第九十八夜『ラッパの音が-for horsemen-』

2022/08/18「昼」「歌い手」「家の中の主人公」ジャンルは「サイコミステリー」


 樽編だらむ大学の森教授と言えば、その道の人で知らない人は居ない傑物だ。恐らく彼と分野が交わる人は、何かしら彼の著作や論文に必ずや触れているであろう。

 森教授の研究分野は犯罪心理学で、彼はこの道の権威とまで言われており、彼の研究内容は、ミンメイパブリッシング社から出ている心理学や法学の教科書にも載っている。即ち、間接的に森教授の世話になっていない学生は居ないといっても過言ではない。

 森教授の現在の研究内容は魔笛まてきと呼ばれる物だ。着想の元は、象の鳴き声はラッパに似ている為、ラッパを用いれば象とコミュニケーションが取れると言うおとぎ話。まさかそんなバカな! と思う事なかれ、学問とは案外他愛の無い出発点から成る事もあるものなのだ。

 森教授は当初、象と対話出来る笛が実現出来るのならば、それは猛獣をなだめる笛だと理解した。本能的に恐ろしい音を出す魔笛を作れば、防犯グッズとして活用できるに違いない。森教授はそう考えて開発に乗り出した。

 こうして出来た試作品一号は中々の結果を見せた。一度魔笛を吹けば、ブンブンと耳元で羽虫が飛び回る様な感覚に陥る。これには堪ったものではなく、被験者は驚き耳元を手で払う。

 しかし、これに森教授は満足しなかった。例えば狂えるオルランドには、一度吹き鳴らせば周囲の人間は皆逃げ出さずにはいられない魔笛が登場し、この魔笛の前には軍隊も怪物すらも恐慌状態に陥ると言われている。

 無論魔笛を防犯グッズとして売り出す以上、弱すぎては意味が無い。しかし、魔笛の効き目が強すぎて被験者や仮想敵が魔笛を聞いてストレスの余り死んでしまったりしても、それは本末転倒と言う物だ。狂えるオルランドの魔笛の様に、下手人がパニックを起こして逃げ出す様な代物が森教授にとっての理想なのだ。

 試行錯誤を繰り返す中で、森教授は考える。そもそも魔笛とは何なのか、人間の心理に働きかけて恐怖を覚えさせる音色とは何なのか。そして、魔笛にも先進国と後進国があるのでは無いのか? と考え、そして聖地に最高の魔笛が展示されていると言う話を突き止め、信頼に足る友人を取材に向かわせた。

 自分の様なインドア人間ではなく、取材や旅行と聞けば喜んで頷く様な人間だ、きっと今回も嬉々として受けてくれるだろう。


 取材から帰って来た森教授の友人は酷く興奮していた。彼のまとめたレポートや資料、それを語る彼の話はにわかには信じられない内容で、恐らく伝説であり誇張なのだろう。

 博物館には四つの色の異なる魔笛が安置されており、その色は白赤黒青だと言う。

 白い魔笛は聞く人を興奮させ、他人や物や動物に暴力を振るわずにはいられなくなり、それは他者が視界にある限り続くのだと言う。その結果この魔笛を吹いたが最後、最後の一人を除いて人間は一人も居なくなる。

 赤い魔笛は聞く人を恐怖させ、自己生存本能を極限まで高めると言う。その結果、目に映る他人全てを死に至らしめようとするのだとか。この魔笛の白い魔笛と同じく、吹くと一人を除いて人間が生存出来なくなる魔笛と言えよう。

 続く黒い魔笛だが、先述の二角と違って剣呑だが安穏と言える。この魔笛を聞いた人間は摂食中枢が刺激され、決して満腹を感じなくなる。その為この笛を聞いた人間は、昼も夜も限界まで食い続けても食い足らず、限界まで食い続けた為嘔吐し、そしてまた限界まで食い続けるのだと言う。

 最後の青い魔笛だが、これも黒い魔笛と同じで暴力的では無いものの、危険極まりない事には変わらない。この笛を聞いた人間は自分を病気に罹ると思い込み、事実身体中の免疫機能や微生物が壊滅してありとあらゆる病気に罹ってしまうのだと言う。

 なるほど、どれも人間の本能や機能にまつわる効果だと言えよう。人間の本能にけしかける響きを鳴らす笛だと仮定するなら、あり得ない事かも知れない。もしくは、これらの魔笛は一種の遺伝病の様な物を引き起こす生物兵器と考えれば、それはそれであり得ない事なの知れない。森教授は友人の話を聞いて、そう四角の魔笛を仮定した。

「面白い話は聞けたが、君の研究には役に立ちそうにもないな。よもやそんな事が本当だとは思えないし、増してや流石のもりあつし教授にもそんな笛作れないもんな」

 旅行帰りでご機嫌の友人を前にして、森教授はニコニコと笑った。彼は危険行為を嫌ってはいたが、何よりも不可能とか証明出来ないと言った言葉で自分を評価されるのが嫌で嫌で仕方がない性分だった。

「そんな笛は作れないよ。私にかかれば作ろうと思えば作れるが、そんな笛が実際に鳴ったらこの世は終わりだからね」

 森教授は自信満々にそう言った。

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