第七十五夜『口ほどに物を言う-face to face-』

2022/07/25「水」「犬」「穏やかな遊び」ジャンルは「百合」


 蒸し暑い夏のある日、日本中の何割かの人間の背後に人の頭ほどある勾玉が浮かぶ現象が発生した。

 背後に勾玉が浮かんでいると言っても当人は気付かない、後ろに頭くらいの大きさの勾玉が浮いているよ。と、そう教えられて振り返るのだが、勾玉は背後にあるのだから振り返ると勾玉も顔の向きに付随して動き、当人には訳が分からない。しかもこの勾玉、鏡や写真には写る事が無くて本人にはまるで存在が証明出来ず、しかし勾玉が生じた人の周囲の人は勾玉があると主張しているのである。

 何よりこの勾玉には表情豊かな顔がついており、勾玉が生じている本人が怒れば赤くなって怒り顔を浮かべ、本人が悲しめば青くなって涙目になる。この事から勾玉は確かにその人に紐づいていると分かるのだが、本人にだけは分からないのだ。

 ある人はこの顔の付いた勾玉を見て、一霊四魂だ! と気が付いた。しかし、勾玉の名前に気が付いただけであって、なんでそんな物が湧いて出たかは分からない。おまけに一霊四魂と言うにも書くにも呼ぶにも長い名前が定着しない、単に勾玉とか顔と呼ばれていた。

 ある勾玉は教師に生じた、ある勾玉はバイトのチーフ、ある勾玉は会社の上司、もしくは単純に誰かの親だとか先輩と言うだけの人にも生じた。そして勾玉はいつでも背後に浮いている訳では無く、人によってまちまちだが消える事もあり、一人で居る時には必ず消えていた。

 勾玉が生じた人は実害があると言う訳でも無く、強いて言うなら自分が怒っていたり悲しんでいると周囲に知られるのが何となく嫌だな。と、そう考えて感情を抑える程度であった。

 その一方で、勾玉が見える事を助かると称する人達は少なからず居た。ある生徒は教師が怒っている事を知る事が出来て、自分の調子に乗った態度を収めたり、申し訳無さそうな態度を取り、或いは逃げの一手で勾玉から頭に血が上った様子が消えるまで逃げ失せた。

 何かしらのグループに所属している人々は経験則と情報交換の末に、この顔つき勾玉が出現する現象を、目上の人達の顔色をうかがわずに済む便利な現象だと定義し、特に不思議な物と思わない様になった。何しろ理屈や仕組みは知らないが、便利なものは便利なのだ。人間は便利な物にはすぐに慣れるし、便利な物の仕組みを考えるのは専門家の仕事と相場が決まっている。


 ところでこれは勾玉が生じ始める前日の出来事である。時期は夏、笹飾りに短冊が飾られており、その場には二人の女子中学生が和気藹々と話している。

「ねえ短冊にお願い、何書いた?」

「あたし? 人間関係とか親や先生の顔色うかがうの苦手だからさ、みんなが他人の顔色をうかがわなくてもいい世界になりますようにって、ね。カズは?」

「ああ、私こう言う願い事とかするイベント苦手でねー、サチの願いが叶いますようにって書いときました」

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