第三十四夜『さよならアース-wormhole-』

2022/06/13「前世」「狼」「最悪の城」ジャンルは「サイコミステリー」


 その男、仮にジェイとしよう。彼はジャーナリストだった。彼は上司からさる宗教機関の取材と、可能ならあっと驚くような素破抜きをして来いとの指示を受けていた。

「きさらぎ様……ですか? 何ですか、それ?」

「きさらぎ様はきさらぎ様だ、私も詳しくは知らん、それを調べるのがお前の仕事だ」

 ジェイは上司から貰った資料に目を通したところ、新興宗教で神道だか神仏習合の一派で、特に布教活動を目立ってしている訳でなし、かと言ってネットで活動もしていないから雲を掴むような話だ。新興宗教ならば目に余る様な布教活動をする連中が悪目立ちするが、そういう新興宗教では無いらしい。宗教理念を大々的に掲示板に乗せているのはどこの寺や神社でもそうだが、どうやらきさらぎ様と書いた紙が貼ってあるだけらしい。ネットで活動していない為、情報を得るには直接取材でもしないといけないと言う事だ。

 何やら怪しいオカルト雑誌に載っているマイナー宗教の様だな。とジェイは思ったが、口にはしなかった。うっかり当人たちの目の前でその様な事を言ったら無礼千万だ。


 ジェイがきさらぎ寺院を訪れると、何やら神主装束を着た男性が対応した。穏やかで優しそうで、特に浮世離れした様子が無いとか感性が俗人と差が無いと言った印象の男だな。とジェイは思った。

 神主はジェイを歓迎し、和風な応接室に通し、お茶とお菓子を用意した上で、取材を受けた。神主はジェイの取材に対して宗教的恣意を含む言葉はあまり言わず、現代人の心のケアや不安感、郷愁の念や理想郷への焦心、或いは恋に恋する心と言った心理学的、もしくは哲学的な内容ばかりを話す。ジェイは宗教機関に関する造詣が深い方では無かったが、人の心の中に神を見いだすのがきさらぎ様なのかな? と、取材内容を記録しながら漠然と考えた。

「故に現代人の心の患いを、心の枷を外す様に解決し、しかして法や秩序は守る。そんな理想郷を作る為に一人一人が活動するのがきさらぎ教なのです」

「なるほど、それから誌面に特別載せたい内容は他にありますか?」

「いいえ、きさらぎ教の教えは以上で全てです。言うなれば他の宗教と同じで善人であれば、それでいいのです。私共としては、記事に関してはこれまで同様重きを置いておりません故、記者様の思うままに書いていただければ結構です」

 意欲の無い連中だ。と、ジェイは思った。こいつらはひょっとしてずっとこんな調子だから、これまで記事を雑誌でもネットでも作れずに居たのではなかろうか? そしてわざわざ新興宗教を立てる必要があるのだろうか? 確かに既存の宗教とは別に、緩い宗教を作ると言う意図は分かるが、それで宗教を興すと言うのはどうなのだろうか。ジェイの頭の中に様々な考えが浮かんでは消えた。

「はい、分かりました。あなたの思いや言葉はしかと人々に伝えます。本日は取材をさせていただきありがとうございました」

「いえいえこちらこそ、世の人にきさらぎ教の事を知って頂く好機に与かり、喜ばしい限りです」

 ジェイは一礼し、応接間を後にし、出口の方へと一人で向った。

 いや、彼にとってはここからが本番だった。彼はジャーナリストになるべくしてなった人間なのだ。猫の様な好奇心、カササギの様な堪え性、サルの様なフットワークと体幹! 素破抜きと言う言葉が服を着て歩いているのがジェイと言う男の性分だ。

 ジェイは人の気配がしない通路を選んできさらぎ寺院のあちこちに無断で侵入したり、カメラで写したりして回った。そしてきさらぎ寺院の地下室である物を発見した。

「これは、何だ?」

 そこにあるのは奇妙な大きい球だった。一見すると博物館に置いてある電気実験の球体の様であり、ミラーボールの様であり、天球儀の様でもあった。何重にも輪が回転していて、その中心には何やらプラズマ光の様な物が生じている。そんな球が部屋いっぱいの質量を持っており、中心のプラズマ光を生成している機関ですら大の大人一人が入れるほどに大きいのだ!

