第六十二夜『黄金の鉛の塊で出来た魔法の矢-arrow of Cupido-』

2022/07/11「西」「リボン」「役に立たない魔法」ジャンルは「SF」


 みなさんは猿の手と言うご存知だろうか?

 猿の手のあらすじは以下の通りである。

 ある老夫婦が呪術によって三つの願いを得る機会を得た。一つ目の願いに老夫婦は大金を願ったが、二人に飛び込んできたのは事故死した息子の訃報と金貨二百枚の和解金だった。

 老夫婦は二つ目の願いに、息子に帰って来てほしいと願った。すると真夜中になって家の戸をノックする音がし、息子が帰って来たのだ! と歓迎するも、外に居る息子は腐敗した挽肉が無理矢理歩いているとでも形容すべき有様であった。

 老夫婦は恐れおののき、三つ目の願いを使い、息子を墓に戻してくれ! と誓願する。するとノックの音は止み、呪術の品はその力を使い果たした。

 はてさて、恐ろしいのは果たして老夫婦のささやかな欲だろうか? それとも、そのささやかな願いを曲解して積極的に不幸を呼び込む猿の手だろうか? それともやっぱり、死者を蘇らせようとする老夫婦のエゴだろうか? いやいや、結局死者を不完全な形で蘇生すらしてしまう猿の手だろうか?

 しかし今から話すのは、呪いのアイテムも、恐ろしいしっぺ返しも、邪悪な魔女も出て来ない話です。どうかご安心してお聞きください。


 部屋の中に二人の女性が居た。二人は幼い時からの親友で、家族ぐるみの付き合い等ではなかったが、今こうして別々の大学に進学した今でも、時々互いの家に訪れては泊り込んだりしている。そして連絡を取ったり、お互いの人間関係にも関心がある、そんな仲であった。

 女二人が額を寄せれば、する話は決まっている。趣味の事、音楽の事、食べ物の事、異性の事、何も特別な事は何ひとつ無い。いや一つだけあった、この部屋の主にはこの日の為に温めておいた、とっておきのおまじないがあったのだ。

「ねえねえ、このマンションの近くにある素敵な小物屋さんは知ってる?」

 部屋の主は、訊ねて来た友人に無邪気に訊ねる。

「小物屋さん?」

「そう、小物屋さん。そこの店長さんが、魔女の様な素敵なドレスを着ているの。そこでこんな物を買ったの、恋愛成就のお守りなんだって」

 そう言って部屋の主は、赤いリボンが中央に結ばれた、金色に輝く矢の模造品を取り出した。模造品と表現したのは、矢の先端は鈍く丸く、どうやっても刺さりそうにない形状をしていたからだ。持つと金属質な外見に違わず、重い事には重いのだが、重厚な金属と言う感覚もせず、どうやら金に似せた卑金属製か、即ち黄鉄製であろう。

「恋愛成就のお守りが矢なの? まるでキューピッドねえ」

 友人の言葉に、部屋の主はすっかり気分を良くし、うきうきと興奮気味に言葉を連ねる。

「そう! キューピッドの矢みたいで奇麗だなーって、そうして眺めていたら店長さんが、手に取って観ても構いませんよ。って、そう言ってこの矢の持ってるおなじないの力を話してくれたの」

 曰く、その矢を両手で握って想い人の事を想像し続けてくださいな、そうしたら必ずその人があなたの元へやって来るの。この矢はまさしくキューピッドの矢を模して作ろうと、西の地方のまじない師が作ったのですから。だそうだ。

「ねえねえ、今ここでジェイクさんの事呼んでみない? 実はうちにジェイクさんを呼ぶの初めてなんだけど、今なら二人きりじゃないから言い訳もつくし、いいかなーなんて……」

 ジェイクとは部屋の主の彼氏だ。部屋の主と彼は、友人との縁で知り合い、今や定期的にデートをする仲で、最早部屋の主は目の前の友人よりもジェイクとの方が親密と言えるかも分からない。そしてその事は友人も承知だ。

 しかし、友人はその提案に難色を示す。

「それは良くないんじゃないかしらね? ジェイクだって自分の都合があるでしょうし、そのおまじないを信じる訳じゃないけど、想い人を強制的に呼びつけるんだとしたら大した傍迷惑道具じゃない」

「ええ、でもあの人は私のお願いだったら、いつどこへでも君の元に駆け付けるよ! って行っていたから」

「いつ、どこでも、君の元? へえー、随分大きく出た事、それはそれは御馳走様」

 ここまで惚気話をされたら堪ったものではない、友人は部屋の主に対して疎む心を隠さずに毒たっぷりの口調でそう告げる。しかし、部屋の主はそれがどうしたと金色の矢を握り始める。

「ジェイクさん……ジェイクさん……ジェイクさん……」

「ちょっと待って、あんた何やってるの?」

 友人は部屋の主に対して、自分の皮肉が通じなかったからか、憤った親が子供を叱りつけるかのような態度で怒鳴る。

「何ってジェイクさんを呼んでるんだけど? ジェイクさん……ジェイクさん……ジェイクさん……」

 するとマンションの呼び鈴を鳴らす音がした。それも共同玄関ではなく、部屋の扉についた呼び鈴を、だ。なるほど、魔女の説明したおまじないは本物だったのである。

「すごい! 本当に来た! 今開けるね、ジェイクさん」

 部屋の主は来訪者がピンポンピンポンと鳴らす呼び鈴に応えるべく、両手で矢を握りしめたまま立ち上ろうとし、しかし、いきり立ったに手を強かにはたきつけられた。その拍子に彼女の手から矢は叩き落された。

「え? え? 一体何を?」

 呆然とする部屋の主に、友人は目には涙、髪は乱れ、顔は青くなった状態で抱き着いた。

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! でも違うの、あの人が全部悪いの! あなたは何も悪くないの! だからその矢の事は忘れて!」

「ねえ一体どうしたの? 様子がおかしいよ、私で良ければ何でも聞いてあげるよ?」

 友人は怯えた子供の様に泣きつき、部屋の主は彼女を両手で抱きしめながら、まるで母親が子供をあやす様に彼女を撫でた。

「ごめんなさい、ジェイクは私の彼だったの。でも、あんたと会って一目惚れしたとか言いだして、ジェイクの事が許せなくて、私はジェイクの事を殺して埋めたの! だから、今さっき扉の外に居たのはジェイクなんかじゃないの! ジェイクはもう居ないの!」

 扉の呼び鈴を鳴らす音は止んでいた。誰も扉の呼び鈴を鳴らさないし、誰も扉をノックしないし、扉の外には誰も居ない。

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