第三十夜『諸尾博士のシマ-as a worker bee-』

2022/06/09「虫」「見えない記憶」「最高の世界」ジャンルは「ホラー」


 もう俺はダメだ。仕事は辛いし、体はボロボロだし、特に肩と腰なんてもう使い物にならない程強張っている。仕事をなんとかこなすのが精いっぱいで、俺はこの肩と腰にすっかり殺されてしまっている。

 何か近所に素晴らしい整形外科なり鍼灸はりきゅう院なりは無いかと調べてみた所、なんと近所に新手の動物介在療法を用いた病院があるらしい。凝りに効く動物介在療法と言うのは想像がつかないが、ドクターフィッシュや医療用ヒルを用いた物だろうか? もしくは、犬や猫がツボを押してくれるのか? 俺は興味が湧いて来た。その医院について調べてみた所、評判も良く特に不自然な点は見当たらなかった為、俺は早速予約の電話を入れる事にした。


 俺は予約を入れた時刻に例の医院を訪れた。個人でやっている小さな診療所で、俺は初めてかかる事になるので諸々の提示や記入を済ませて、呼出されるのを待った。

上須賀かみすかさん、どうぞ」

 俺が通された診察室にはドクターが居て、彼を示す賞状が壁にかけられていた。

諸尾もろお……博士?」

「ええ、私が諸尾です。ですが私は博士ではありません、ヒロシです」

 諸尾ヒロシは茶目っ気たっぷりに、俺にそう言った。しかし諸尾博士とは傑作だ! 生まれた時から博士と言うのは、どのような少年時代だったのだろうか? きっと級友からドクター諸尾とかヒロシ博士とかと呼ばれたに違いない!

 俺はそう思いながら自身の抱える症状を諸岡博士に伝え、触診を受けるとベッドに寝かされ、薬剤を患部に塗られ、そしてぶんぶんと羽虫が飛ぶ音を耳にした。

「はい、ちょっとチクッとしますよー我慢してくださいねー」

 なるほど。情報を読んだときは半信半疑だったが、これが諸岡博士の動物介在療法か。諸尾博士の研究は毒蜂の成分から薬効を取り出す物で、物質の名前の諸々はチンプンカンプンだったが、モルモットを用いた動物実験をクリアーして論文が認められており、医療の分野でも様々な実績を残していて評判も良いらしい。

「あ痛っ!」

 毒蜂に刺された様なと言うか、毒蜂に刺された痛みが肩と腰に走る。

「はい、施術はこれで終わりです。念のため三十分ほど座って様子を診ましょう」


 施術の効果はすぐに出た。何百年も放置された赤サビまみれのロボットの様だった俺の腰と肩はみるみるうちに血行が良くなって痒くなり、鉛より重かった筈がガス風船をうん百付けたようにバカ軽くなった、まるで自由に動かなかった腕も風車の様にぐーるぐる回せるときたものだ!

「念の為、炎症、発熱、患部の痛み、頭痛などが生じた場合の処方箋しょほうせんを出しておきます。体調が急に悪くなった際に飲んで下さい」

 諸尾博士はそう言ったが、今の俺は健康体そのもので全く体調が悪くなる様子が無い。

 まだまだ世に広まってない医療だからだろうか、医療費はいい値段だったが費用対効果を考えたら全然安い部類だ。それから、処方箋の値段は普通だった。

 諸尾診療所にかかってから、俺の人生は百八十度変わった! 夜は体の節々が痛くて眠れなかったが、今はそんな苦痛とは無縁! 仕事中も肩や腰を痛めながら作業していたが、今では仮に空気椅子で仕事をする事すら可能だろう! おまけに思考もクリアーかつポジティブになった、これまでの自分がいかに卑屈でモヤに覆われた頭脳の持ち主だったかと思い知らされる。今の俺は活力と希望に溢れており、これまでのツケの支払いだと言わんばかりに部屋を片っ端から片づけた。

 しかし俺にここまでの元気や前向きさがあるとは今まで気づかなかった。そうだ、この前向きさとクリアーになった思考を他人に売って分けよう! 善は急げ、そう思い至った俺はコンサルタント事業を起業するべく行動した。


 どうやら俺が得た前向きさや活力や思考は、他人に伝播するようだ。俺が銀行で資金の融資を頼むべく事業計画を語れば、銀行員は俺の話を熱が入った様に聞き入るし、保証人が必要となったので、勤務先の社長に計画を話すと好意的に快諾してくれた。無論、いい加減な口から出まかせではないのだ、自信満々に話した事もプラスに働いたのだろう。

 俺は融資を元手にコンサルタント事業を起業した。勿論起業しただけでは何にもならないので、広告にも資金を投じた。その結果、俺の新しい仕事は順風満帆だった。

 銀行員や元勤務先の社長を口説き落とした様に、コンサルタントの仕事は俺のクライアントに有益な好転をもたらすらしく、俺の元へは次から次へと好循環こうじゅんかんが訪れた。


 ある日、俺の元にかつての同僚が訪れた。彼の名前は馬琴ばきん。別に仲が悪い訳ではなく、元から度々機会があればつき合いで酒を呑みに行くが、積極的にはつるまない。そんな感じの間柄だ。

「よう。いきなりうちを辞めて起業した時はたまげたが、元気でやっているようで何よりだ。何かきっかけでもあったのか?上須賀社長」

 元気も元気、俺の元気は十歳そこらのガキの様に有り余っているのだ。俺は気を良くして、諸尾博士の事を馬琴に話した。

「体に悪い所があるなら、是非かかるといいぞ。あの人はまさしく名医だからな」

 恐らく毒蜂を用いた医療に恐れを抱いたのだろう、馬琴は諸尾博士の話を眉をひそめながら聞いていた。

「よく聞いてくれ上須賀、その諸尾だけどな、この間捕まったよ。珍しい名前だし、毒蜂を使った医療だなんて報道内容他に無いから間違いない」

 嘘だ、俺は聞いた言葉が信じられなかった。あの人は俺の命の恩人なんだ、そんな事が許されるものか! きっと何かの間違いか冤罪に違いない。

 俺はそう考え、馬琴の示した報道の映像や記事を調べ、諸尾博士は充分なエビデンスや臨床実験を経ずに医療行為を行っていた事、モルモットで実験は成功したものの人間に転用出来ると確証がある物ではなかった事、長期的に見て安全が保障されていない事、そして諸尾先生が自ら罪を認めている旨を知った。全ては俺が企業している間の事件だった。

 俺が生まれ変わった、あの毒蜂を使った施術はインチキだったのか? 或いは何か副作用や悪影響があるものだったのか? 俺は諸尾博士の実験台だったのだろうか? 俺には何一つ分からない。

 いや、一つだけ分かる事がある。俺には元気とやる気が有り余っているのだ。

 俺は働かなければならない。

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