第三百八十九夜『楽しい観賞会-CCA-』

2023/07/12「夜空」「見返り」「役に立たないメガネ」ジャンルは「ホラー」


「私は悪くない! 悪いのはあの女だ! とっととここから出してくれ!」

 そう留置所のおりの中で叫んでいるのは、身なりのよい男性。よいのは身なりだけでなく、よい歳をしており、恰幅かっぷくもよい。

「まあまあ、落ち着いて下さい。我が国の司法は九割が、第一印象と弁護人の腕で決まります。私が来たからには大丈夫……と言いたいところですが、裁判に絶対はありませんからね。とにかく印象が悪くなる様な言動はけて下さい、いいですね?」

 そう身なりのよい男性に言い聞かせるメガネ姿の男性は、彼を担当する弁護士べんごし。彼の手にかかれば、どんな世紀の大悪人でも更生の余地有りと見做みなされるし、れ衣であれば絶対に無罪放免にしてみせる。そんな評判の傑物けつぶつだ。

「しかしあなたともあろう社会的地位のある人が、一体どうして痴漢ちかんなんてケチな犯罪を行なったのですか? 被害者に対して卑猥ひわいな言葉を言ったとうかがっています、その上まるで濡れ衣を着せられた訳ではない口調でしたが……」

 弁護士は身なりのよい男性の様子を観察した上で、不思議そうな口調で尋ねた。人間酷い目にうと他人のせいにしたがるものだが、潔白けっぱくな人間と言うのは得てして理路整然りろせいぜんしているか何も分かっていないかのどちらかなのだ。

「ええい、だからあの女が悪いと俺は言っているんだ! あんな肌を露出ろしゅつした格好で街を歩いているなら、それは異性を誘っているのと何も変わらん!」

 弁護士は身なりのよい男性の言葉を聞き、表情こそ崩さなかったが内心絶句と放心をしていた。この様な酷い文句は、それこそ頭の悪いポルノ作品でもなければあり得ない。

「このままでは俺は罰金刑ならまだしも、豚箱にブチ込まれてしまう! 何とか助けてくれ!」

「ええ、把握しております。そのために、私は参りましたゆえ。しかしこれを無罪放免にするのは無理ですよ……」

 しかし弁護士の内心はかんばしくなかった。前提として被告人を弁護士、更には彼の心象を良くする必要が有るが、肝心要かんじんかなめ依頼人いらいにんがコレなのである。

(頭の悪いポルノ作品……それだ!)

 弁護士の脳裏にはアイディアがひらめき、表情もそれと連動してハッとした物となった。

「おう! 何か考えついたのか?」

「ええ、考えつきました。ミスター、あなたは何かしら個人用の端末たんまつを所有していますか? もしくはテレビやラジオを持っているとか、日常的に広告を流す物に触れたり乗ったりしていませんか?」

「お前は俺をバカにしているのか? 今時そんなもの、自然保護区に暮らしている人間だって端末の一つや二つは持っているし、俺の様な都心在中の人間なら、嫌でも広告は目に入るわ!」

 身なりのよい男性は、突然素っ頓狂とんきょうつ無意味に思える質問に対してあせりを覚えて思わず怒鳴った。何せ現に留置所に放り込まれている上に、懲役刑ちょうえきけいになるかも知れない瀬戸際せとぎわなのだ、怒鳴り声の一つも出る。

「ではこうしましょう。あなたは事実、職場では真面目な人間で通っているとうかがっております。故にあなたは真面目な被害者であって、情緒酌量じょうちょしゃくりょうの余地があり、重罪に問う事は出来ない。この方向で行きましょう」

 弁護士の言葉を聞き、身振りのよい男性は顔を明るくした。どう言う意図かは分からないが、この敏腕びんわん弁護士がそれらしい言葉を口にしたのだ、素人しろうととしては分からぬ点も有るが、希望は見えた。

「それはいい! 俺は真面目な被害者になろう! ところで何故広告の話から、その様な話に?」

 身なりのよい男性は希望や喜びを隠さず、そして疑問を口にした。

「ええ、あなたはプライベートの端末を使って、わずらわしい広告が目に入った事は有りますね?」

「ああ、鬱陶うっとうしくて目に毒なばかりで百害あって一利無い、そんな広告は毎日見ている」

「それです」

 弁護士は我が意を得たりと言った風な表情で、自信満々に言った。

「あなたは真面目な性分で、コマーシャルや宣伝の文句を真に受けてしまう。いいえ、勿論もちろん全部を全部と言う訳ではありませんが、深層心理には広告の内容が心に刻まれており、それがたまに表層に出てしまうのです」

