第三十三夜『逆説的終局証明-The End of the World with You-』

2022/06/12「闇」「無敵の廃人」「過酷な運命」ジャンルは「SF」


 定職に就かずに生活している、あまり感心できない男がいた。

 彼は小説を投稿し、広告料やら何やらを貰って日々を過ごしていたが、無論そんな小銭では生きていけない。彼は糊口を凌げない時はカジノでその日その日の糧を買える程度の小銭を稼いでは生活していた。

 彼は心理学を修めており、カード勝負では負け無しだった。いや、負け無しは言い過ぎか、絶対に大敗はしないと言った方が正しい。

 相手の目や指を凝視すれば、相手の考えが読める。別段超能力の類でも何でもなく、カード遊びを長年続けたおかげで自然と身に着いたものだ。

 無論読心術が使えようとも余りに勝てば警戒されるし、そもそも彼の使える読心術は繰り返すが特別な物ではない。アメリカの衛兵を見れば分かる、皆サングラスをして相手に考えを読まれない様に務めているのだ。

 そんな訳で、相手が勝つ積もりならすぐに降り、相手がハッタリをしているなら警戒されない程度に吊り上げる。男はこれで食い繋いできた。よもやカジノ側も読心術が使える人間が小勝ちし続ける為に心を読むからとマークはしないし、そもそも小勝ちする人間全てをマークする訳には行かない。

「ダメだ、書けねえ」

 彼にとって小説は人生であり、カジノでの勝敗以上に死活問題だった。アイディアがあるが文章が書けない、この事が如何に地獄であろうか! このままではベッドの中で悶々と眠れぬ夜を過ごさなくてはならない。

「そうだ! 昔マンガで読んだぞ、タイムマシンを作って明日の俺に小説を書いて貰えばいいんだ! さすがは俺だな、冴え渡っている」

 男はそう言うと鏡を机に設置し、携帯端末の録音を入れて自分に暗示をかけた。

「お前は明日の夜の俺だ、俺に伝えるべき事を伝え終わるか五分経つかしたら暗示は解ける。三、二、一、キュー」

 男は鏡に写った自分に気を失ったようにされ、目を閉じたままで喋り始めた。


「さて、成果は是か非か。俺が読んだタイムマシンのマンガでは、明日のマンガ家が明後日のマンガ家に助けを求めて無限に時間の捻じ込みが発生していたな」

 男は暗示から正気に戻り、愚につかぬ独り言を言いながら携帯端末の録音を再生し、そして驚愕した。

 聞こえてくるのは男の溺れる声! 助けを求めてもがく声! 彼は特に釣りや海水浴は趣味などでなく、そもそも泳ぎは着衣を含めて不得手ではない。加えてここは港町、バリケードや手すりは完璧で、仮に水に落ちても水場は階段状になっていて歩いて戻れる。

「なんだこれは、溺れている俺が助けを求めているのか? だが俺は水から水場に落ちる様な事はしない。ひょっとしてカジノの連中が腹を立てて俺を沈めようとしているのか? いいや、俺なんかよりもっと問題を起こしている連中の方がずっと多いしあり得ない」

 ああでもない、こうでもないと男が考えていると、その時地震が起こった。地震と言っても小さいもので、ここら辺一帯は免震耐震構造の建物ばかりなので、何ともなかった。

 そう、地震だ。男の脳裏には明確なビジョンが一瞬のうちに拡がった。人が立っていられない揺れ、押し寄せる津波、崩壊する建造物。そうだ、きっと明日の俺は津波に飲み込まれて苦しんで死ぬのだ。男はそう確信していた。

 ならば荷造りだ。男はそう考えてから気が付いた、男にはその日暮らし程度の現金しか持っておらず、カジノがあるこの街を離れてはこのその日暮らしも頓挫する。更に言えば彼にとってこの港町は故郷であり、何にも代えられない存在であった。

 彼はどうあっても、この港町から離れる事は不可能だ。


 男はカジノに居た。最早小説を書く気にはならぬし、どうせ俺は今日死ぬのだから、思いっきり遊んでやろうと言う算段であった。

「この役でいい、掛け金をもう一チップベットしよう」

 読心術を使い、この日の糧を稼ぎきったら退散する。この枷から放たれた男は大胆になって、少しずつ掛け金をギリギリまで吊り上げた後に一気にベットする形で大勝した。

 どうせ今日この夜俺は死ぬのだ、今日この日を目いっぱい楽しむだけの金子があればいい。と、男はそのまま勝ち逃げした。港町から離れると言う考えは最早彼には無かった、この港町こそが彼で、このカジノこそが彼の命綱なのだ。

 男はその金で、港を一望できるレストランで食べた事も無いような分厚いステーキを注文し、浴びる様に酒を飲んだ。彼は普段、酒は飲むと眠くなるからと普段は決して口にしなかったが、死と窒息の恐怖が彼を夢と現が曖昧になるまで酌をし続けたのだ。

「はっは、はっははは、どうせみんな何時かは死ぬのだ。終末が少々来るだけだ、恐るるに足らずだべ、ははははは!」

 彼は酔って気分が良くなり、レストラン街の先にある人工島へ足を運んだ。そこには遊園地があり、教会を兼ねた式場があり、映画館があり、ホテルがあった。何時かはここで愛を誓う事もあるかも知れなかったが、俺には永久にそんな時は無い。男はそう考えながら千鳥足でふらふらと物見遊山していた。

 視線を感じる、周囲の人が皆こちらを見ている気がする。別段この時刻なら酔っ払い等珍しくも無いのに? 男はそう考えて周囲を見た、誰もこちらを見ていない。いや、居た。こちらをちらりと見て目を離した輩が居た! そう、カジノで見かけた男に違いない! とうとう読心術を使って賭け事をしているのが露見したのだ!

 男は酔いが冷め、追手から逃れるべく脱兎の如く走り出す! しかし酔った足は上手く言う事を聞いてくれない。真っ直ぐ前へ走る事のなんと難しい事か!

 男は彼なりの全速力で走って人工島のフェンスを乗り越えた。泳ぎは得意中の得意だし、ここいら一帯は屋形船もよく運航している。何食わぬ顔して隠れてしまえば追手も気づくまい!

 しかし彼は酒が入った状態で入水した事が無かった、普段であれば簡単であった着衣遊泳も思うように行かない。泳ぎにくいだけならまだしも、アルコールでうまく動かない体は水を飲みこんでしまう。

「誰か……助けてくれ……息が……」


「なるほど、これが俺の体感した未来か。なるほど、酒は飲まずにおこう。しかしこれは追手が実在したのか、アルコールのせいで見えた幻覚か分からないな。加えて言うと、地震が起こるかどうかも定かでない。一つ言えるのは小説のネタになるか微妙な線と言う事か」

 男は部屋で、自分の声が告げる録音の電源を落とした。

「しかしこれはどういう事だろうな? 俺の体感した未来を避ける場合、未来の俺は消滅して入れかわるのか、それとも世界線が生じたり消滅するのだろうか。もしくは未来の俺なんて物は初めから全て夢なのかも知れないな」

 男は独り言をぽつりと言うと、そのままベッドに潜り込んだ。外はもう、明るくなり始めていた。


 その夜、街は記録に残る地震に見舞われた。その結果、濁流が全てを飲み込んで男も溺死したが、それはまた別のお話。

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