第七十四夜『桜の木のある家-play God-』

2022/07/24「花」「鷹」「無敵の廃人」ジャンルは「SF」


 ある民家のすぐ隣に鳥居とりいがあり、やしろがあり、桜の木があった。

 しかし民家と神社と鳥居とは時代のうつろいに応じて取り壊され、民家があった跡にはマンションが建ち、マンションの敷地内しきちないには桜の木が残るのみだった。

 こう言った事はここら辺りにはよくある事で、あちらの家屋の敷地内には未だに鳥居と社があり、あちらのスーパーはなんと屋内に鳥居と社がある。

 そのマンションの隣には酒場があるのだが、こんな世の中である、酒を飲んで世間の事を忘れたい人が度々訪れる。今は夕方と言うには少々早い時刻で客はまだ居ないのだが、珍しい事に仕事あがりらしい客が一人店に入って来てマスターに注文をした。

「こんにちは、何か強いのを一杯いただけますか? 仕事場に物盗りが入って仕事どころじゃなくあがるハメになってしまいまして」

 なるほど、早い時刻に仕事あがりらしい事には相応の理由があったらしい。その客は出された酒を飲み、客が自分一人しか居ない環境故の場酔いか酒の力か、物盗りに入られた事、現場検証で追い出された事、勤務時間に調査協力、ついでに普段の職場での鬱憤と不満を立て板に水と愚痴り始めた。

 これに対し、酒場のマスター足るもの言うまでも無い聞き上手、ははあ、なるほど、それは気の毒に、と、客に親身風な相槌あいづちを打ち続ける。

 これに気を良くしたか、毒気を出し切ったか、客は機嫌がすっかり治ってしまった。傷はすっかり癒されたのだ。

「いやしかし、ここはいいお店ですね、ここから見える桜も立派なものだ」

「あの桜ならあのマンションの物です。あなたも入居すればシーズン中は好きなだけ眺める事が出来ますよ。ただ、あの桜は……」

「ただ、何ですか?」

「おっと失礼、今から話すのはただの噂話、信憑性しんぴょうせいもエビデンスも他愛も無い話です。実はあの桜はある神社の名残でして、名のある神さんの化身だとか、或いは人を魅入みいるとか言われております」

 マスターは客に対して神妙な態度でそう語る。眉唾物まゆつばものの話かも知れぬ、されど酒の席の話と言うのは何故やら誇大こだいな物や突拍子の無い物であっても記憶に残って信じられるのだ。

「人を魅入ると言うと、何かたたりでも? それだとあのマンションの住民はみな呪われているのでは?」

「ええ、あの桜の木の神さんに魅入られると人は死んでしまいます。その条件はかつて桜の木のあった家の主達と同じく、米寿べいじゅを迎えた瞬間です」

「米寿? 八十八と言う事ですか? つまり、あのマンションの住民はみな八十八まで生きるのですか?」

 マスターは客の疑問攻めに頷き、肯定した。

「ええ、その通りです。何の因果か、皆一様米寿でぽっくり逝きます。しかしそれが偶然か桜の木に宿った神さんのせいかは分かりかねて、噂になっているところです」

「その、例えば住民の人で交通事故にあった人などは?」

「勿論おります、無事退院して米寿を迎えた後亡くなりました」

 客はマスターの言葉にゴクリと音を立てて唾を飲む、マスターの言葉が嘘か真か測りかねている様子だ。

「もし本当にそうならば、例えば末期癌まっきがんの患者も」

「おりました、入居してから癌にさいなまれ続けながら米寿を迎えて亡くなりました」

「医学界にこのマンションの事をご存知でしょうか?」

「あのマンションと桜の木の話は事実無根の噂に過ぎません。そして仮にこれが真実だとしても、まだ生きられる人間を米寿に迎えに行ってしまうのですから医療人とは相いれませんよ。人間その気になれば八十八より更に生きられるのですから」

 客の脳裏にはあるビジョンが作られていた、畳の上で布団の中で老人となった自分が生きたい生きたいと言いつつ、幽霊にり殺される映像だ。

「興味深いお話ありがとうございました、いくらですか?」

 代金を払って席を離れようとする客に、マスターは追い打ちをする。

「よろしいのですか? あのマンション、まだ幾つか部屋が残っているようですよ」

「いえ、私は遠慮しておきます」

 人間長生きしたがるものだが、死ぬその日が決まっていると分かればもっと生きたくなるものだ。増してや、長生きした後に死ぬ日が決まっている人生となれば、万人が首を縦に振るかどうかなど……

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