第三百六夜『ポカポカ様-moratorium-』

2023/04/12「地獄」「ガイコツ」「最速の剣」ジャンルは「時代小説」


 ある所にポカポカ様と呼ばれる男が居た、無論本名ではない。彼はある時、次のポカポカ様として選ばれ、その日から周囲の人々からポカポカ様と呼ばれている。

「俺はポカポカ様だ! ポカポカ様にこの店で一番良い酒を持って来い!」

 ある日、ポカポカ様は酒場に入って来るなり、そう言った。

 すると酒場の店員は嫌な顔一つせずにこころよく対応し、注文通りに一番良い酒に、たのまれてもいない酒のさかなも提供した。実に美味うまそうなトウモロコシの煮物だった。

 それだけではない、周囲の人達もポカポカ様に対してうやうやしい態度を取り、ポカポカ様に何かおごろうとする者、ポカポカ様にしゃくをしようとする者すら居た。

 ポカポカ様は頼んでもいないのに出て来た料理に舌鼓したづつみを打ち、それから酌を買って出た他の客は丁重に断った。何せ彼には女神の化身と言っても過言では無い様な美貌びぼうの妻が四人居り、まるで取り巻きの様な言動で彼に付き従っているのだ。

「はい、あーんをしてください、ポカポカ様」

「こちらをどうぞおめし下さい、ポカポカ様」

 そう言って酒を注ぐ、料理をさじで食べさせる。ポカポカ様はただただ幸せそうにそれを味わう。何故なら、何のうれいも無く幸せそうにしている事こそがポカポカ様にとっての仕事なのだ。

 いや、一つ嘘があった。ポカポカ様には何の憂いも無いと言うのは、真っ赤な嘘だ。彼にはたった一つだけ悩み事がある。

 別に金銭の事ではない、彼は豪華で豪奢ごうしゃで豪勢な宝石の数々を身分証代わりに着けているし、そもそもポカポカ様の衣食住は行政ぎょうせいから出ている。

 では四人の妻が居る事が頭痛の種かと言うと、そうでもない。彼の妻は彼の周囲の人々と同じで、ポカポカ様につかえる事を幸せと考えている。つまりはポカポカ様にとって妻は都合の良い他人となんら変わらず、これにどう不義理やいい加減な態度を取ったとしても、最低限のつくろいの態度さえ取れば許されるのだ。

 ポカポカ様と言う肩書が重荷かと言うと、それも少々違う。何せポカポカ様は幸せなのが仕事なのだから、こんなに幸せな仕事は存在しない。そもそも彼は、ポカポカ様に選ばれた時には降って湧いた幸せのチケットに狂喜きょうきしたものだ。かと言って、彼は今の自分の扱いそのものには不満は無い。

 いて言うなら、彼はポカポカ様と言う身分の期限を考えると憂鬱ゆううつになるのだ。しかしポカポカ様の業務にはポカポカ様らしい振舞いが要求され、そもそもポカポカ様は神聖な事業なのだ。ポカポカ様である以上、堂々と幸せそうにする義務があり、周囲の親切心やほどこしを拒絶してはいけないし、何より憂鬱だったり不景気だったりする顔をしてはいけないのだ。故に、彼は酒をんで、酒を呑んで、酒を呑んだ。

 憂鬱を吹き飛ばすべく大量の酒を呑んでいたポカポカ様だが、自分に擦り寄って来た人達の中に一人、ひど幸薄さちうすそうな中年男性が居る事が気になった、いわゆる生まれてこの方異性と交遊をした事が無さそうな感じの男だ。

「どうした、俺の民よ? 何か悩みでもあるのか?」

 そう声をかけられると幸薄そうな男はビクりと反応を示し、自分ごときが声をかけれるとは夢にも思っていなかったと言う風な表情をかべた。

「え、いや、そのポカポカ様……」

「いい、いい。俺は全てお見通しだ、何せ俺はポカポカ様だからな。何か悩みが有るのだろう? 言って見ろ」

 そう言うとポカポカ様は幸薄そうな男性の杯に最高の酒を注ぐ、周囲の人間は止める訳でも無く、羨ましそうに二人を見ている。

「いえ、その、私は……」

「羨ましいだろう? 幸せになりたくはないか? 何なら俺は、お前さんにポカポカ様をゆずってやってもいいんだぜ?」

 おどおどとしていた幸薄そうな男性だが、ポカポカ様の座を譲ると聞くと急に舌の根が回り始めた。

「いえいえいえ! そんな、ポカポカ様を譲るだなんて畏れ多い事、この身にはあり余ります!」

 そう言っている幸薄そうな男性の言葉に嘘は無かった。羨望せんぼうはある、しかし謙遜けんそんも嘘ではない、そして何よりポカポカ様を特別な存在と認識しているからこその発言だった。

