第十九夜『怪物探偵ハーロック-Private eyes-』

2022/05/29「おもちゃ」「クエスト」「観賞用のツンデレ」ジャンルは「ホラー」


 港の湾岸沿いの集合住宅の一角に事務所があった。外観は普通の集合住宅の一室と変わらないが、表札は部屋が探偵事務所である事を示していた。

 探偵事務所には、額が少し広い赤茶色の髪色の男と、クラゲの様な髪色と深海の様な色の瞳をした千早ちはや姿の女性が居た。

「暇だねー先生」

 千早姿の女性が、心底退屈そうな声色で何と無しにそう言った。

「暇じゃない。僕には引き継いだ諸々の仕事があるからね、本音を言うと君にも手伝ってもらいたいところだよ」

 千早姿の女性に先生と呼ばれた男性は、机で端末を相手に作業をしながら答えた。

「おやおやおや、いいの? こっちで好き勝手手伝っても」

「いや、口が滑っただけだ。今のは忘れてくれ」

「ああそうそう、そろそろ大きいゴトが舞い込むよ。そら来た」

 千早姿の女性がそう言うと、事務所に酷く精神を疲弊した様子の男性が扉を開けて訪れた。

「キングストン探偵事務所へようこそ、私は所長のハーロック・キングストン。本日はどのような御用件でしょうか?」


 誰かに見られている。後ろを振り向く、しかし誰も俺の事を見ていない。

 いや、確かに誰かに見られている。再び振り向くが誰も俺の事を見ていない。

 いや、違う。周囲の人が全員俺の背後を凝視している! 三度振り向くがやっぱり誰も俺の事を見ていない。しかし今も尚背後に視線を感じる。

 俺がこんな目に遭っているのも、あの不愉快な手紙のせいだ、しかしあんな文面一つでは警察では門前払いされるに決まっている。俺はもう完全に追い詰められている、八方塞がりだ! そんな時、目の前の電柱にある広告が貼ってあった。


「私は呪いをかけられたのです、これがその呪いの手紙です。この手紙のせいで俺は常に誰かに見られているのです!」

 精神が疲弊している様子の男は事務所でハーロックに要件を尋ねられるや否や、酷く困窮こんきゅうした様子で訴え、何やら懐から手紙を渡した。その様子は深刻そのもので、演技や狂言には見えなかった。

 ハーロックは手袋をはめたまま手紙を注意深く受け取ると、男性が精神をすり減らした様子なのを見て千早姿の女性に何か飲みものを淹れる様指示し、手紙を読み始めた。

「『我々はネメアの獅子。如何様いかような矢も槍も我々を傷つける事あたわず、ただ人を害するのみ。我々は常に貴様を見ている、これは我々の呪いである。』か、見た所ただの紙だね、薬品か何かが仕込んであって嗅いだ人に幻覚を見させると言った様子も無い。それで、あなたは今この手紙を送って来た人達からストーキングの被害を受けていると言う事ですか?」

 依頼人の男はハーロックの言葉を肯定するでもなく、否定するでもない様子で口を開いた。

「それが私には分からないのです、私は今も背中を穴が開くほど見られている気がして気が気でない。けれど後ろを見ても誰も私を見ている様子はない。そんな調子で家でもどこでも気が休まらなく、これは呪いのせいに違いない! けれど、この様な事で警察に行っても取り合ってくれる筈が無い。どうか私を助けてくれませんか?」

 依頼人の男は錯乱した様子で、本人が口から言うようにしきりに背後を気にするような様子で早口に告げた。

「はーい粗茶ですよー、飲んで落ち着いてくださーい、美味しいですよー」

 クラゲの様な髪色の女性がお盆に紅茶を三杯載せて応接用のテーブルに着く。自分が淹れたお茶を自分が飲むのは当然だと、目と態度がそう主張している。依頼人の男はその様子を見て困惑したのか、先程までの取り乱した様子から少々落ち着きの色を取り戻した。

