第百二夜『神様の模造品-Brain shake-』

2022/08/23「来世」「墓場」「見えない時の流れ」ジャンルは「ミステリー」


「ダメだ、全く書けん」

 ある作家が机の前でボヤいていた。その作家は学生時代からノートやキーボードにかじり付いて暮しており、筆の速さが自慢だった。しかし、書けない。

 アイディアはある、やる気もある、仕事環境だって悪くない、体力作りは日課のランニングのおかげでたっぷりだ。しかし、書けないものは書けないのだ。

「書けないなら書けないでいいですけど、俺はもう腹が減りましたよ。そろそろ飯にしませんか?」

 作家の同居人は、作家のなげきもどこふく風と言った様子で提案する。同居人の嘆きよりも自分の腹の具合、追うなら自分の頭上のハエと言った態度だ。

「そうか、もうそんな時間か。分かった、何か作るとしよう」

「あれ、今日はいつもみたいにキレ芸で俺に口撃しないんですか?」

 作業を切り上げて冷蔵庫へ向かう作家の男に対し、同居人は意外そうな顔をして言った。

「いや何、君を預かっている身でもあるからな。それに学生って言うのは腹ペコだって相場が決まっているから、ボクはボクに正当性を与える為に食事の提供は怠る積もりは無いぜ」

 作家の同居人は形用し難い表情を浮かべ、何か言いたそうに口をへの字に曲げたが、その事に作家の男は気付かなかった。

「そうだな、腹ペコと言えば、この間ボクが体験した話があるんだが、君は同物同治どうぶつどうちと言う言葉は知っているか?」

「何ですか、それ? 初めて聞きました」

「かいつまんで言うと、足が悪いなら鳥の脚を食べると体に良いと言った様な薬膳やくぜんの思想だな。足だけでなく、内臓ないぞうの調子が悪い時にはホルモン焼きを食べたり、或いは頭が悪い奴にはクルミを食わせる」

「え、クルミ? なんでですか、それは?」

「それは君、割ったクルミは脳味噌のうみそとそっくりだからだよ。そんな事も知らないのか? 今君がいじってる端末があるだろう、調べたら画像の一つや二つくらい出るんだから手を動かせ、手を!」

 作家の男は酷く呆れた口調で同居人に言い、結局口撃するじゃないか……と、言いたげな目で作家の同居人は彼を見た。

「まあそれを踏まえた上での話なのだが、この間のボクはある企画に招かれたんだ。何でも、調を食べる事が出来ると言う触れ込みだ」

「神様が調理した料理! それってどこかの有名なシェフがお忍びでやって来るって事ですね?」

 同居人は作家の言葉に目を輝かし、作家の男はこれを想像も及ばないような底抜けの間抜けを見る様な視線で一瞥した。

「違う、君は一体何を聞いているんだ? ボクは、調を食べる事が出来る触れ込みと、そう言ったんだ。神様が調理した料理じゃあ断じてない! 耳の穴かっぽじってキチンと聞けよ? 事の起こりはこうだ……」

 作家の男は冷蔵庫から食材を取り出しつつ、同居人に対して語り始めた。


 ボクは交流のある作家に誘われて、あるレストランに来ていた。いわゆる隠れ家的レストランで、厳密な会員制や一見さんお断りという訳でも無いが、レストラン自体が発信していたり公に知られている情報は当り障りの無い物。しかし、レストランそのものの評判や口コミやうわさはおよそ荒唐無稽こうとうむけいな物ばかりであった。

 例えば、この店の料理を食べた客は店内で脱皮して別人の様に若返って帰るとか、他には美人のウエイトレスと見せかけた人間そっくりの高性能ロボットの研修の場だとか、店員は全て逆さ吊りで客もそれに従わないといけないのだと言う噂もあるし、国際保護動物をクローン技術による家畜化に成功した業者とパイプを持っていると言う人も居て、或いはこのレストランに入れるのは死の間際の人間だけだとか、もしくは古今東西の神々の標本が冷凍されていて料理されているとか、実は全ては真っ赤な嘘で、実際はただの豚肉料理専門店だとか……

「それで、この戯けた噂の数々はどう言った意図の元の産物なんだ? 見た感じ普通の店で、よもやしょうもない噂を自ら口八丁で語って、ミーハーな客を呼び寄せているなんてお粗末な顛末じゃないだろうな?」

 ボクはこの店へ誘った交流のある作家、奥井おくいニヒトに尋ねた。すると奥井の奴は、それが聞きたかったのだ! と、そう言いだしそうな笑みを浮かべて返答した。

「荒唐無稽な噂が複数ある。ミステリー小説で、そう言う場合何が真実だと思う?」

 バカヤロー、コノヤロー、質問を質問で返すんじゃねえ、ボクがお前の国語の教師なら百点満点中零点にしているところだ。全く、ボクが教鞭きょうべんを振るっていた時期に、何かの間違いで奥井がボクの生徒だったらどんなに良かった事か!

