第三百九十三夜『今日の夕飯はスパムステーキを目玉焼き丼に沿えて-spam message-』

2023/07/17「天使」「幻」「バカな小学校」ジャンルは「指定なし」


 夕飯を作るのが億劫おっくうだ。

 勘違かんちがいしてほしくないのだが、俺はむしろ料理が好きな方だ。だがこの暑さと疲労で料理をしたくない気分なのだ。分かってもらえるだろうか? 人間気怠いと趣味しゅみすら手につかなくなるものだが、感覚としてはそれが近い。

 しかし食事を抜くのは増々もって体に悪いし、そもそも俺は料理が好きなのだ。俺はやれやれと呟きながら、重い腰を上げる。

 今日の夕飯はスパムステーキだ。

 まずはパック入りのライスを電子レンジに入れ、その間にフライパンにオリーブオイルを垂らして熱する。オリーブオイルがかたくなでなくなり、フライパンを柔らかくなぞる様になったならば、薄切うすぎりにしたスパムをフライパンに並べる。

 この後は、スパムに焦げ目がついたらすぐに電子レンジから取り出したライスに乗せ、フライパンに生卵を落として目玉焼きにし、その隙にラップでホウレンソウを一口サイズだけ包んで電子レンジで調理し、全てをライスのパックに乗せて完成すると言う予定だった。

 しかし俺がスパムの缶詰を空けた所、妙な手応えを感じ(よもや腐っているのではないだろうな?)と、中身を覗き込んだ時、それは起こった。

 スパムの缶詰の中から、何かがこちらを見ていた。いや、中に虫や動物が居た訳ではない。スパムの缶詰の中から俺を凝視ぎょうししているのは明らかに人間のソレだ、スパムの缶詰の中に小さなヒトが潜んでいて、俺の方を見ていたのだ!

「こんばんは、初めまして、チャオチャオ!」

 俺が唖然あぜんとしていると、スパム缶の中の小人はそう言いながら這い出てきた。先程までは分からなかったが、スパム缶の中の小人は油の乗った小太りの中年と言った外見だった。

「お前は何だ? スパム缶の中にどうして入っていた!」

 するとスパム缶の中の小人は肩をすくめて、やれやれと言う様なジェスチャーをした。

「お前は何だと言われましても……私はスパムの妖精ですよ」

「妖精……? 妖精にしては羽根も無いし、中年太りだし、おっさんだし、お前みたいに時代劇かファンタジー作品に出て来る悪徳商人みたいな妖精が居るものかよ!」

 俺は目の前で小さなおっさんが妖精を名乗っている事に立腹してきたし、更に言うと今日の夕飯の中からおっさんが這い出て来た事にはもっと腹が立った。

「そう言われましても、私はスパムの妖精として千九百七十年代から食べている訳ですし、妖精の非実在性を私に説かれましても困ります」

 小さいおっさんは何と形容すべきか、猫を被った悪徳商人の様な声色と態度でそう言った。はっきり言って、次のシーンには目を見開いて本性を表して三段笑いでもしそうな印象だ。

「妖精でも妖怪でも何でもいい、お前が出てきた缶詰なんざ食いたくもないから弁償してくれないか? こちとら他に食う物が無いんだよ」

 俺がうんざりした様子でそう言うと、小さいおっさんは口の端を上げて笑みを浮かべ、愉しそうな様相になった。

「おや、?」

「何が言いたいんだ、おっさん?」

「言葉通りの意味です。私は妖精ですからね、人間のささやかな願いを叶える力を持っています。ただし一度の遭遇そうぐうで一度だけ! そしてささやか、即ち無限に関与しない物だけ! 願いを増やせとか、不老不死にしろって願いは叶える事は出来ません」

「そ、それは本当か?」

「ええ、妖精は嘘を吐きません」

 これは思っても見ない幸運だ。何せたった一度とは言え、どんな願いも叶えてくれると言うのだ。無限がどうとか言っていたが、つまりは食っても食っても再生する家畜かちく寄越よこせとか、そう言った願いでなければ何でも叶えてくれると言う事だ!

