第三百九十四夜『心を金庫の中に…-break the bank-』

2023/07/18「悪魔」「金庫」「人工の時の流れ」ジャンルは「ホラー」


 金貸しを生業なりわいとして、小さいながらしっかりとした盤石ばんじゃくの経営を行なっている江紅エベニスグルには人の心が無かった。比喩ひゆ表現などではなく、実際に慈悲とか情けとか、そう言ったたぐいの感情が一切存在しないのだ。

 その秘密は、彼が利用しているココロ銀行なるサービスにあった。

 ココロ銀行と言っても、実際にココロを形而下けいじかに取り出して金庫に閉じ込める訳ではない。もっとも銀行を名乗っているのだから、利用者にはそう理解してもらっても構わないのだが、その実態じったいは催眠術や暗示を用いたカウンセリングの様な物だ。

 例えば、恐怖心が原因で何をやってもうまくいけない人が居たとしよう。そんな人がココロ銀行の手にかかれば、高所だろうが猛犬の目の前だろうが冷静に居られる様になる。勿論もちろん恐怖心は生きていくのに必要だ、なのでココロ銀行が預かるのは過剰かじょうな恐怖心であり、この場合では高所や猛犬を前にしても冷静でいられる様に恐怖心の一部を預けると言うのが正しい。

 勿論ココロ銀行は銀行を名乗っているのだから、心を預けるだけでなく貸す事も出来る。決断力が無くて困っている優柔ゆうじゅう不断ふだんな人間に対し、誰かが預けた短気さを貸してあげれば、まさしく破れ鍋にぶた

 そして何より、空っぽになっていた心に元の気質を返してやれば、本人にとっては心が大きくなった錯覚さっかくに陥る。つまりは、ココロ銀行は時間の経過で利子がつくと言っても過言では無いと言う事だ。

 ココロ銀行のサービスを受けてからの卓氏は、それはもう悪魔の様でさえあった。ココロ銀行のサービスを受ける前の卓氏はどこか甘い所があり、嘘だと思っても泣き落としをされると取り立てを最後まで行えなくなることが度々あった。

 しかし寛容や慈悲は美徳かも知れないが、卓氏の場合は地獄じごくの鬼のように取り立てるのが仕事なのだ。仕事が出来ないのは由々しき問題だ、彼はこの自身の変化を良性の物と認識していた。

 今や卓氏は、例え金が無くて逃げ回っている顧客こきゃくも地の果てまで追いかけて金を返させるし、そのせいで生活が出来なくなって首をくくるしかなくなると言われても無心で取り立てる事が出来る様になっていた。

 その様な血も涙も無い仕事の鬼たる卓氏だが、その矛先は時には部下にも向いた。彼の部下の真礼マレイ勢瘤ゼイコブと言う男、これが電源のオンオフの効かない人間で、いざ取り立てや集金に言っても相手にやり込まれてばかり。

 その様子は卓氏からしたら、過去の締まりの無かった頃の自分を見ている様で気分が大変悪い。

「真礼君、君の心持ちはうちには全く向いていない。ココロ銀行と言うサービスを知っているかね? 君の様に心が弱い人間は、ココロ銀行に行って心の弱い部分を預けてしまえばいいんだよ!」

 そう胸を張って自信満々に言う卓氏だが、対照的に真礼はおどおどウジウジとしており、まるで自信が全く無い。

「しかし所長、僕には心の弱い部分を預けたら、それこそ心が全部無くなってしまいますよ。僕の心には強い部分なんて、全く無いんです」

 そう返す真礼に対し、卓氏は少々イラつきを覚えた。元より出来の悪い部下だし、卓氏が絶対の信頼しんらいを寄せているココロ銀行を役に立たないかのように言ったのだから、心にしこりの一つや二つは出来ると言う物だ。

「それだったらココロ銀行に行って、強い心でも借りて来るんだな! なに、銀行を名乗るくらいだ、預けるだけしか出来ません。じゃあ商売にならんだろう!」


 翌日の事である。卓氏は心晴れやかな気分で出社していた。何せ彼は自分の心が弱かった頃に瓜二つの部下に適確なアドバイスをしてやったのだ、良い事をして心はさわやかに決まっている。少なくとも彼の主観ではそうなる。

「諸君、今日もガンガンかせぐぞ!」

 しかし卓氏の言葉に反応する者は事務所には誰一人居らず、事務所は無人で静まり返っていた。

「なんだ、ワシが一番乗りか?」

 しかし卓氏は事務所の違和感にすぐに気が付いた。何せ今しがた卓氏は普通に事務所のとびらを空けたのであって、即ち事務所にカギがかかっていなかった事に外ならない。加えて事務所の金庫は開け放たれて空になっており、そして昨日の時点では見覚えが無い書面が所長のデスクに文鎮ぶんちんで留めてあったのだ。

 これにはもう卓氏はパニックである、恐慌きょうこう状態じょうたいである、ヒステリーを引き起こす。いいや、卓氏は感情などという下等なものはとうの昔に銀行に預けて忘れた筈だ。有るとしたら、それは冷静な怒りに外ならない。

 卓氏は泥棒どろぼう! と怒鳴りたくなるのをこらえ、手袋をした手で書き留めをむんずと掴んで読んだ。


 書き留めを読み終わった卓氏は、真一文字にしていた口を開いて叫んだ。

「馬鹿野郎!!」

 書き留めには、真礼がココロ銀行を利用した事、ココロ銀行で勇気を借りる事にしたむね。ココロ銀行で勇気を借りたら、自分のやって来た事が恥ずかしくなった事。それからこれまでお金を取り立てて破産してしまった人達に、せめて利子の分だけでもお金を返しに行く事。そして事務所が法律のグレーゾーン金利で営業をしている証拠を映像にり、自分のこの行為をとがめたり訴える様なら争う準備は出来ていると言う旨が書いてあった。

 これにはもう、さすがの卓氏も冷静さをすっかり失っていた。なにせ会社の金庫がすっかり空になっていたのだ、これではこちらが首をくくるしかない。一言で言うと、

「何がココロ銀行で勇気を借りた、だ! 貸借たいしゃく業者なんてクソ喰らえ!!」

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