「そう言う物なのか?」

「そう言う物と言う事にしておいてください」

 弁護士はそう説明したが、身なりのよい男性は今一つピンと来ない。

「しかしそれが、俺の無罪にどうつながるんだ?」

「あなたは真面目な性分が災いして、ポルノ広告が目に入った際に心の奥底で真面目に取り合ってしまった。広告としてはポルノ作品を買ってくれればそれでよかったが、公序良俗に反する邪悪で鬱陶しい広告のせいであなたは無意識に痴漢行為をしてしまった。言わば、あなたも社会の被害者のなのです! これであなたは更生の余地のある、可哀想な被害者として他人の目に映るでしょう」

 この説明を聞き、身なりのよい男性は酷く感動した。感動の余り感涙すらし始めた、何せ自分は被害者として牢獄ろうごく無罪放免になるのだ、泣きもする。

「それはいい! 俺は真面目で影響を受け易い無罪の被害者として裁判当日まで過ごそう! ありがとう先生、あんたのお陰で俺は助かりそうだ!」

 そう言ったところで、今日の所の面会は終了した。あとは沙汰さたを待つばかりだ。


 そして裁判当日、被告人の態度や弁護士の熱弁に召喚した被告人の同僚どうりょうの弁もあり、身なりのよい男性は減刑に減刑をされて、最低限の罰金刑となった。なってしまった。

 弁護士はああ言ったが、あれは勿論詭弁きべんだ。そもそも作り話だと言う事実はさておき、現に被害者が出ているのに自分こそ社会の被害者なのだ! とは盗人猛々しい事この上が無い。ゴメンで済めば警察けいさつは無職とは、まさしくこの事だ。

 禍根かこんは消えず、遺恨いこんは残り、無根の判例だけが彼を報じていた。


「いやしかし、我ながら素晴らしい演技だったな。いやなに、俺は社会の被害者なのだし、元を正せばそもそもあの女がまるで俺を誘惑する様な格好をしていたのが悪いんだ」

 身なりのよい男性はそう呟きながら、自室に一人で映画を鑑賞かんしょうしていた。映画の内容は超能力に目覚めた黒人少年が、超常的存在であり催眠術さいみんじゅつあやつる空飛ぶ人喰いサメのバケモノを相手に戦うと言う、一言で言うと猥雑わいざつな作品だった。因みに倫理規定委員会の承認をされている、えりを正したきよくく正しい映画だ。

 映画は今中盤ちゅうばんと言ったところで、超能力に目覚めた黒人少年の近しい人が空飛ぶサメに催眠術で自らえさになる様に暗示をかけられ、そしてカメラの外で喰い殺される表現が入ったところだ。

「サメ映画は良い、荒唐無稽こうとうむけいで実に楽しい」

「おや、奇遇ですね。あなたもそう思いますか?」

 身なりのよい男性は耳のすぐそばからした声に肝をつぶし、横を見た。そこにはスーツを着てメガネをかけた典型的ビジネスマンと言った姿の男が、目を細めた営業スマイルと言った様相で立っていた。

「な、なんだお前は!?」

「私ですか? 私は殺し屋を生業なりわとしている虎狼痢コロリ毒座衛門ぶすざえもんと言う者です。ところであなた、サメ映画がお好きなんですよね?」

 ビジネスマン風の男は質問に答え、それから質問を返し、そして身なりのよい男性の答えを聞きもせずに、彼のこめかみに思いっきり拳をめり込ませた。


 月光も無い真っ暗な夜の海、某所で水死体が見つかった。水死体は魚にかじられて検死は困難こんなんであったが、職場では真面目で感受性が強くて影響を受け易いで通っている男性の物と判明した。どうやら直接の死因は溺死できしだが、死体の様子から見てサメに齧られて遺体の大半が損壊そんかいしたらしい。

 何でも、彼は真面目で影響を受け易い人間である事は周知の事実なのだが、彼の行動を洗ってみた所サメ映画を自宅で鑑賞していたことが判明した。この事から彼の人となりと合わせて、彼は作品の影響を受け、自らサメの餌になろうと自殺を図ったと判断された。

 皆、それが真実だと疑わない訳ではなかった。しかし、そう言うものかと納得せざるを得なかった。

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