第三百六十九夜『晒-Herostratic fame-』

2023/06/19「おもちゃ」「銅像」「おかしな世界」ジャンルは「大衆小説」


 狂山くるゐやま恐次郎きょうじろうと言う名の、感心出来ない趣味しゅみの男が居た。

 狂山恐次郎の趣味とは自分よりも出来の良い小説を投稿している人間の名前を借り、その名前を登場人物として用いて、精神せいしん障碍者しょうがいしゃとして登場させたり、あるいは犯罪者として登場させたり……とにもかくにも社会的弱者である作中人物として他人を登場させて指人形のごとく動かし、自分がその人物を超越した気になると言う稚拙ちせつ極まり無い悪趣味な物だ。

「コイツは自分よりも周囲から評価されている、アイツは自分よりも周囲から期待されている、あんちくちょうに至っては読者から応援までされている! 許せん! 万死に値する!!」

 そんなこんなで怒りや嫉妬しっとを原動力で創作を行なっているのである。勿論怒りや嫉妬を原動力に創作を行なうのは唾棄だきすべき行為ではないし、それだけならばめられた行為足り得る。しかし残念かな、狂山は創作者として必要な物を数多く欠落していた。

 まずはモラルが無い、次に自分が行なっている行為が法に触れると認知するだけの知能が無い、更には自分が悪を働いたら報復をされるかも知れないと言う自然法や自然状態に関する知識も無い。無い無い尽くしの袋小路ふくろこうじと言った所、更に付け加えると他人から何かを教わると言う殊勝しゅしょうな態度も無いので成長性も無い。

 そんな狂山の文章だが、言うまでも無く凄惨せいさんであった。改行はおかしい、半角と全角の区別がついていない、人名のルビに数字をあてると言う読者の事を微塵みじんも考えていないと言う自分本位の妄動もうどうに走る、誤字脱字は勿論有る、記号とスペースの使い方を理解していない。エトセトラ、エトセトラ……

 狂山の悪癖は元々自分より優れた人間に対する羨望せんぼうに起因する事ではある。しかし彼は道徳の教科書を読むより、こくご一を読むべきだろう。何せこくご一にっている事すら出来ていないのだから、そこから矯正きょうせいしていくのが道理と言う物だ。

「こいつは銃殺! こいつは獄中死ごくちゅうし! こいつは脳軟化症で生きたまま石像になれ! こいつは精神病で脳病院行きだ! うふふ、あはあは、ひゃはははははは!」

 しかし狂山を頭ごなしに否定するのも又、道理とは言いがたい。人間は罵倒ばとうの言葉を選ぶ際、自分が言われる言葉や自分が言われたくない言葉を無意識に選ぶ生き物なのである。例えば作家でも何でもない人間を、『原稿料泥棒!』『締め切り引きばし常習犯!』『書籍しょせきより広告料由来の収入の方が多いダメ作家!』『自分の事をシェヘラザードだと思っている脳味噌のうみそお花畑!!』等とののしったとしても、これっぽちも相手は傷つかないであろう。

 すなわち、この様な悪童の如き立派な犯罪者が居たら、それは良くない事だから止めなさいと真摯しんしに教えるのが更生を目的とした場合は正しいのである。悪童の様な犯罪行為とは、一重ひとえに被害者である証左でもあるのだ。

 もっとも、狂山が行なっているのは繰り返すが立派な誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうである、犯罪以外の何物でもないのである、ハンドルネームだろうが旧姓だろうが個人を侮辱ぶじょくしたら相応の報いがあるのである。

 世間が狂山を許しておく訳もなく、狂山は趣味の小説の投稿が出来ない様にアカウントを凍結された。なるほど温情のある措置そちだ、過去には出版物に対してプライバシー権の侵害として訴訟そしょう沙汰ざたになった事件もある。それに比べたらケツの毛一本残さずむしり尽くされると言った目にわないだけ酷く幸運も幸運と言えるだろう。

 しかし狂山は無知むち蒙昧もうまいなのである、曖昧あいまい模糊もこなのである、無学無術なのである。この様なやからには、自分の幸運を認識するだけの力さえ存在しないのである。

「ふざけるな! 普段俺の作品に全く目を向けないくせに、こんな時ばっかり目ざとく俺の事を見やがって! お前ら全員ナマケモノだ! 差別主義者で何が正しくて何が間違っているのかも分かってない無能だ! 畜生、こんなのインチキだ!」

 誰に聞かせるでもなく狂山はそう叫ぶ。

「くそっ、くそっ、くそっ! こうなったら戦争だ、とことんやってやるぞ!」

 そうは言う物の、やる事は副アカウントの作成と、逆恨みと虚栄心きょえいしんを満たすための文章の打ち込みである。最早鬱憤うっぷんを晴らすために社会悪を行ない、社会悪を行ったためにめられて鬱憤をつのらせ、目的を完全に見失っている。


 集合住宅の一室、作家の男と同居人とが居た。同居人は文庫本を手に、作家の男に対して興奮した様子で語りかけている。

「先生、こないだの悪者小説? 犯罪小説読みましたよ、凄かったです! 何と言うか悪役がすごくいけ好かない奴なんだけど、それでいて悪役キャラクターとしては魅力的と言いますか、どんどん悪の道を転げ落ちる様子は真にせまっていて、インターミッション以外では余り出番が無いのが惜しい程です!」

 そんな同居人の言葉に、作家の男は嬉しそうな笑みを浮かべつつ返した。

「バカも休み休み言ってくれ、そのキャラクターはインターミッションにしか視点を有しないからこそ、キャラクターの魅力があるんだ。考えても見ろ、そんな露悪的ろあくてきなキャラクターが全編で出張っても、読者から『コイツとっとと惨たらしく死なないかなー?』としか思われないぜ」

 作家の男の言葉は憎まれ口染みていたが、目元口元ほおゆるんでおり、彼が犬なら尻尾を千切れんばかりに振っていそうですらあった。

「確かにそうですね、でもこんな真に迫ったキャラクターどうやって書いたんですか? あっ、いつもの『作家は体験した事しか書けない』って奴ですか?」

「まあ半分そうってところかな。あの男はボクの投影や経験じゃないし、ボクはあの男の被害者って訳でもない。ボクはあの男を調査して、説得力がある文章になるよう想像して書いたんだ」

 作家の言葉に、同居人は酷く驚いた。その驚き方たるや、コメディ作品のポスターの三枚目の様ですらあった。

「ちょっと待ってください。それってこのキャラが行なった事と同じなんじゃあ……?」

「何を言っているんだ、君は? 石に泳ぐ魚事件は知らないのか?」

「何ですか、それ?」

「だろうな! 君は携帯端末をいつでも持っているんだろう、それなら分からない事はとっとと調べろ! まあいい、知らない様だから端折はしょって教えてやるが、ボクはプライバシーの侵害にならない様に大いに脚色きゃくしょくをして、けれども説得力を失わない様に文章を書いたんだ。どこかの誰かさんみたく、ハンドルネームやペンネームをそのまま使う事はしていない」

 突然の作家の男の剣幕けんまくに、同居人はポカンと呆然し、そして疑問が胸中に生じた。

「えっと、脚色さえすれば許されるんですか? 本人に許可とかは……?」

 同居人の疑問に対し、作家の男は肩をすくめ、こう言った。

「それがな、ボクは本人に許可を取る積もりだったんだ。けれどもやっこさん、どうにも連絡が取れなくなって……よもや誰かのうらみを買って海の底なんて事はさすがに無いと思うが、誹謗中傷やプライバシー侵害で実刑判決ってのもどうやら前例が無い訳ではないらしいからな……」

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