第三百八十四夜『風邪薬-Unidentified Elixir-』

2023/07/07「前世」「残骸」「ぬれた罠」ジャンルは「SF」


 風邪薬かぜぐすりは作る事が出来たら、ノーベル賞ものの大発見だ。


 これは有名なフレーズだが、知らない人には奇異に聞こえる事だろう。風邪薬と言うのはその実、風邪の症状をおさえているだけで風邪の特効薬ではないのである。

 しかし、これからは違う! 私が作ったこのワクチン、厳密には風邪薬ではないのだが、一度接種すれば一生風邪にかかる事はなくなる!

 しかも材料の確保も簡単だ! 何せ材料は人間の体組織、人間なんて掃いて捨てる程居るし、別段薬の材料も老廃物ろうはいぶつからだって抽出し得る物質なのだ! しかしネックが有るとしたら、それは特別な人間からしか取れない事か。

 そう、風邪薬の材料はバカな人間の体組織だ! 何せバカは風邪をひかないのだ、バカは先天性の風邪に対する免疫めんえきを持っていると言っても過言では無い!

 私がこの仮説を裏付うらづけるために研究したところ、ビンゴ! 私の仮説は見事に正鵠せいこくを得ていた!

 現に動物実験は成功している。私の研究は、風邪に絶対に罹患りかんしないチンパンジーを完成させた! 言わば新猿類とも言うべき存在の誕生、いやチンパンジーと言う名前を考慮こうりょすれば新原人と称しても良い生物の完成である!

 私はこの風邪の特効薬とも言うべきワクチンを自分で接種したい衝動しょうどうに駆られたが、それは理性によって抑えられていた。何せこのワクチンは動物実験こそ済んでいるが、治験の段階は全然全くだ。それに動物実験そのものも、風邪をひかず、健康被害が無い事しか証明できていない。このワクチンを投じたチンパンジーが生殖機能に欠陥けっかんをもたらし、仔が全く生まれてこないといういやな想像をふとしてしまった。

 ならばマウスやモルモットで実験をすればよいのだが、困った事にこれは人間用の風邪薬。人間と同じように風邪をひく動物はサルのたぐいだけであり、その他の動物は人間と同じ風邪はひかないのである。

 しかし、私の作ったワクチンは完璧だ。健康被害は絶対に無いと断言出来るし、理論も完璧かんぺきで、先程の懸念けねんも自分が自分の敵であったらと言う思考実験の結果であり、そもそも私のワクチンがその様な効果を持っているならば、その理論を構築して新しい避妊薬ひにんやくでも作って見せると言う物だ!

「理論は完璧なんだ。ならばいっそ、私が自分で体で実験をしてもいい……」

 そう、独り言が思わず口から出た。

 私にはこの独り言が天啓てんけいの様に感じられ、最高のアイディアに違いないと確信さえした。繰り返すが、。ならば自分の体で実験をしても何の問題があるだろうか? 何せ治験が通ればノーベル賞なのだ、こんな機会は前世にも来世にも有るか分からない!

 恐れなど微塵みじんも無い。最高の日になるだろう。

 私はワクチンを注射器に装填そうてんし、その黄金色の液体を自分の体へと打った。


 街のある病院の診療所しんりょうじょでの出来事だった。待合室でひそひそと世間話に興じる老人グループが病院や医者に関して話していた。

「知ってる? 最近ずーっとお休みになってる先生の事」

「ええ、この間話に聞きました。何でもボケてしまったとか何とか……」

「うん、そうなの。私が最後に会った時はしっかりしていた様だけど、人間どうなるか分からないわね」

「まだお若いのに、そんな事もあるのですねぇ」

「そうなのよ、まだ若いのにボケちゃってリタイアするだなんて、きっとあの先生は長生きするでしょうね」

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