第百四十三夜『肉感的な神像-Black Market-』

2022/10/09「春」「犠牲」「バカな可能性」ジャンルは「大衆小説」


 春一番が吹く季節の事だった。私は一部の好事家こうずかの間で有名な古物商の店で、一言では形容しがたい像を見つけた。

 その半裸の女性を模した像は黒檀こくたんで出来ているのか、うるしを塗られているのか、見事に美しい黒色と質感。それでいて、何とも言えず写実的でいながら魅力的な造形、彫りは緻密ちみつ見惚みほれるやら恐ろしくなるやらの完成度だった。

「その神像が気になるのですか?」

 私が像をマジマジと見ていると、店主の女性が尋ねて来た。

「え? あ、はい」

 私は像に見惚れる様に食い入っていたので、少々応答がぎこちなくなってしまった。変な人と思われたかも知れないが、口コミ曰くこの店主は客対応が悪いと言う話も聞かないし、私は気にしない事にした。

「贈答用ですか? それとも御自身の家に置く積もりかしら?」

 店主の言葉が私の心に引っかかった。何と言うか、魚の小骨が歯間にはさまったような感覚を覚える。店主はこの像を贈り物にするのが常識だと言っている風に、私の耳には聞こえたのだ。

「贈答用? この像は人に贈る様に造られたものなのですか?」

「ええ、これは本来他の人にプレゼントするのが正しい使い方とされているわ」

 こんな見るに素晴らしい像を手元に置かないのは勿体ない気がする。いや、確かにこの様な美しい像はプレゼントしたら喜ばれるだろう。しかし私の心には刺々しいものが宿り、この店主に半ば反骨心はんこつしんの様なものを覚えてしまった。正しい使い方など知ったものか。

「そうですか。この像を購入したいのですが、幾らになりますか?」

 すると店主はこちらを値踏ねぶみする様に見た後に、法外な値段を私に告げた。法外な値段というのは、桁外けたはずれに高いと言う意味で安いと言う意味ではない、具体的に言うと私の年収よりも高い値段だ。

 私は絶句した後、これは私を試しているのではなかろうか? と、そう思った。しかし食い下がらない態度を見せても、値段交渉をしようとしても店主はがんとして値段を一銭いっせんたりともまけてくれない。

「ごめんなさい。こちらも商売だから、これ以上値段を下げる事は出来ないの……」

 そこまで高い値段がすると言う事は、この像はそんなに材質や腕前が良い美術品なのだろうか? しかし、この様に店にショーケースに入れるでもなく裸で置いてあると言うのも高額商品を扱う上で理解が出来ない。

「ああ、それはね、この神像には本物の御利益があるの。そう言う理由で、安売りをする事は出来ない事になっているんです。本当なら、欲しい人の元へタダ同然の値段で渡してあげたいのですけど、この子は安い値段で取引されたがらないの」

 御利益がある神像で、安い値段で取引されるのを嫌がる? 要領を得ない理由だ。それが彫り師の言葉ならまだ分からなくもないが、安い値段で取引するとバチでも当たると言うのだろうか? そしてそもそも神像神像と言うが、これは一体どこの女神だろうか?

「それはロアの神の一柱ひとはしらよ、中米の女神様ね。ご存知かしら?」

「いいえ。その女神像はロアと言うのですか? 初めて聞きました」

 御利益のある女神と言うのならば、何かしらを司る神様なのだろう。私はこの美しく女性的で肉感的な像を見て、愛を司る女神達を連想した。例えばヴィーナスやフレイヤやイシュタルやアメノウズメの様な女神は、芸術や恋愛や性産業に御利益があると言う。そうでなければ大地の慈母神か、ガイアやアルテミスやカーリーの様な他産や母の要素を持つ女神は像のデザインでは乳房にゅうぼうが強調される事が往々にして多く、子宝に御利益があるとされる事が多い。もしくは女性である事は関係なく、肉付きが良い神、即ちバッカスやガネーシャや恵比寿えびすの様に金や酒や大漁の様に分かり易い御利益を授けてくれるのかも知れない。

 そう思案していると、店主は私の考えている事を言い当てる様に像について簡単な説明をしてくれた。

「この神像……神と言うより精霊は、命を司るロアとされているわ。もっとも、人間からしたら精霊も神々も大して変わらないし、精霊像と言うのも長ったらしいから神像と言うけれど」