「しかし何を願うべきだろうか……これは迷うな」

 俺がそう呟くと、小さいおっさんは張り付けた様な満点の笑みを浮かべて擦り寄って来た。

「それなら一生分の食料なんてのはいかがでしょう?」

 俺の脳内には一生食うに困らないだけの缶詰が浮かんだ。いやいや、そんなつまらない事に願いを使う気にならない。それならまだ巨万の富でも願った方が良い。

「いや、結構。別の物にするよ」

「それならば、健康な肉体と言うのはいかがでしょうか?」

 俺は鏡に映った自分の姿を見た。確かに俺はせぎすで、顔はニキビ面、そして筋肉質とはお世辞にも言いがたい。しかしちょっと健康状態が良くなったとしても、もっと他に良い願いがある気がする。

「うるせえ、俺は不健康で結構だ。別の願いにするよ」

「それでは……小学生時代に時間遡行じかんそこうなどはいかがでしょうか? 今の頭脳のまま、子供に戻ってみたくはありませんか?」

 小さいおっさんが言う事は確かに一見魅力的だった。今の頭脳のまま小学生に戻ったら、さぞや神童と持てはやされるだろう。しかしそれも、俺にとってはそこまで魅力的には思えなかった。

「いや、別の願いにするよ」

「それでしたら、素敵な恋人、真実の愛などは……」

 俺は小さいおっさんの言葉に、魅力的で肉感的で美しいかみの美女を想像した。二人でこの狭いながらも居心地の良い我が家で共に楽しく食事でもする、そんな場面だ。

「お前さっきから俺の事を間接的におとしめてはいないか? はっきり言って不快だぜ」

「いいえ、その様な事は決して……あっ、それでしたらメガネの要らない視力などはいかがでしょうか?」

 俺はいい加減イライラして来た。小さいおっさんが言っている内容は、一見魅力的なプレゼンの様だが、その実求心力など皆無の一般論でしかない。それも、相手の外見や状況判断でしか物事を言っていない、極表面的で底が浅い物だ。

「うるさいな! ちょっと黙っていてくれないか!」

 そう言うと、小さいおっさんは張り付けた様な笑みを、哄笑こうしょうに近い大口を開けた物に変え、今にも大音声だいおんじょうで笑いだしそうな表情を浮かべた。

!」

 そう言うと小さいおっさんはその表情のまま、これまでのまくし立てが嘘の様に無音になった。

「おい、お前、黙ったのか? ひょっとして、それが願いだとでも言う積もりか?」

 俺がそう問い詰めると、小さいおっさんは黙るのをやめ、今度は大きな声で爆笑し始めた。

「ええその通り! あはは、これはおかしい! ちょっと黙ってくれないか! ですって、ハハハハ、アハハハハハハハ!」

 一つ分かった事が有る。コイツは最初から俺の願いを叶える事など無く、俺をおちょくる事が目的だったのだ。

 俺は小さいおっさんに素早く手を伸ばし、虫でも捕まえる様に捕まえ、握り潰さんとした。

「お前は一体何なんだ?」

 しかし小さいおっさんは俺をバカにした様な笑いを辞めない。それどころか、俺に握り潰されそうになっているにも関わらず、尚笑い続けて息苦しそうにすらしていた。

「すみません、何せ私は先程申し上げた様に、迷惑メッセージスパムの妖精でして!」

 小さいおっさんがそう言うや否や、おっさんを握った手の感覚に異変が生じた。何事かと手を開くも、おっさんの姿はどこにもなく、けむりか何かの様に消えてしまった。

 部屋にスパムの妖精が居た形跡けいせきは無く、どこからともなく聞こえるスパムの妖精の笑い声だけが部屋に残っていた。

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