第百一夜『あの日食べた味-Baby is Father of the Man-』

2022/08/22「おもちゃ」「ミカン」「人工の子ども時代」ジャンルは「ギャグコメ」


 妻は疲労や空腹の限界を迎えると幼児になる。

 これだけ言うと、よくある事とか可愛いものとか鬱陶しいと思われるだろうが、全然違う。

 少なくとも、妻は幼児になっても暴れたりはしない。

 俺と妻は共働きをしている。

 平たく言うと、妻の手の届かないところは俺の管轄と言う事になる。

 ただ、この説明だと俺が家で料理当番をしている事に矛盾が生じる事になるが、妻は俺の料理を一口食べると自分の料理よりうまいからと放棄してしまったのだ。全く、いい加減なものである。

 曰く、小さい頃に食べた思い出の味に似ている……だ、そうだ。

 俺の作る様な、まさしく男飯と言った様な食事で満足してくれるのはいいが、俺の料理に似た味と言うのが少々気になる。

 いや、追求する程の疑問でも無いが。


 * * * 


 ある日帰宅すると、妻がソファーで腹ばいに倒れていた。

 顔は見えないし、経緯を見ていた訳では無いが、恐らく化粧も落とさずに倒れたのだろう、だらしないものだ。

 一応意識の有無を確かめると、甘ったれた口調で、おなかがすいた……とうめき声を漏らす。

 オーケーオーケー、作ってやろうじゃないか。元より料理は俺の趣味だ。


 台所に入り、まずは鍋に水を注ぎ、沸騰したところに乾燥中華麺を入れる。

 これらの待ち時間の間、具材の下拵えも忘れてはいけない。

 中華麺が硬めに茹で上がったら、これをザルに入れて鍋を空にする。

 空になった鍋にゴマ油を引いて、串焼きなどに丁度いい大きさに切った長ネギを炒める。

 長ネギの表面に焦げ目がつき、いい匂いがしてきたら火を止め、たっぷりの水を鍋に注ぎ、顆粒状のトビウオとカツオ節とカットしたニラとを入れて沸騰させる。

 鍋を沸騰させる間に、挽肉をこねて餃子の皮で包む。

 この時欲張りすぎないのがコツで、限界まで詰め込もうとしない事でテンポも見栄えもよくなる。

 今回は見送るが、餃子のネタにカレー粉を入れるのも良い、あれは餃子で白米を食べる時に最高の味付けの一つと言える。

 だが今回作るのは炊き餃子、シンプルさとストロングさを要求される料理であって、アレンジなどしたら炊き餃子風のアレンジ料理になってしまう。

 鍋が沸騰したら、餃子を入れる。

 あとは火が通ったら完成で、何も難しい事は無い。

 ついでに言うと米を用意する必要も無い、炊き餃子のシメはラーメンがオツなのだ。

 米を入れて雑炊にするのも悪くないかもしれないが、俺に言わせればラーメンの無い炊き餃子なんて嗜好品の無い人生の様な物だ。

 餃子が茹で上がった時間に、ザルに入れておいた中華麺と、それから柚子の粉末を一つまみとを鍋に投入する。

 これで俺の炊き餃子は完成だ。

 俺は鍋敷きとお椀を用意して鍋を食卓に置き、妻に声をかける。

 泥の様に倒れていた妻は、俺の声で態勢を起して寝ぼけ眼で俺に目を向けた。

「おにいさんはだれ? ここはどこ? おかあさんは?」

 もう慣れたものだ。

 妻は疲労や空腹の限界を迎えると幼児になるとは言ったが、それは幼児の様になると言う意味ではなく、文字通りの意味だ。

 幼児なのだから大人になってから俺と結婚した記憶は無いし、俺は見覚えのない大人の男と言う事になる。

 これは全くの蛇足だが、俺は今の妻くらい幼い頃はオモチャのフライパンやらキッチンやらでままごとをして遊んでいた。

 つまり、今俺がこうしているのはちょっとした必然な気がした。

「そんな事より、飯が出来たぞ。お前の好物の炊き餃子だ」

 そう言われると、妻(幼女)は喜び勇んでテーブルに着く。

 何と言うか、我が妻ながら誘拐でもされそうで危なっかしい。

 手を合わせていただきますをして、二人で炊き餃子と鍋ラーメンを食べる。

 妻はおいしい、おいしい、と俺の料理を誉める。

 そりゃそうだ、彼女の言う事には幼い頃から好きだった味と瓜二つなのだから。

 妻は食べている内にくちくなったらしく、食事の最中に普段の妻に戻っていた。

「あー美味しかった、幸せー」

 易い幸せだ。

「そりゃどうも、お粗末様でした」

 俺はそう言って、冷蔵庫の中から杏仁豆腐を出す。

 だらしなく頬を緩めていた妻は目の色を変え、ますます喜色を顕わにした。


 * * * 


 しかし俺にそっくりな味付けの料理と言うのは一体どこないし誰の料理なのだろうか?

 聞いた当時はふーんとしか思わず、興味は殆んど全く無かったが、何となく頭の片隅で存在感を覚える程度に疑問に思い、俺は妻に尋ねた。

「うーんとね、よく覚えてないけど家族のお兄さんが作ってくれたのよね。でもあのお兄さんが誰なのかよく分からないし、いつの間にか居なくなっているし、家族に聞いても私しか存在を知らないみたいなの」

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