第二十二夜『ノスタルジーの女神様-CLAMP ME-』

2022/06/01「桜色」「コーヒーカップ」「消えた幼女」ジャンルは「学園モノ」


 あれは何時だっただろうか、物心が付くか付かないかの頃に桜が満開の遊園地の中、知らない女の子と一緒にコーヒーカップと乗った記憶がある。

 知らない女の子と一緒にコーヒーカップと一緒に乗った記憶なんておかしいのではないか? と脳が違和感を覚えるが、それでも俺は間違いなく過去に桜の咲く遊園地の中でその女の子と一緒にコーヒーカップに乗ったのだ。

 思い返すと思い返す程、その記憶は鮮明になっていった。遊園地の景色、コーヒーカップの中から見える観覧車、束ねた髪、不意に吹いた風、散って落ちた桜の花びら、あの子の笑顔……

 記憶の中の遊園地に意識を向けていると、不意に教諭の声で現実に戻された。俺は学校が嫌いだった、学校でバカ話をする級友こそ居るが、どこか俺の居場所は宙ぶらりんな気がしてままならない。学校の勉学など将来何の役に立つかも分からないし、将来の事は俺には分からんし、暗雲をかき分けるように想像もできない。


 俺は学校から解放され、友人達に駄菓子屋かファストフード店にでも寄らないかと誘われたが、丁重に断りを入れた。久しぶりにあの遊園地に行ってみたくなったのだ。俺は家にも寄らず、あの遊園地へと足を運んだ。

 俺は家の事も嫌いだ、両親は俺の事を分かってくれないし、そもそも喧嘩してばかりだし、俺の事は自分の方に着いて当然の自分の一部としか見ていない。俺は俺だ、お前らの体の一部ではない。

 俺は俺の家を毒づき、思い出の遊園地に思いを馳せると、鉛の様に重かった気分は羽が生えた様に軽くなった。遊園地の思い出の中に俺の家族は居なかった。


 あれから何年経ったのだろう? 十年は経っているとは思うが、思い出の遊園地は十年そこら以上放置された様に見える程に荒れていた。

 思い出の遊園地は小山の上にあった、自転車通学でなければまだ日がある内には辿り着けなかっただろう。あたりはもう薄暗くなっていたが知ったものか、両親は俺の事を心配するかも知れないが、心配すると言っても実状は、お前のせいで俺がグレただのお前が悪いだのと言った文句ばかりで、俺の心配とは口先ばかりの相手への罵倒ばとうに過ぎない。

 遊園地の外観は赤サビだらけになっていて、何故解体されないで居るのか不思議な程だった。周囲は森と山で近隣の住民がおらず、ここまでやって来る物好きもそうは居ないから放置されているのだろう。と、俺は自分で納得した。

 エントランスゲートも赤サビまみれで、通常通りの入園はまるで不可能だったが、俺は普通に崩壊した回転バーゲートから入園した。

 記憶の中の遊園地はさぞや美化されているのだろうと思っていたが、今ここから見てとれるかつての遊園地の様相は俺の記憶の中のそれとかけ離れているとは言い難かった。全体が赤くサビつき、動力も、かつての活気も無いが、全体像だけはかつてのままの光景がそこにあった。

 園の中心には観覧車があり、赤くサビて動かないそれが夕日に照らされている様子は酷く不気味だった。周囲の建物だったそれらも、中に何者かが潜んでいそうな気配がしてくる。

 記憶の中の観覧車との位置関係を頼りに園内を探索すると、あのコーヒーカップの残骸はすぐに見つかった。建物の外観こそ辛うじて残っているが、コーヒーカップだった物は今や乗り物と呼ぶのは困難な状態だった。


「あら、お久しぶり。あなたもここの遊園地が気になったの?」

 コーヒーカップの様子を見ていると不意に声をかけられた。振り向くとどこか既視感のある女学生が自転車を手で押していた。間違える筈が無い! あれから十年は経っていた筈だが、俺には分かる! あの子だ! 時間相応の月日を重ねたあの子が俺の前に居た!

「えっと、あの、その、君は」

「ふふ、深い意味は無いわ。何となくここに来たら懐かしい顔に会えそうな気がしたのよ」

 思い出の女性は俺に悪戯っぽく笑いかけ、手首を掴んでリードし始めた。彼女の仕草は笑顔と併せて、夢の続きを始めよう。と俺に語りかけていた。


 現実にそんな事は無かった、全ては俺の妄想だ。そもそも知らない女の子と幼い日の俺が一緒にコーヒーカップ乗っているのが不可解だ。親ぐるみで仲が良くて付き合っている家の子でもなければ説明がつかず、俺にはその状態が絵空事に感じられた。しかし、ここにはかつて彼女が居たし、ここに大きくなった彼女が訪れた事がある。俺にはそんな気がしてならないのだ。俺の記憶の中の彼女はそれ程に鮮明なのだ。