「それは理想郷の門ですよ」

 後ろから声がして、ジェイは振り返る。そこにはなんと、神主の他に多くの信徒がずらずらといつの間にか立っていた。嘘だ、ぱっと見で二十人以上居るぞ! それなのに足音や衣擦れや息と言った気配が全くしなかったではないか! ジェイは最早混乱の最中で、冷静さを手放しかけていた。

「理想郷、の門?」

 ジェイは振り絞る様に声を発した。得も言えぬ恐怖が彼の最後の冷静さだった。

「ええ、門です。この装置を使えば理想郷へ飛ぶ事が出来るのです」

「待て、いや待て。さっきあなたは哲学や善性こそが理想郷への鍵だと言っていなかったか?」

 ジェイがそう訊ねると、神主は悲しそうに顔を伏せた。そう言う間にも信徒はじりじりとジェイを包囲していた。

「ええ、その通りです。きさらぎの教理に嘘偽りは全くありません。しかし、理想郷への門を開くのに人間の思考や善性では到達する事は出来ないのです。しかしこの装置を使えば誰であっても、理想郷の片鱗を体感出来るのです!」

 最早信徒は完全にジェイを包囲していた。空気は剣呑そのもので、ジェイは何時取って喰われるか分からない。

「嘘偽りは無い? お前のそれは誤謬とか欺瞞って言うんだよ! この装置を使って、俺に何をする積もりだ!?」

「あなたにはここであった事を外で話されると我々としても少々困ります、故にあなたは門の向こう側へ行ってもらいます。言い方を変えると、あなたはこれから地球の外にある理想郷へ行ってもらいます。やれ!」

 神主はそう言うと、信徒はスクラムを組んでジェイを装置の中心へ押し込んだ。

「おい、やめろ、馬鹿! 助けてくれ! 俺には妻と娘が!」

 装置の中心へ押し込まれたジェイは、自分が掃除機に吸い込まれる様な感覚に包まれ、視界が地下室を通りぬけ、そして視界一杯の宇宙が広がった。


「ここはどこだ?」

 ジェイは周囲の様子を窺った。何せ宇宙空間へ飛ばされた様な気すらしたのだ、周囲に空気があるかどうかも怪しいと言えよう。

「空気よし。見た感じ森の様だな、しかし見覚えのある植物だらけだ、どうやらここは地球と植生が近い星なのだろうか?」

 それだけではない、ジェイが目にした虫、リス、鳥も全て地球で見た物と同じと言えた。

 どこか分からぬ場所へ飛ばされたと思ったが、そんな事は全く無かった。森を抜けたジェイの視界に飛び込んできたのは、近所の街並みと瓜二つのそれであった。

 全く訳が分からない。ここは地球なのか? 地球にそっくりな別の惑星なのだろうか? ジェイの脳内には疑問符が飛び交い、何か手掛かりを探さなくてはと通行人に訊ねた。

「すみません、ここは何という星ですか? 私は地球と言う星から来たのですが」

 ジェイは変人を見る冷たい目で一瞥された。


 ジェイには全く訳が分からなかった。自分は地球の外へと追放された、確かに追放されたのだ。しかし、今財布に入っている通貨は使えるし、言語も通じる、景色も空気もかつて居た土地と全く同じ。それだけでなく、自宅そっくりの家へ訪れるとなんと妻と子供のそっくりさんまで居たではないか! しかも、妻と子供はジェイを見ると家族と認めて来た。

(俺は頭がおかしくなったのか? しかしここは地球ではない。俺は地球から追放されたのだ)

「なあお前、きさらぎ教って知っているか?」

「ええ、勿論知っています。この間も街中で聖典を配っているのを見ましたよ、みんな知っているメジャーな宗教なのだから布教の意味があるのか甚だ疑問ですけどねえ」

 やはりここは地球では無いのか? ジェイの脳は今やパンク寸前だった。

 しかしジェイの受難はこれだけでは終わらない。職場へ行くと、なんと昨日きさらぎ寺院へのインタビューをサボり、営業へ行く振りをしていた事にされていた。しっかり仕事をしたのにサボっていたと上司に絞られ、ジェイの疑問は臨界点を超越してしまった。ジェイは上司にきさらぎ寺院で体感した事全てをぶちまけた。

「何を言っているんだ、君は? 医者に診てもらったらどうだ? 何かあって私の責任にされてはかなわないからな」

 そう言って半ば無理矢理病院に放り込まれる始末、ただ自分の身にあった事を話しただけで、である。

 病院でもジェイは自分の身に起った事、自分の心に生じているズレを訴えるが医者は妄想か夢かとマトモに取り合わない。それはそうだ、医者からしたらきさらぎ教と言う世界的規模の宗教の地下に何やら訳の分からぬマシーンがあると訴えられているのだから、要領を得ないのはそちらの方なのだ。


 ジェイが理想郷に来てから一カ月、心には常に空白があり、それを紛らわせる為に定期的に酒場で呑んでいた。無論一人でだ、きさらぎ教はマイナーな新興宗教ではなく、世界規模のメジャー宗教なのだから、あんな話をする訳には行かないし、万が一口を滑らせるとも分からない。

 そんな中、ジェイには新しい友達が出来ていた。たまたま酒場で隣の席の男が、酔いつぶれた状態で、地球へ帰りたい、地球へ帰りたい……と呻いていたのが知り合った切っ掛けだ。話してみた所、その男もきさらぎ教にまつわるズレを認識しており、地球から追放された男だと主張していた。今では連絡先も交換し、ジェイとは無二の親友としてうまくやっている。

 今夜もジェイとその男は酒を呑んで談笑している、この時だけは二人にとってまさにこの星は理想郷だった。

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