す為の薬効と思えない事も無いが、それに加えて悪寒がする! まるで大型スーパーの冷凍庫で食品の管理をしている様に、首から下が寒くて寒くて震えが止まらない! そのくせ頭は発熱し、ふらふらと前後不覚の様になり、その上視界は全く明瞭めいりょうでない! 加えて鼻は濁った鼻水で詰まって呼吸が苦しく、口で呼吸をしようにも咳が止まらない!

「くそっ、性質の悪い風邪だったのか? まあいい、この本物の風邪薬が時機に効いてくれるだろう……」

 俺はベッドに倒れ込む様に床に就いた。


「ふむ、なるほど。私の理論はやはり正しかった、これで証明も終了した」

 薄暗い研究室の中、何かの計器で数値を見ている研究者風の男性が一人呟いた。その脇には口を開けて空になった金庫が開けっ放しになっており、見る人が見たらこの研究室は盗難の現場だと気が付いただろう。

「あの男、きちんと私が誘導ゆうどうした通りに書類を盗み、書いた通りに風邪薬を飲んだな。この発信機がうまく働いてくれたようで何よりだ、投薬から一時間未満で体温が四十度に上昇……細かい症状は分からないが、期待通りと言えよう」

 研究者風の男性はそう呟きながら、呟いた通りに内容をしたためて満足そうな表情を浮かべた。

「これで私の、本物の風邪薬の実験は完遂したと言える。何せ目論見通り、治験対象も無事に風邪をひいてくれたのだからな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る