第三百五十九夜『休肝日-Pharisee-』

2023/06/08「悪魔」「窓」「ぬれた城」ジャンルは「指定なし」


「そうね、今日はやる気が出ないから私はお休みにします。それじゃあ後はよろしくね、時間になったらカギをかけて上がっていいから」

 俺がバイト先の店長にそう言われ、一人で店番をする事になったのはアンニュイな雨の日だった。

 俺の勤め先は不思議な代物を取り扱う小間物屋で、取り扱っているのはいわく付きの物ばかりだ。普段の俺は店内の雑用をさせられていて、商品の取り扱いや解説は主に店長の役目となっている。もっとも曰く付きの品物と言っても、触ったらたちまち死んでしまう様な呪いの人形とかそう言う物はうちには置いていない。ガラス張りのショーケースの中に『絶対に触らない事!!』と札が付けられている商品もいくつかあるが、まあそれは例外とする。

 しかし店長が居ないとなると、俺はほとほと弱る。俺にはこの店の商品のを聞かされる事もあったが、それでもこの店の商品全部見たら極一部に過ぎない。その事を店長に話したら「今日はそうね……休肝日みたいな物かしら? 大丈夫、店番だけしていてくれたら、それで大丈夫だから。それと私の事を聞かれても、今日は休肝日だからと言って、絶対に取り合わない事! いい?」と要領を得ない事を言われてしまった。全く、困った話だ。

 そもそも休肝日と言うのは酒を全く飲まない日の事じゃないのだろうか? それを商店で例えると言うのならば、それは全く店を開けない事を指すのだと、俺はそう思う。だってそうだろう、今日は休日だからバイト先で店番だけしてくれたらいいよ。と、そう肝臓かんぞう君に言ったら、現実の人間ならばデモやストを起こしかねない。

「こんな日に客が来たらどうするってんだよ、全く……」

 そんな時だ、戸に取り付けたすずんだ音を立てて客の到来を知らせた。

「こんにちはー! 愛音あいね居る?」

 戸から店内に入って来たのは奇妙な女性だった。目をく豊かな赤毛を房状ふさじょうにしているのはいい、傘を持っている様子は無く、上半身はラッシュガードを着た上にライフジャケットを羽織はおり、下半身はロングパンツ型の水着、そして全身ずぶれだった。外はそんな土砂どしゃりでもないのにも関わらずだ。

「あらバイト君、愛音に伝えてくれないかしら? ひまだから一緒に一杯どう? って」

 そう言うって全身びしょ濡れの女性は、手提げからビールの缶を取り出して見せた。勿論びしょ濡れ女の手提げの中のビールも冷水の入ったそうから出したようにびしょ濡れだ。

「すみません、アイネさんは今日は休肝日だそうです」

 俺がそう伝えると、びしょ濡れの女性は残念そうな顔をして、手提げにビールをしまった。

「あら残念、じゃあまた今度都合の合う時に!」

 そう言うとびしょ濡れ女は店の外に有った水溜みずたまりに飛び込み、手品の様に消えてしまった。

 俺は今目の前で起きた現象が信じられなかったが、何か人間じゃない存在と口を利いてしまったかも知れない事に気が付き、店長の言いつけを守って良かったと思った。

 俺が心の平静を取り戻そうとしているその時、再び戸に取り付けた鈴の音が客の到来を告げた。

「愛音さん、おわすー? 実は先程賭け事で負けてしまいまして、お酒でも呑みながらなぐさめて貰いに参りましたー!」

 そう言って店内に姿を現したのは、チョコレートの様な肌をした燕尾服えんびふく姿すがたの女性だった。しかしこの女性もどこか様子がおかしい、先程の女性と同じで傘を持っている様子が無いが、この燕尾服姿の女性はちっとも濡れていないのだ。

 燕尾服姿の女性はズズイズイとこちらへ歩み寄って来る。その両手にはステッキと一升瓶いっしょうびんが握られており、店長と一緒に酒盛りをする気が満々だ。

「えっと、アイネさんは今日は休肝日だそうです」

「ちぇー、それは面白くありません。それではまたの機会に改めてうかがいます」

 そう言うと燕尾服姿の女性は、自分の影の中に溶ける様に消えて行った。

 俺はどうも先程、今日一日分の感情表現を心臓しんぞうにさせ終わってしまった様で、燕尾服姿の女性が影に溶けて居なくなった事におどろく事が出来なかった。そんな事より、店長には人外の呑み友が多いのだな……と漠然ばくぜん考えていた。

「愛音先生いらっしゃいますか?」

 鈴の音も無しに客が来たらしい事に不信感を覚えつつも、声がした方を見ると、そこには人間大の大きさのクラゲが窓に口腕こうわんわせていた。

「アイネさんは今、居ません」

 俺は目の前の光景が信じられず、自分は夢を見ているのだと自分で自分に言い聞かせる様に言った。目の前で窓に触手を這わせている巨大クラゲは何かのトリックか夢だ、それしかあり得ない、うん。

「そうでしたか、折角こっちのレポートがまとまったのに……では、レポートが出来たとだけ伝えておいて下さい。先生にはそれで伝わります」

 巨大クラゲはそう言うと、すぐそこの河川に飛び込んで見えなくなった。

 俺は一番非常識な存在が、一番現実的な退散の仕方をした事に眩暈めまいを覚えた。


「と言う事が有ったんですよ、アイネさん。一体何だったんですか?」

 あれから俺は定時で上がって、戸締とじまりをして帰路にいた。帰りの道程でまたバケモノに出くわすのではなかろうか? と、そうビクつきながら急ぎ足で帰ったが、その実何も起きなかった。

 そして今、こうして店長にあの百鬼夜行は何だったのかと尋ねている。

「そうね……失礼な事は承知ですけれども、カナエはあの子達の事、何だと思う?」

 店長はうれいをびた顔で、俺に対して質問を質問で返した。

「えっと、人外の……妖怪か何かでしょうか?」

 さすがに店長の知り合いらしい存在に対し、バケモノと言う表現を使うのは気が引けたので、俺は少々オブラートに包んだ言葉を選んだ。

「そうね。カナエがそう感じるなら、あの子達は妖怪って事になるわ。妖怪もバケモノも人間が使う表現ですもの」

 俺は店長に心を読まれたのかと思い、心臓が鷲掴わしづかみにされる感覚を覚えたが、平静をよそおった。

「じゃ、じゃああの人達……人達? は本当に妖怪なんですか? アイネさんの友人ではなく?」

 俺の質問に対し、店長は憂いを帯びた困り顔のままでこう言った。

「ええ、妖怪だわ。私の様な善良な人間をアルコールの道にいざなう邪悪な妖怪ね」

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