「そうか、それならいい。悪い事をしたな」

 そう拒絶されては仕方が無い、ポカポカ様はポカポカ様の座を譲る事を諦め、大人しく酒をあおって憂鬱をまぎらわせる仕事に戻った。何せポカポカ様は幸せそうにしている事が仕事なのだ、酒を呷るのも業務の一環だ。


 彼はポカポカ様になる前、ごく普通の青年だった。彼はある時ポカポカ様になり、つまり一年後に殺される事になった。

 彼はポカポカ様になる前、ポカポカ様と言う存在を親切にする対象であり、それが当たり前と考えていた。そして自分がポカポカ様に選ばれた際、今から一生普通に生きても手に入らない程の幸せが得られる事、何よりポカポカ様に選ばれた事を光栄に思い、喜んでポカポカ様になる事を承諾しょうだくした。この国では余程の変わり者でもない限り、百人中一人棄権きけんする男が出るか出ないかと言ったところで、要するに彼は大勢の民衆の一人と同じだった。

 彼は、彼を含む大勢は、ポカポカ様が最後に殺される事は勿論もちろん熟知じゅくちしていた。何せ前任のポカポカ様は観衆の前で処刑され、痛みを感じるまでも無い処刑刀エクセキューショナーズソードの一閃で絶命し、ポカポカ様を人間の肉体から天に返還すると言う名目で心臓を切りかれ、心臓は太陽のやしろに奉納された。残りの肉体はポカポカ様を務めた死者を忘れない為に、肉は儀式者達が煮込んで食い、骨は綺麗きれいにされた上で同じく社に奉納された。

 それを知った上で、彼はポカポカ様になる事を承諾した。彼や一般の人々にとって、ポカポカ様は栄誉えいよある儀式ぎしきなのだ、処刑が怖くて男が務まるものか。

 しかし、いざポカポカ様になってぜいを尽くした生活を送っていると、それが変わらぬ毎日となってしまい、その先にある処刑が脳裏をよぎってしまう。

 それを恐れぬために毎日酒を呷るのはいいが、いが覚めると自分の命がもうすでに一年も無い事を再確認してしまう。

 そんな中、彼はある事を思いついた。ポカポカ様である事を羨ましがられればいいのだ。

 ポカポカ様の儀式の本意は、一年に一度現人神あらひとがみの心臓を太陽に捧げる事だ。逆に言えば、ポカポカ様になりたがっている奴にポカポカ様を譲ってポカポカ様として相応しい振舞いをさせれば、誰も目くじらを立てる事などしない。

 衆人の目のある所で、思いつく限りの羨ましがられる様な事をする。その結果れそうな男は度々見るが、いざ自分がポカポカ様になれと言われると誰もが決まって委縮いしゅくするのだ。それも処刑が怖いからではなく、自分はポカポカ様にふさわしくないと言った態度でだ!

 恐らくあいつらも、本音を言えばポカポカ様になりたいのだろう、しかし社会通念や道徳心が邪魔をしてそうさせない。そして仮にポカポカ様になったとしても、最初の数日は処刑なんて怖くないと言う態度を取るに違いない。人間、自分がいざ危機的状況におちいるまでは、自分が置かれる状況は理解出来ないものなのだ。

 ポカポカ様はそう考えながら、一刻も早く酩酊めいてい状態になるべく妻達に酌をさせていた。

 しかしポカポカ様は杯を口に運びながら、ふとある考えを脳内に広げてしまっていた。ひょとしたら俺の周囲の人間は皆、必死に幸せな振りをしている俺を見てえつに入っているのでは? 神聖な儀式だと言う顔をしながら、心の中では舌を出して笑っているのでは? この酒場に居る奴らは全員、周囲の人間を羨ましがらせそうと無駄な努力をしている俺を指をさして笑っているのでは?

 ポカポカ様の頭の中にはそんな考えの数々が浮かんだが、全てが馬鹿馬鹿しくなって酒を呷った。

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