 億劫だが家に帰って尋ねるか? いや、その事を山車に喧嘩けんかを始めるだけだ。俺に選択肢は無い。

 そう愚につかない事を考えながら、遊園地を後に下山した。


 あの日から、俺はこれまでに増して授業が身に入らなくなった。頭の中ではかつての遊園地の光景が大きく膨れ上がっては消え、更に大きくなっては消えてを繰り返していた。

 授業だけではない、本来好き嫌いはしない方だが、飯の味もうまく分からなくなった。別に味が分からないだの、泥の様に感じられるのではない、ただただ美味く感じないのだ。あの遊園地で食った飯はどんなだったか、確かトマトとナスのスパゲッティを啜っていた気がする。すると、これまで思い出せていなかったが、あの時俺は彼女と一緒に天井がダイヤモンドカットの様なガラス張りのレストランで食事をしていた事を思い出した。今度はお互いの両親も一緒だ、やはり俺の推測は正しかったのだ! そしてこの学食で食ううどんの何と不味い事か! 味こそするが全く美味いと感じられない。俺は初めて学食を残した。罪悪感は無かった、俺の本意はあの遊園地にあるのだ、ここではない。

 思えば俺が何故あの遊園地を神聖視しているのか思い当たる事があった、俺は学校にも家にも地元にも思い入れが無いのだ。俺はノスタルジーと言う物をこれまで生まれて一度も感じた事がかつて無かった。そう、あの遊園地の記憶を思い出すまで! あの遊園地こそが俺の記憶の故郷なんだ!

 俺はどうすればいい? がむしゃらに頑張って偉く金持ちになって、あの遊園地を建て直すか? ダメだ、こんなクソ田舎のさらに山の中にある遊園地なんて、どんなに手を尽くしても立派なインフルエンサーが居なければ成功する事は絶対に無い! ならば新しくあの遊園地の生まれ変わりを造るべく建設業の世界へ行くか? ダメだ、あの遊園地の生まれ変わりでは意味が無い。俺にとってあの遊園地はあの遊園地でしかない。

 俺の人生は迷路で、そして行き詰まりだ。学校生活は無色透明で、家庭に居場所が無く、未来は見えず、何もかも分からない。


 俺はあの遊園地に訪れていた。ここへ来れば何か分かるかもと思う一方、俺の人生はここ以外に無いのではないか? と胸が痛む。俺はこの遊園地へ来たかったのではない、俺はこの遊園地へ来ないとどうにかなってしまいそうなのだ。

 遊園地を探索すると、あのレストランを見つけた。カウンターも客席も厨房も荒れ放題だったが、そこにはかつて多くの人が喜び楽しんで食事をっていた形跡が確かにあった。


 俺は食欲が減った。今は動かない遊園地、今は居ない彼女、今はやってないレストラン、俺の心の故郷。こんなに何かを恋しいと思った事は人生で初めてだ。それもあの遊園地全てが恋しいのだ! あの遊園地の記憶全てが輝かしく魅力的で、最早俺の理性は張り子細工だった。

 隙さえあれば俺はあの遊園地の事ばかり考えていた。目の前に彼女が現れる事も今では毎日だ、砂漠でオアシスの幻覚が視える人の気持ちは嫌と言う程分かった。

 度々夜中に眠れず、遊園地まで自転車を走らせる事も増えた。夜も眠りも俺を満たしてくれず、俺の安寧あんねいはあの遊園地にしか無かったのだ。俺は学校で、家で睡眠不足を感じていたが、あの遊園地が俺に充足感をくれて、遊園地だった廃墟に行くと活力が無限に湧いてくるようだった。

「あら、またここに来たの?」

 彼女が俺に話しかけた。最初にこの廃墟に来た時同様、俺の手首を恋人にする様に掴んでリードする。

 いや違う、これは幻覚ではない。俺は今確かに現実の彼女と手を繋いで遊園地で遊んでいる! 桜が咲き、両親は仲良く俺を見送り、コーヒーカップはかつての賑わいを取り戻し、観覧車は七色に輝いて時を告げ、レストランは戯画的なパン窯からコックがパンを取り出すパフォーマスをするのがここから見えた。

「おかえり、何して遊ぶ?」

 あの時と同じ姿の彼女が俺に悪戯っぽく微笑んだ。


 かつて遊園地だった廃墟に一人の少年が倒れて冷たくなっていた。餓死ではない、栄養失調だ。ろくな食事を摂らず、夜も寝ず、無理矢理体を動かし、身体機能が滞る要因が複数重なって亡くなっていた。

 けれど少年の表情は苦悶とは無縁で、幸せそうに笑っていた。

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