第八十八夜『犯人の部屋に有った物-Men in White-』

2022/08/08「影」「歌い手」「正義の枝」ジャンルは「大衆小説」


 樽編だらむ大学のもりあつし教授と言えば、その道の人で知らない人は居ない傑物けつぶつだ。恐らく彼と分野が交わる人は、何かしら彼の著作や論文に必ずや触れているであろう。

 森教授の研究分野は犯罪心理学で、彼はこの道の権威とまで言われており、彼の研究内容はミンメイパブリッシング社から出ている心理学や法学の教科書にも載っている。即ち、間接的に森教授の世話になっていない学生はこの道に居ないと言っても過言ではない。

 森教授が自室でテレビの電源を点けると、ワイドショーが先日発生した凶悪犯罪を報道していた。キャスターは犯人の部屋の中にはやれアニメがあっただの、やれマンガがあっただの、やれ小説があっただの、やれゲームがあっただの、悪影響がどうだのと自説を語っている。

 実を言うと、森教授はこの意見には半分、いや八割方賛成だ。何せ人間はすぐに影響を受ける生物であり、外部からの刺激で犯罪に走るなんて事は普通にあり得る事だ。

 しかし森教授はこの分野を大真面目に研究しており、傾向やデータをしっかりとっているし、エビデンスだってちゃんとある。彼は養殖のフグが無毒になる様に、外部からの刺激が全く無い温室育ちならば人間は恐らく犯罪に走らないだろうと言う研究成果を得ているのだ。

 だってそうであろう、あなたも犯罪作品のアニメを観たら犯人の所業に忌避感きひかんを覚えるに違いない。ある人は被害者の言動に怒りを覚え、犯人を擁護するかも知れない。人間とはそう言う風に出来ているのだ。

 しかし、あなたは犯罪作品や戦争作品を観たり遊んだりして、人間を殺したくなるだろうか? 七面倒くさい上に危険で露見ろけんのリスクもあるトリックを用い、手作りの武器を使い、目撃されたら社会的に人生が終わる様な行為をしたいだろうか? 大半の人は上述の様に忌避感を覚えるだろう、なんてたって人間なのだから。

 本題はこれからである。それでも森教授は、犯罪や刺激と無縁の生活を送った人間は犯罪を行なう事が無いと論文にしたためている。これはいわゆる性善説と言うよりは、自然法や自然状態に則った論調だ。犯罪と言う概念や手段が無ければ犯罪に走る事は出来ないし、もっと言えばやったらやり返される事など子供だって分かる。あなたもズルをされたからズルをした、悪い事をされたから悪い事をやり返したんだと言う記憶の一つや二つはあるだろう。

 ではどうしたら犯罪や刺激と無縁の生活を送り、犯罪を行なう事が出来ない人間を作る事が出来るだろうか? ご存知の通り、小説やゲームやアニメよりも犯罪や刺激を含む媒体が存在する、それを徹底的に取り除けば犯罪率は激減すると森教授は論文の中で語っている。

 そう、である!

 みなさんは新聞やテレビによる報道でどれだけの犯罪を知っただろうか? マンガやアニメによる犯罪なんてものは週に一回単位だが、新聞やテレビは日にちをずらして毎日犯罪を取りあげるし、テレビに限って言えば同じ犯罪を時間や切り口をずらして日に何度も報じる。単純にニュースによる犯罪への影響や助長はアニメの七倍以上と言って問題は無いだろう。いや、実際の件数にも因るが七倍では足りぬ、件数や報道の頻度を見るにニュースによる犯罪の助長はマンガやアニメの四十九倍程あると見做みなす事が出来よう。

 そんな馬鹿な。とおっしゃるかも知れぬが、あなたはニュースや新聞で被害者が可哀想だから犯人に同じ目に合わせろと思った事は無いだろうか? 即ち、あなたはニュースや新聞の影響で犯罪に走りかけているのである。これがアニメや漫画ならば、作り話だと話半分に笑い飛ばしても構わないが、報道でそんな事をしたら不謹慎ふきんしんだと怒鳴られる。故に、神妙な顔持ちをして真面目に話を聞かなければならないのだ。どちらが人間の心や頭に強く働きかけるかは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。

 しかし、森教授のこの論文は評価がされていない。それもその筈だ、キャスターや文屋だっておまんまの食い上げは御免だし、コメンテーターに至っては犯罪に関するコメントで食っている人間も居るのだ。報道が無くなったら困るし、もっと言えば犯罪が無くなったら困るのである。だからこそ、犯人の部屋に新聞やテレビがあっても言及しないし、端末からニュースやワイドショーを見ていた形跡があっても、彼らは見て見ぬふりをするしかない。

 全く、邪悪な連中だよ。と、森教授は溜め息をついた。

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