第三百五十一夜『リアリティー-persuasion-』

2023/05/31「海」「少女」「最初の恩返し」ジャンルは「偏愛モノ」


 私は創作にリアリティーが必要と言う論調が苦手だ、嫌いと言ってもいい。

 例えばある少年漫画家は、サービスシーンを描く際にヌードモデルを使ってデッサンをしていると言う。普通はするだろうか? そんな事を。

 これまた少年漫画家を例に挙げるが、蜘蛛くもの怪物と退治した主人公の口に蜘蛛の体液が入るシーンを描きたくて、わざわざ蜘蛛を食べてみたらしい。正気だろうか?

 私に言わせれば、創作にリアリティーは全く必要ない。必要なのは説得力だ。例えばファンタジー小説を書くとして、冒険家が特に理由も無く無聊ぶりょうなぐさめで冒険に出たり、強いて言うなら今のままの収入であると老後のたくわえが不可能でハキハキ働く必要が有るとか、いざ冒険家として勤めに行ったはいいが他の見知らぬ冒険家とは一言も言葉を交わさない人見知りだったらどう思うだろうか?

 文句の一つも言いたくなる出来かも知れないが、これらは全てリアリティーに重きを置いた描写だ。世論が何よりもリアリティーが大切だと押し付ける故の構想こうそうだ、私は悪くない。

 そんな事より、必要なのは説得力だ。上述の様な読みたくなくなる様な設定でも、主人公の心情描写を事細かく行えば、それはそれで読者は納得せざるを得なくなる。何故なら説得力がある作品とは、そう言う物だからである。

 上述の例で言うならば、主人公を一時の快楽に弱い金食い虫の自転車創業者にして、これを理由に常に危険な仕事をしているし、常に借金で首が回らない状態にしておけばいい。これならば危険をおかす理由になるし、シナリオが続く限り冒険を続ける理由にもなる。

 しかし世の作品の数々は、それ以前の物だ。まずキャラクターの人格や行動方針や動機がブレたり存在しなかったりする。特に理由は無いが、冒険に出かけるキャラクターと言うのは存外に世の中に多いのである。普通、特に理由も無くいのちけの冒険に出かける事は出来るのと言うのか、お前らは? 私はそう問い詰めたい。

 特に理由は無いが冒険者ギルドにせきを加入し、特に意思表示はしないが冒険者と自認をしており、特に指針は無いが冒険者と周知されている。その様に無気力だったり流されっぱなしの人間は現実にも居そうなものだが、この様な文を書いたらリアリティーが無いと責められるのである。全く世も末である。そもそもギルドとは何だ? 普通は組合ではないのか? ギルド等と言う表現は国内ではビデオゲームの中でしか聞いた事が無い、お前が書いているのはゲームなのか、小説なのか? ゲームを題材にした小説でも無いのに表現がゲームなのは何故なのか? それこそリアリティーも説得力も無いのではなかろうか?


 私はその様な事を考えながら、テレビの電源を点ける。テレビの中では、今売れていて浮ついた話をよく聞く男性俳優がドラマに出ていた。

『あなたを殺して、あたしも死ぬ』

 番組はサスペンスドラマで、くだんの男が未成年の少女をもてあそんだ挙句、そのもてあそんだ少女に無理心中と言う形で海に沈んで死んでしまうと言う内容だ。なるほど、泣かせた女は数知れずと言った様子でバラエティードラマに出演している男優だ、説得力が有るしリアリティーも有る。


 翌日、この男優が自宅で女性の死体と一緒に、死体で発見されると言うニュースが報道される事を、今の私はまだ知らない。

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