第七十三夜『家の戸を開けたら鬼婆が居た-hag me-』

2022/07/23「現世」「トマト」「希薄なヒロイン」ジャンルは「邪道ファンタジー」


 家の戸を開けると鬼婆が居た。絵本に出て来るような、恐ろしい形相で、頭から二本角を生やし、皮ばった皮膚と節くれだった手と鋭い爪をした奴だ。今鬼婆はうちの居間でテレビを見ていた。

「婆ちゃん、夕飯の材料買って来たよ」

 なんて事は無い、鬼婆は私の祖母だ。それも拾った私を育ててくれたとか、そう言う事ではない、実の祖母だ。

「ああマーゴおかえり、それはなんだい?」

 鬼婆は少々呆けた様な口調で私に質問した。

「鶏モモ肉、今からこれをチキンのトマト煮にする」

「そうかい、マーゴが一人で捕まえて来たのかえ? マーゴはすごいねえ」

 前言撤回、鬼婆はちょっとボケが入った感じで私に接した。

「ちげーし! 私普通の人間だし、ニワトリとか捕まえる事もバラす事も出来ないから! 普通に業務用スーパーの安売り」

「そうかい、マーゴは優しいからねえ。どれ婆ちゃんがお小遣いをあげよう」

 そう私に甘やかすように語る鬼婆の様子は、完全に覇気が感じられなかった。私が幼い頃、包丁片手にウサギを獲って来た鬼婆とは同一人物とは思えない……いや、今でもボケた様子で包丁をオーブントースターに振りかざしたりしている事があるから、悪い意味で同一人物だと信じられる。

「お小遣いが欲しくてやってる訳じゃないからいいよ。それから婆ちゃん、調理の邪魔のだから厨房に絶対来ないでよ?」

「そうかい、邪魔だなんて、マーゴは釣れないねえ」

 強く言い聞かせないと、この鬼婆はもたつく足取りで縁を手で掴みながら厨房で何か手伝おうとにじり寄って来る。先日なんて、私がグラタン皿をキッチンミトンで運んでる最中、厨房の入口で包丁を持ったまま立ち塞がって大変迷惑だった。

 フォークで鶏もも肉に無数に孔を空け、カレー粉で揉んで酒に浸ける。大根を切り、下茹でし、大根を茹でている間にタマネギ、ニンニク、その他野菜を刻む。大根に火が通ったのを確認し、苦みが出た茹で汁を捨てて、白菜と大根とかつお節を大量の水で新たに茹で始め、味噌汁の準備は万端だ。

 味噌汁を仕掛けたところで鶏肉を液から取り出し、タマネギとニンニクとオリーブ油と一緒にフライパンに投じる。タマネギとニンニクが柔らかく、鶏肉の両面が茶色く焦げるまで火を入れ、ここにトマト缶と水少々とコンソメと練乳と醤油を入れて蓋をして煮詰める。ニンニクとトマトの旨味成分がソースになって、漬け込んだ鶏肉と調和すると言う寸法だ。

 こうして出来上がったチキンのトマト煮を炊き立てのライスにかけ、脇に完成させた味噌汁と冷蔵庫から取り出したる漬物を添える事で完成。

「婆ちゃん、ご飯できたよ!」

「そうかい、マーゴはすごいねえ」

 覇気が無い鬼婆だが、食事を摂っている時だけは幼少の頃の私の記憶そのままの姿だった。碌な食事を摂らない老人から老衰して死ぬと言う意見を聞いた時は、鬼婆の事を思い出して納得した。

「マーゴの作るご飯は美味しいねえ」

「私はお母さんのマネをしているだけだから、実質婆ちゃんのお陰みたいなもんだよ」

 そう言うと鬼婆は嬉しそうな顔をして、私に意見する。

「ドーちゃんはお料理学校に通って勉強したからねえ、二人ともお料理が上手なんだねえ」

 私の母は鬼婆ではない。いや違う、私の母は祖母と違って鬼婆なのだが、これはそう言う意味じゃなくって、私の母は歴とした人間と言う意味だ。人間として生まれ、人間と結婚し、私と言う人間を産んだ。