「つまり君は、噂は一番荒唐無稽な物一つだけが本当だ。と、そう言いたいのだな?」

 ボクの言葉に、奥井は嬉しそうかつ意地悪そうな満面の笑みを浮かべた。あ、これはさぞ得意げに、教師でも何でも無い人間の癖に、相手を値踏みして点数をつける人間の顔だ。全く、なんて性格の悪い人間なのだろうか、どんな教育を受けて来たらこんな人材が完成するのかと嘆かざるを得ない。

「十点中六点ってところ、実は噂は二つだけ真実だ」

 ほら出た、ボクの想像した通りだ。こいつのニヤニヤ笑いを浮かべる顔を、目をのぞけば眼球から脳味噌に伝って感情が手に取るように分かる。

「はいはい、分かった分かった。で、君の言う真実って言うのは何なんだ? 面白くなかったら、もといボクの肥やしにならない事なら今すぐ抜け出したいのだが」

「いや、損はさせない。ここでの食事は必ずやあなたの肥やしになる。事実この店は豚肉専門店で、ミートローフが看板メニューと言う事になっている。しかし、この店は神様を調理して客に出しているんだ」

「続けてくれ」

 別にボクは奥井の言葉にはさしておどろかなかった。バナナ型神話と言って、各国の神話や伝承には神が人間に食べ物を授ける話は多い。加えて、キリスト教やその異端いたんとされる神話では、神は命であり食べ物とされている。他にも日本神話や北欧神話には、神の身体から出た物が食物として扱われている。つまり、このレストランはカルティックで悪趣味な肉料理店と考えれば、何も矛盾は無い。

 そもそも神様だなんて形而下けいじかに存在出来ないものだし、それを豚肉と偽って出すのも根本的におかしい。ならば、例えばチャーシューで神像を作って客に出す店とでも考えればおかしくはない。店のキャパシティーが多くなさそうだったり、店に妙な噂が多々あるのも、その様なパフォーマンスを行なう店であって、今日のショーは終りました。と、店じまいをするタイプのレストランだと仮定すれば、全てがに落ちる。

「この店に予約を取り付け、注文する事が出来た最高のメニュー。これから私がたのんでシェアする予定のメニューは、豚肉で作ったマンガの神様の脳味噌!」

「わー、すごーい、意外だなー、信じられなーい」

 そんなこったろうとは思っていたが、なるべく真摯しんしに驚いてやった。一応同僚と言っても過言でもない関係だし、向こうは精いっぱいのサプライズなのだ、酷く感動した様子を見せてやらないのは失礼と言う物だ。

「そうでしょう、そうでしょう。豚肉の組成やたんぱく質は人間のそれに近いと言われています、それで偉人の脳味噌の模型を作って食すのです。クルミを食べると頭が良くなると言われている様に、いわゆる一種のゲン担ぎと言う物」

「なるほどなー、感心するぜー、想像もつかなかったー」

 アホか、脳味噌を食った程度で頭が良くなってたまるか。それなら世の受験生は学習塾に通わず、羊の脳味噌のシチューと参考書でも食わせておけば試験に合格するだろうが!

 まあもっとも、話題作りに食べられる人間の脳の模型と言うのは興味が無いと言うと嘘になる。ここは感謝して神様の脳味噌とやらを食ってやるとするか。

「一昔前に話題になったでしょう、マンガの神様を模した人工知能がマンガを実際に描いたと! ひょっとしたら私達はマンガの神様の生まれ代わりであるかの様に、素晴らしい作品がかけるかも知れません」

 奥井はそう言って、張り付いた様な笑顔のまま食事の到来を待った。


「それで、どうなったんですか?」

 作家の同居人は、続きを聞きたそうに作家の男に尋ねた。作家の男は何やら湯を沸かした鍋に面を向けながら、同居人に告げる。

「ああ、どうって事無かったぜ。味も本当に豚肉で作ったミートローフって感じだったがね、ニンジンとタマネギのみじん切り入りの奴だ。あの話はさっきがピークだったって訳さ」

「え、いや、もっとこう感想は無いのですか? 本物の脳味噌そっくりでグロかったとか」

 作家の同居人は、露骨ろこつに肩を落として文句を言った。お前の話は何ひとつ面白くない。そう言いたげな声色だった。

「うむ、ボクはイギリスの化学産業博物館でチャールズ・バベッジの脳味噌を見た事あるが、まあ確かにあの豚肉は人間の脳の模型と言って差しつかえなかった。それ以外は特に言う事も無いな、はっきり言って美味くも不味くも無かったし」

「いやもっとこう、食べたら頭が良くなったとか、アイディアが湧いて来たー! とか」

「無いよ、ある訳無い。仮にあるとしても、ボクはそのマンガの神様の作品は全部読んでるんだ。文字通り全部頭に入っていると言う訳さ」

 作家の男は自分の頭部を指で指し示して言うと、茹で終わった料理を皿に盛りつけ、それを食卓に運ぶよう同居人に指示した。

「さあ出来たぞ、豚しゃぶのクルミ蕎麦そばつゆがけだ。神様の脳味噌なんかよりもずっと美味いと、ボクが保証するぜ」

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