 なるほど、命を司る女神だったのか。私の推測は当たらずとも遠からずと言ったところだ。

「命を司る女神像ですか。それで御利益がある本物の神像だから、その様な目玉が飛び出る様な値段をしていると……」

 私は店主に対し、猜疑心さいぎしんを含んだ声色で言ってみせた。いいや、この店の話は知っている、この店に偽物は何一つ無いし、値段相応の価値がある商品しか無いのだ。そして何よりこの女神像の美しさは本物だ! 私はどうにかしてこの女神像を手に入れなくてはならない。

「ええ、この店にあるのは全て本物です。本物ですから一切の値引きが出来ません」

 あわよくば値引き出来ないかとか、貸してもらえないかと思ったが、取りつく島も無いとはこの事か。私は仕方無しに、女神像を諦めて帰る事にした。


 私はベッドの中で悶々としていた。目を閉じると、あの美しい女神の姿がまぶたの裏に映るのだ。

 閉じた目の中で、女神の肉感的な四肢が私を誘惑する様すら幻視げんしした。先ほど私は女神像を美の女神と例えたが、私の中であの女神の価値はそれ以上に膨張ぼうちょうしていった。

(私の事が欲しくないの?)

 欲しいに決まっているだろう! 私の頭と心はすっかりあの女神像に囚われているのを感じた。しかしあの店主は、びた一文まける気は無いと言わんばかりに再三再四私の交渉こうしょうを蹴ったのだ。

「決めた! あの店に盗みに入ろう」

 犯罪にう様なすきを見せる方が悪いとは言わない。しかし、あの店は女神像を高額商品を扱う様にショーケースに厳重にしまったりせずに、裸で棚に置いておいたのだ。何かの拍子で紛失したとしても、あちらの責任になるのではなかろうか? 加えて、高価な美術品が盗まれたのならば、普通は保険金が舞い込むものだ。そう考えると、あの店は高額な美術品を不用意に置いて、保険金で儲けるためにわざとやっている気すらして来た。

 そうと決まれば、善は急げだ。私は特に罪悪感を抱く事も無く、くだんの古物商の元へ盗みに入った。


 結論から言って、盗みは簡単に完遂出来た。ガラス切りで窓を開けても警報一つ鳴らず、店内にはカメラの類も無し、加えて夜間は店内に人気ひとけも全く無いと来たものだ。ここまで不用心だと、やはり保険金目当てにわざとやっていると言う邪推じゃすいが当たっている気がして来る。

 そんな事より、今は女神像だ。無事、かの美しい女神像を手中に収めたのだ。私は控えめに言って、有頂天だった。

(やっと私を手に入れてくれた)

 女神像を見ると、私に向ってそう言っている気すらした。

 しかし、人の目に映る場所に飾る訳にはいかない。この女神像は曲がりなりにも盗品なのだ、他人から疑われる様な事はしないに限る。私は女神像を丁度いい金庫にしまい、余暇よかをこれを眺める事で過ごそうと決めた。

(私をもっと多くの人に拝ませてくれないの?)

 見れば見る程見事な女神像の、全身のディティール一つ一つがそう言っている気がした。こんなに美しいものを誰かに自慢しないのは勿体ない! そんな気分になる様だった。しかしそんな事をする訳にはいかないし、そんな事は絶対しない。

 女神像が自分の近くにある。そう思うと、私は安らかに眠る事が出来た。


 眠りについた私の前には、例の女神が居た。像がそうであった様に、顔は頬や口唇が肉感的でいてセクシー、一房にまとめた黒髪も魅力的、体躯もまさしく煽情的せんじょうてきと言うべき、この世の者とは思えぬ美貌だった。

 私は彼女に見惚れ、手を伸ばそうとしたが、手を伸ばそうとしたところで目が覚めた。


 それから私の毎日は色彩にあふれた様になった。何をするにしても気分が良いし、あの女神像がうちにあると思うと幸福感が全身に満ち溢れる様だった。ひょっとしたら命を司る女神と言うのも、あながち嘘ではないかもしれない。なにせ生活が変わって以来、食事や一服の味も飛躍的に美味く感じる様になったのだ。

 それと勿論、例の古物商には近づかなかった。元々お得意さんではなく一見いちげんさんなのだし、急に顔を見せなくなっても疑われまい。それに犯人は必ず現場に戻ると言う言葉もある、何があっても現場になど絶対に戻ってやるものか。

 私は家の外でそんな様子なのだから、家の中で女神像を眺めている間はまさしく幸福の絶頂だった。

(私を誰かにあげちゃったりしないでね?)