 鬼婆と人間のハーフが人間と言う事は、恐らく鬼婆は劣性遺伝子であって、鬼婆の因子を持つ人間同士の交配で無い限りは人間が生まれて来るのだろう。確証は無いが、そうでなければ世界中鬼婆だらけになってしまうのだから、そうに違いない。

 その後鬼婆は私に、ヘルパーさんが来た内容、ヘルパーさんはいつも優しく、私の話をすると共感したように相手をしてくれる事、ご近所さんと世間話をした事、お昼や夕方のニュース等の話をした。私はその話を食事をしながら、食器を片付けながら、食器を洗いながら、食後のお茶を淹れながら飲みながら聞き、鬼婆としばしの会話をしていた。

「もうこんな時間か、じゃあね婆ちゃん、また明日」


 大学の近くのマンションに帰り、とっとと明日に備えるべく、歩きながら服を脱いで風呂場へ向かう。洗濯物は溜まってないしないし、今日は別にいいか……親や鬼婆には見せられない光景だが、一日位サボったり放置しても人間どうにかなるものだ。

 風呂場で顔を洗い、シャワーを浴びながら自分で自分の顔を見つめる。熱いシャワーが体にかかり、気持ちいい。

 顔を見ても分からない事だが、今日の夕方あたり無性に前頭部とつむじの間が痒くて仕方がなかったのだ。触ると何やら尋常でない固さの物があり、掻きむしると分厚いかさぶたが皮膚から落ちた。

 こう言う事は月に一度かそれ位あり、私が十五の頃からずっと続いている。この事は誰にも言ってないが、私はこの肌色の分厚いかさぶたが生える感覚が痒いだけでなく途方も無い違和感を覚えており、入浴する度こうしている。

 皮膚が硬質化し角を形成する病気、或いは生態が存在するのは知っている。だがしかし、こんな簡単に爪でひっかいて削げる様な物は角でも何でもない。恐らくこれは鬼婆の形質を持っているが発現していない特徴なのだろうと思っている。

「大体、角なんてものがこんなに小さくも柔らかくもある訳ないっしょー」

 私は誰に聞かせる訳でもなく、シャンプーをしながら自分に言い聞かせる様に言った。


 大学の授業が終わり、業務用スーパーで徳用冷凍餃子とニラを買って鬼婆の家に向う。

 今日は炊き餃子でも作ってやるとしよう、鬼婆もきっと喜ぶ事だろう。しかし今の自分はまるで赤ずきんの様だが、届ける先がおとぎ話のバケモノと言うのは中々おかしな話だな。と、そう考えながら鬼婆の家に到着する。

「婆ちゃん、夕飯の材料買って来たよ」

 家の戸を開けると鬼婆が居た。しかし今、うちの居間には鬼婆が居ない。寝室かなと? と思い、鬼婆の寝室を覗くと彼女はそこに居た。

「婆ちゃんどうしたの、お昼寝?」

 そう声をかけて気が付いた。鬼婆の様子がおかしい、一見眠っている様に見えるが、様子が眠っている人間のそれではない。体に触ってみると、酷く冷たかった。


 それから私は気が動転しながらも、後から思うと自分でも驚く程冷静に医者と両親に連絡をした。鬼婆が死んだ事が悲しくないのではない、ただただこれが現実だと信じられなかった。

 医者が言う事には鬼婆は老衰で亡くなったと見られ、ヘルパーさんの言う所には普段通りに過ごしていたらしい。

 別にケガや病気で亡くなれと言う積もりは毛頭無い、しかし私は鬼婆が死ぬ時は家族に見守られながらだとなんとなく思っていた。しかし、現実は彼女は独りの時に亡くなったのだ。私は胸にぽっかりと穴が開いた様な気分になり、医者に電話をした事も、どたどたとうちに家族が来た事も朧気で夢の中の出来事の様だった。全部夢ならいいのに。

 私は明日もあるから、と言うよりは今日あった事が飲み込めないままマンションに帰り、夕飯も食べずにシャワーを浴びて寝た。今日も頭は痒かったが、掻きむしる事はしなかった。


 家の戸を開けると鬼婆が居た。

 家の戸を開けても鬼婆はもう居ない。

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