第百八十四夜『地獄の様な労働環境-He’ll-』

2022/11/27「卒業式」「風船」「増える罠」ジャンルは「王道ファンタジー」


 皆さんは『蜘蛛の糸』と言う寓話ぐうわをご存知だろうか?

 極楽のお釈迦しゃか様が地獄じごくのぞいてみたところ、罪人の中にカンダタと言う、悪行の限りを尽くしたが一度だけ小さな蜘蛛を踏み殺さずに命を助けたと言う善行を成した男を見つけた。

 お釈迦様はこれを理由に彼を地獄から助けてやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタ目掛けて垂らした。

 カンダタはこれを見て喜び、地獄から脱出してやろうと蜘蛛の糸を登り始め、その途中でふと視線を下にやる。すると数多あまたの罪人が自分の下から続いているではないか!

「この蜘蛛の糸は俺のものだ! お前らは誰に聞いて登って来た? このままでは重みで糸が切れてしまう! 分かったらとっとと罪人は降りろ!」

 そうわめくや否や、蜘蛛の糸はカンダタのすぐ上の部分で切れてしまった。

 自分だけ助かろうとし、結局地獄へ堕ちてしまったカンダタを見たお釈迦様は悲しそうな顔をしてその場を去った。

 以上が蜘蛛の糸のあらすじである。極楽は阿弥陀如来あみだにょらい管轄かんかつなのだからお釈迦様が居るのはおかしいだの、強盗殺人や放火を働いた罪人が蜘蛛一匹助けただけで見逃されるものなのか? だのと、疑問が無い訳では無いが、そこは寓話は寓話と言う事で済ませる事にしよう。

 また、これと似た話は北欧や中欧にも見られ、天国の住民が垂らすのはニンジンであったりネギであったり天国の死者の霊だったりで、それを垂らすのも聖人であったり閻魔大王だったりとまちまちだ。

つまりこの寓話は漠然ばくぜんとした集合的無意識であり、漠然とした天国と天国の住民のイメージからなるビジョンと考えれば、極楽浄土にお釈迦様が居る事も説明がつくし、カンダタの罪状が多くの地域でタブーとされている事であって、カンダタの罪状でその社会特有の重罪が含まれていない事も納得である。

 少々横道にれるが、我が国で最も重い罪は外患誘致がいかんゆうちであり、これは殺人よりも放火よりも親殺しよりも重い。一言で言うと、売国奴ばいこくどは人殺しよりも罪が重いと言う訳だ。

 しかしながらカンダタは売国奴ではない。もしも罪の重さに注視して話を書きたいならば、現代日本人はカンダタを絶対に売国奴にするべきだ。しかしこれは漠然とした共通的意識であって、現代法学の教科書ではないのでそんな事は書かない。話の分かる奴だ。

 これから話すのは、そんな蜘蛛の糸とカンダタの話のもう少し込み入った話だ。皆さんは不思議に思った事は無いだろうか? あの場にはお釈迦様とカンダタと他の罪人が居たが、獄卒ごくそつも勿論居たのである。獄卒が罪人をいましめる仕事をサボり、その場に居なかったのでもなければおかしな話なのだが、これはまさしくおかしな話だ。


 カンダタが蜘蛛の糸を登っている途中、疲労を覚えてその手を止めた。何せ現世から地獄の底までは四万由旬ゆじゅんもあるのである、由旬とは人の手の長さ三万二千本分とも言われており、即ち地獄の底から現世までは人間の手が十二億八千万本分の長さがあると言える。しかも蜘蛛の糸が垂らされているのは極楽であって、現世ではないのだからもっともっと昇らねばならない。まさしくこの世のものとは思えぬ話だ。

 カンダタは、もう二度と獄卒に血の池地獄や針山地獄でさいなまれる事のは御免だと考え、金棒を振り回す獄卒の顔を思い出す事で自分の心にむち打ち、自分で自分をふるい立てて糸を登ろうとした。

 しかし蜘蛛の糸を登り始めた瞬間の事は今思い出しても笑えると、カンダタは含み笑いをした。何せあれほど亡者を苛烈かれつに虐待していた獄卒共が、彼が蜘蛛の糸をつかんで昇り始めた途端とたんに大人しくなってざわめき始めたのだ。

「おい、一体どうなっている?」

「こんなの報告に無いぞ」

「しかし、あの糸に触れてしまったら最後、あれに触れた亡者は天国の管轄かんかつになってしまう。俺達は黙って見ていると言う決まりだ」

「しかしこんな形で急に亡者を取って行くのは正当性に欠く行為ではないのか……」

「いやいや、大王様の意向では……」

 獄卒共は喧々諤々けんけんがくがくするばかり、蜘蛛の糸を登る亡者は天国に属するものだから手を下せないらしい、獄卒も所詮しょせん獄吏ごくりの一種と言う訳か。

 そう考えながらふと視線を下にやると、カンダタは予想だにしない光景が広がっていた! 他の亡者が自分のフリーライダーになっているのはまだいい、この蜘蛛の糸は自分の物だが、他の連中も何かしらの善行を積んだと考えれば釈然しゃくぜんとしないものの、納得できなくもない。なんとさっきまで自分達をいじめていた地獄の鬼共が便乗して来ているえはないか!

「俺、本当は亡者を戒める仕事が嫌だったんだ! 極楽に異動させてもらうよう直訴じきそさせてもらおう!」

「仕事なんかやってられるか! 俺は天国へ行くぞ!」

「実は私、金属アレルギーで地獄に居るとずっと皮膚ひふかゆかったんですよ」

 ぞろぞろと獄卒共がやんややんやと各々様々な事を好き勝手言いつつ、蜘蛛の糸を登る。全くいい気なものである。

「お前達、何をやっているんだ! 誰に断わってこの糸を登っているんだ! この糸は俺の物だぞ!」

 プツリ。蜘蛛の糸は音を立てて切れてしまった。哀れカンダタとその他の亡者と獄卒達は地獄へと落ちて行った。

 これを天から見ていたお釈迦様は、何やら複雑そうなを浮かべ、悲しそうな様相で地獄の様子を観るのをやめた。

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