 女神像が私にそう語りかけた気がした。そう言えば、この女神像は元々贈答用だと、店主は言っていた。確かにこんな美しい像がプレゼントされたら嬉しくなるだろうが、こんな素晴らしい像を他人に渡すような奴の気が知れなかった。

「誰にもあげたりしませんよ」

 そう像に語りかけると、像が笑った様な気がした。


 そんなある日、私は安らかな気分でベッドに入ると、私の目の前に女神像が居り、快活な笑みを浮かべて話しかけて来た。

「私に随分と入れ込んでいる様ですね、他の人はみんな私を誰かのところへ送ってしまうのに」

 なるほど、これは明晰夢めいせきむと言う奴だな? そう考えながら、私は女神像と会話をする事にした。

「いえいえ、女神様がうちにお越ししてから私は幸せをたくさんいただいています。他の誰かに渡すだなんて、とんでもない!」

「ふうん、それならそれでもいいのですよ。このまま最後まで私の事を手離さなくても」

「いやいや、命の女神さまのご利益で私は毎日活力に満ちあふれています。手離す訳がありませんよ!」

 その時だった、女神像の表情が曇ったようにも、口元がゆるんだようにも見えた。

「あなた、何か勘違いしているようですねえ、私を命の神と紹介されたの? それはちょっとだけ違います」

 命の神でない? あの店主は確かに命を司る精霊の像だと言っていた筈だが、ではこの女神は何の神なのだろうか?

「私は命と死のロア、いわゆる死神と言う奴です。もっとも、命を司る神と呼ばれても誤りではありません」

「し、死神?」

「そう、死神。だから私の事を他の誰かに見せないのか? 誰かの所へやらないのか? と、そう聞いたのに、しゃんとした返事をしないものだから面白くなって静観を決め込む事にしてました」

 私は死神を家に招いて、後生大事にしていたのか! そりゃあ店主も他の誰かに送る商品だと言って高額で扱う訳だ! さては厳重に保管せずに遊ばせるように置いてあったのも、死神を独占していないと言うポーズの為のものだったのか?

「冗談じゃない! 死神だなんて聞いていないぞ! お前は返品だ!」

「あらあらら、さっきまであなたは言っていたじゃないですか、手離すだなんてとんでもない! と。ところであなたが私に用意してくれた金庫、あれって耐火性でしたよね?」

 何の事だ? と、口を開いたが、息が苦しい。急に具合が悪くなったとか、そう言った感覚ではない。頭はガンガンと痛むし、胸や肺はヘドロでも詰め込まれたように気分が悪いし、しかもそれでいて眠くて眠くて意識を保つ事もままならない。

 私は夢の中だが、眠る様に意識を失った。


「ねえカナエ、この近くで火災があったらしいけど知ってる? ひょっとしたらあなたの通学路なんじゃないかしら? もっとも、私は細かい所在は知らないのですけれども」

 不思議な商品を取り扱う店で、かざり気の無いイブニングドレスを着た店主の女性が、従業員の青年に尋ねた。

「ええ、丁度通学路でした。ホームルームでちょっと話題になったけど、それ以上は話題になりませんでした。学校側も特に早退させるとかそう言う事もありませんでしたが」

「ふーん、そうなのね」

 従業員の青年の言葉を聞きながら、店主の女性はカードをグチャグチャと無聊ぶりょうなぐさめの如くき回して綺麗きれいに山札に戻したりしていた。

「アイネさん、何やってるんですか? カード占いですか?」

「いいえ、別に。ただの手慰てなぐさみよ」

 そう言って、店主の女性は山札の上の一枚だけを表にする。

「死神のカードですか?」

「いいえ、タロット占いはカードの正位置逆位置も大切なのよ。これは逆位置の死神、意味は転生、復帰、復活。これは何かの吉兆きっちょうかも知れないわ」

「ふうん、死神のカードの逆が吉兆なんですか。でも死神のカードが出ている時点で不吉な気もしますね」

「気持ちは分かるわ。でも、世の中何が幸運で何が不運かなんて分からないものなのよ、不運だと思った事が意外と事態をマシにしているのかも知れないわ」

 春一番が吹く季節の事だった。店主の女性は新聞紙で補修した、穴が空いたガラス窓を眺めながらそう言った。

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