第二百三十八夜『ムボウな作り話-I face to……-』

2023/01/27「来世」「目薬」「人工の中学校」ジャンルは「SF」


 ボクの元へ、ボクの小説はプライバシー権の侵害だと言う抗議のメールが届いた。

 全く無礼な話だ。ボクは確かに数々の犯罪行為を白日の下にさらす形で公開し、ついでに当人の元へとその小説を送った。

 しかしボクはプライバシー権や肖像権に抵触しない様、細心の注意を払って小説を書いている。コイツはプライバシー権および名誉権侵害行為と表現の自由に関する最高裁の判例を知らないのだろうか? いや、判例なんて露程も知らないからこそ、ボクの様なずぶの素人にもすぐにバレる様な犯罪を働くのだろう。

 ボクの書いた主人公は件のコイツとは名前も人となりも言動も異なる、同じなのはやった犯罪行為だけだ。何せ個人の特定が容易な情報を書いたら、それこそ法学の教科書に載る様なバカとしてお縄になってしまう。

 それにこの架空の犯罪者なのだが、この頃はモデルの有無以外も輿論よろんの目が厳しくなっているのだ。そもそも人名としてパッと見ありそうだが、よくよく考えたらあり得ない様な名前を付けてやった。逆に言えば、この架空の犯罪者の存在に鶏冠とさかを立てる人間が居るとしたら、ソイツが犯人だという証左に他ならない。

 ボクはこの事をあらかじめ友人らに話しており、ボクの予見通りに釣りに引っかかったのを笑いものにしてやった。ああ、いい気分だ。

 ボクのやった事は悪い事だろうか? そもそもボクは法律に触れる様な事は全くしていない。加えて言うと、個人を特定できない程度にキャラクターのモデルにすると言うのは世にありふれた手法なのだ。

 知人のカードゲーマーを、嵐の神の化身として自身の作品に登場させた漫画家が居る。

 自分のファンの軽口にイラっとする度、その人を一枚の人物画にして売っている画家が居る。

 仮にボクが見せしめにプライバシー権侵害で捕まったとしよう。そうしたら業界全体への大きな損失だし、他の作家達であってもそうだ。言わば露骨に怒りに触れない限り、ボクは、ボク達は無敵と言っても過言ではない。

 この間は自分より優れた作家全てに噛みつく自己中心で自意識過剰の口だけワナビーを人口一名の星の王様にしてやった。どう見ても人間の名前でない名前にしたので、誰がモデルか気が付くとしたら、この小説を送りつけられたモデル本人だけだろう。

 その前は硫酸を使って犯行声明を行なっていた人間に、ジョン・ヘイグをモデルにした主人公の陰謀と逃走を描いたボク特製の自作小説と、ついでに過去のニュースや判例と言った諸々の資料と一緒に送りつけてやったが、どう言う訳だか連絡が取れなくなってしまった。何でだろうね?

 にも角にも、ボクにとっては実際の人間のやらかした醜聞しゅうぶん御馳走ごちそう以外の何物でもない! ボクにモデルにされた人間は喜ぶ人が半分、怒るか失踪しっそうするかが半分なのだが、ボクにモデルにされたくないなら醜聞を喧伝けんでんせずに、なおかつボクにからんだり噛みついたりしなければいいのに、全く想像力の無い連中の考える事は理解が出来ない。

 嘘だ、ボクは連中の考えている事が分かる。嘘だと思うのならば、小学校の国語の先生に尋ねてみればいい。文章を読み、その文章の作者が考えている事を把握すると言うのはそれこそ初等教育で習得できるのだ。そもそもボクは件の醜聞の持ち主を一人のキャラクターに仕立て上げているのだ、何を考え、何を理由にし、どの様な行動を取るかを考えなければ話が成立しないではないか!

 先述の犯罪者も実年齢をそのまま使ったりなどせずに、承認欲求の怪物の様な中学生と言う設定で書いてやった。未熟な頭脳と心で犯罪にずぶずぶとはまって行く様は我ながら手応てごたえがあった。

 ボクは届いた抗議のメールを笑い飛ばしながら、次に本にする相手を探すべく人間観察を行なう事にした。


 おかしい、うちの近所の通りに人っ子一人居ない。

 もっとも、ボクは基本的に往来の人間をモデルにする事はあまり無い。そんな事より行きつけのカフェだ、あそこなら人も多いし人の種類も老若男女を問わない。

 そう考えて行きつけのカフェに近づくと、外から人影が動くのが見えた。良かった、ボクが知らない間に核戦争が起こって人類は死滅していたみたいな話は絶対に御免だ。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」

 そう愚にもつかない事を考えながら入店すると、店員さんに声をかけられた。

 コーヒーでも注文しようと顔を上げると、そこには目が無く、耳が無く、鼻が無く、口が無いのっぺらぼうが居た。

「ええと、では今日のコーヒーを一杯たっぷりサイズでお願いします」

 これが古典作品ならボクは目を回して失神していただろう、だがそうは行かない。そもそもボクはのっぺらぼうを目前にしているのだ! これをネタにしないで、何をどうすると言うのだ!?

 目前ののっぺらぼうは、明らかに僕の事を知覚していた。つまりあれが実際にのっぺらぼうだと仮定し、顔の被膜ひまくのすぐ下に感覚器が隠れていてコミュニケーションを可能にしているのだろう。耳殻じかくまぶたも無いが、耳も眼球もあると考えるのが妥当だとうと言えるだろう。口が無いのは不可思議だが、人間だって血管から栄養を注入する事があるのだ、腕に人間でいう口があるのだろう。しかし経口摂取の薬とか点眼薬が使えなくて不便そうだ。

 そう分析をしながら、コーヒーの代金を払うべく差し出された銀色の光るキャッシュトレーに小銭を置こうとして、ボクはある事に気が付いてしまった。

 ボクだ。店員がのっぺらぼうだとか、店員がのっぺらぼうじゃないとか言う話はどうでもいい。銀色に光るキャッシュトレーに映ったボクの顔がのっぺらぼうだったのだ!

「う、うわああああああああああああああ!」


「と、言う所で目が覚めたんだ」

「さいですか」

 部屋の中に作家の男と、同居人が居た。作家の男は自分の体験した話をさも面白い話であるかの様に話し終えたところで、同居人はそれを聞き流しながら自分の作業をしていた。

「それで、その話のオチとか教訓とかは何ですか?」

「はっ、そんなのある訳無いだろ。強いて言うなら、全人類がのっぺらぼうになったら、読唇術どくしんじゅつが使える人は困るだろうなってところだな」

 うんざりした様子の同居人に、作家の男はそうつまらなさそうに吐き捨てた。

「でも先生、のっぺらぼうの世界に迷い込んだ夢だなんて、それこそネタになるんじゃないですか?」

「はっ! 人間ってのは地面に足をつけて生きているんだ、夢の中の存在なんてものは無秩序でキャラクター性があったもんじゃないよ。作家は自分で勉強した事しか書けないんだ、夢を題材に書いてもシナリオやキャラクターが破綻はたんするものさ」

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