第二百五十九夜『けっこんしたい-Drain the swamp-』

2023/02/20「虫」「テント」「激しい運命」ジャンルは「悲恋」


 あの学校にはちょっとした噂話うわさばなしがあった。別に特段珍しい物ではない、よくある七つ不思議のたぐいと言ったところだ。

 曰く、中庭にある池には女神だか精霊だとか何とか、とにかくそう言った存在がひそんでいて、一人で訪れた人間の前にだけ姿を現して何でも願いを叶えてくれるらしい。

 なるほど童話や伝承や都市伝説に触発された様な、しかしそれでいて中々上手い噂話だ。何せ一人じゃないと超常現象とは遭遇そうぐう出来ないのだから、誰かが超常現象に見舞われても目撃者は居ない。前提として証拠が発生し得ないし、否定材料も確固とした物が存在し得ない、どこまで行っても噂話でしかないと言う寸法だ。まさか学校の敷地内しきちないにテントを張って張り込みと行く訳にもいかないし、この噂話を作った仕掛け人は中々のり手だろう。

 もっとも、あの池には精々虫の類しか住んではいないが、噂話なんてのはそんな物だろう。


 さて、この学校に一組のカップルが居た。カップルと言うのは二つ一組と言う意味で、つまりは言うまでも無く恋人の事だ。

 ところで、私個人は一目惚ひとめぼれの両想いなんてありえないと考えている。逆に言えば一目惚れの両想いなんて物は、似た様な環境や経験を積み重ねた果ての必然と言えよう。

 彼女達がそうだった。二人は同じような境遇と感覚を覚えながら人生を送って来た、故に二人が仲良くなった事は自然な事で、二人の仲が進展するのもまた自然な事だった。

 私個人としては同性愛の事を気持ち悪いと思う事は無いが、同時に理解が出来なかった。だってそうであろう、誰だって自分以外の誰かを真に理解する事などどうして出来ようか? 他人の経験を自分の経験で有るかの様に語る人が居たら、それは人情家や理解者ではない、泥棒か詐欺師さぎしと呼ぶのが相応しいだろう。

 しかし、彼女達は違った。二人とも世間からのズレを感じて生きて来た、嗜好しこうが一般と異なると自覚を持って生きて来た。そして、

「聞いた? 変質者出たらしいよ」

「あー、男子生徒ばっか狙うおっさんでしょ? 聞いた聞いた、本当に気持ち悪いよね」

 二人にとって、無二の存在を得る事が出来たのは恐らく幸運と言えよう。しかし、それは同時に不幸でもあった。二人は自分達を呪い、世間が自分達を異物として認識していると感じており、その感情を共有した。

 例えばこれが一昔の時代ならば、まだマシだったかも知れない。例えに例えを重ねるが、騎士道物語にラブロマンスやスキャンダルが必須ひっすであるかの様な風潮ふうちょうは、身分か家柄に因る婚姻こんいんが当たり前だからこそロマンスにえた客層の為に創作されたと言われている。この様な例は多く有り、古今東西のストーリーや童話に見受けられる一種の共通認識と言えよう。望まぬ婚姻こんいんせまられる姫君と真実の愛、どこの国のどの時代でも受け入れられる物だ。

 何より不幸だったのは、時代に因るところでも国に因るところでもない。周囲に相談する事が許されない環境だった。

 誰にも相談する事が出来ないのだから、胸に秘めているしかない。信頼する友人や親に相談する事も勿論もちろん考えた事はあった。しかし、

「あなたは本当に良い子ね、私の自慢の娘!」

 彼女の母親はそう言って、家族写真のフィルムやアルバムを観るのが趣味だった。家族写真や結婚式や披露宴ひろうえんの写真など、もう見飽きる程に見せられた。

「こんないい子なんだから、将来結婚する相手は幸せに違いないわ!」

 そう笑顔で言うのだから、相談を切り出す事は出来なかった。元より二人は思春期なのだ、親に何かを相談すると言う事は、例えそれがつまらぬ事であっても気恥ずかしい。自分の嗜好に関する事など、猶更なおさらだ。


「ねえ、逃げちゃおう?」

「逃げるってどこへ?」

「分からない、でもここじゃないとこ」

「しっかりしなさいよ、私達まだ学生。逃げるって言ったって、どうせちょっとした家出にしかならない!」

 二人は互いに相手の顔を観た。疲弊ひへいして、焦燥しょうそうを覚えている様に見えた。

 客観視すれば二人が抱えている問題はスパッと別れるとか、独立した後に新天地へ出立する準備をすれば良い物と見えるかも知れない。しかし、彼女達にとっては普通に生きているだけで毎日自分達が全否定されている様な物なのだ。

「ねえ、もし私が自殺したらどうする?」

 なんでそんな事言うの? と、そう口に出そうとしたが言葉がのどまで上がって来なかった。最早二人は以心伝心なのだ、何故なんて言葉は言う理由が無い。

「辛くなったら、もしほんとに辛くなったら一緒に死んでくれる?」

 勝手に死んだら? と、そう発破かけの言葉をひねりだそうとしたが、出なかった。最早二人は一心同体で、片方が生きていて片方が死んでいる等あり得ない。


 端的に言うと、その日二人の女学生が屋上から飛び降り自殺を図った。図ったと言う事は、つまりは未遂みすいなのかと言うと、それも少々疑わしい。

 飛び降りた先である中庭の池の岩場には、確かに二人分の血痕けっこんがある。しかし二人は今、共に五体満足で登校している。

 ところでスワンプマンの思考実験と言う話がある。雷に打たれた人間が沼に沈み、そこに更に雷がもう一度落ちた結果、汚泥が化学変化を起こして死んだ人間と全く同質のヒトガタを生み出した。何せ沼に沈んだ人間と顔も脳の組成も全く同じなのだ、記憶も経験も自我も同じと言う寸法だ。

 彼女達にも同じ事が起こった。中庭の池の岩場に赤い染みを残し、池の中で遺体となった二人だが、その遺体が雷に打たれ、失った体組織や血液が汚泥と入れ替わる形で化学変化の結果補われて蘇生そせいした。

 二人は何事も無かった様にバラバラに帰宅して、結果今に至る訳である。

 さて、一度死んだ肉体を汚泥で補い、化学変化を経て健全で五体満足な人間としてよみがえった二人だが、果たして彼女達は元の彼女達と言えるだろうか? 脳は完全に元通りなのだから、人格も記憶も経験も何も変わらないで連続性を保っている。しかし二人は一度死んでいるし、そもそも人間かどうかも疑わしい。元の二人と同一人物と言えるとも、完全な別人だと断言出来るとも言えよう。

 一つ確かに言える事は、彼女達は二人とも今現在、結婚して夫と子供と幸せな家庭を築いている事だけだ。

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