「あ、はい、これはどうも……巫女さん?」

「ああ、気にしないでください。彼女は月海つきのうみヘンリエッタ、服装はただの宗教上の理由であって、深い意味はありません」

「ふふん、こちらは神に侍る身の上です故、場にそぐわぬ服装である事はどうかご寛容かんよう下さい」

 ヘンリエッタは自信げに、奇妙な敬語で依頼人に告げた。

「とにかく事情は分かりました、私共にお任せください」

 ハーロックはヘンリエッタに負けず劣らず自信満々の態度で言い放った。その様子は、通常の人ならば安心を抱く程の凛々りりしさと理知を含んだ物であり、まさしく探偵作品に登場する名探偵そのものだった。


「せんせー、あのおっちゃん帰らせてへーきだったの? ちょっと目を離したら神経衰弱起こして自殺しかねない様子だったけど」

「平気だよ、何かあったら僕に連絡する様に言っといた。あの手の状態の人間は話し相手が居れば、それだけで大分変わる物さ」

「そっかー。ところで先生、この事件どう思ってるの? そもそもネメアの獅子って何?」

「なんだい最近の若いのはネメアの獅子も知らないのか、ネメアの獅子ってのはギリシャ神話に出てくる悪役だよ。怪物の元締めを両親に持ち、どんな武器も効かないが英雄ヘラクレスに殴り殺される。一種の謎々や殺人事件と言い換えられなくもないね」

「ふーん、凄いのか凄くないのか分からない。で、そのネメアの獅子がずっと見張ってるってのはどう思う? 呪いは実在すると本気で思ってる? もし助けが欲しいなら、こっちで全部答えを観測させてあげようか?」

 ヘンリエッタはそう言って、お茶を飲んでいるハーロックの両頬を両手で挟み、その深海の様な色の瞳で目をのぞき込み、クラゲの様な色の髪は触腕の様に動いて彼の後頭部をで、愛おしそうにささやいた。

「さあ、こっちへ魂を委ねて?」

「ははは、僕は探偵だよ。狡猾こうかつではある様努めているが、カンニングなんてコスいマネは死んでもしないさ」

 ハーロックはいつもの事だと言うように、ヘンリエッタを払いのけて彼女の言葉を否定した。

「それに、この事件は依頼人の言動と態度を観たら八割方解けたよ、後は足と証明だけだ。行くぞ、ワトソン君。忙しくなるぜ」


 翌日、依頼人の男はハーロックからキングストン探偵事務所に呼び出されていた。何でも事件が解決の兆しを見せたから来て欲しいとの事だ。

 依頼人の男はキングストン探偵事務所を訪れると、応接間の裏にある居住スペースに通され、そこで見た光景に目を疑った。

「な、なんですかこれは? この椅子に縛りつけられている人は何なのですか?」

 異様な光景だった。ほんのりと赤い肌のマケドニア系の筋肉質な巨漢が椅子に縛りつけられ、後ろ手に縛られ、猿轡さるぐつわを噛まされていた。男は怯えた様子は無く、今にもその屈強な四肢で紐を引きちぎってこちらへ襲い掛かって来そうな雰囲気があった。

「何って、彼こそがあなたに呪いをかけたネメアの獅子を名乗る下手人ですよ!」

 依頼人の男が困惑の色を見せていると、ハーロックとヘンリエッタは自慢げな態度で報告を始めた。

「いやあ大変でしたよ。何せ呪いなんて物は現代では不能犯に分類されますからね、奴さん問い詰めても知らぬ存ぜぬを通す気満々で居ましたし」

「うんうん、何せ先生はバリツの黒帯だからね! 口を割らない悪党をちぎっては投げ、ちぎっては投げて確保したって訳」

「ワトソン君、バリツは段級位制じゃないよ。とにかく今話した通りです。私はあなたに呪いをかけている犯人を突き止めて確保した所です」

 依頼人の男には全てが全く分からなかった、探偵には確保の権利なんて物があるのか? この見知らぬ筋肉質な男は誰だ? 自分は依頼する相手を間違えたのではないのか? この状況でへらへらと武勇伝を誇っている目の前の二人は探偵とは名ばかりの異常者ではないのか? そして第一に、

「俺に呪いをかけた男はそいつじゃない! その男は誰なんですか!?」

 依頼人の男のそのセリフが水を打つように探偵事務所を静かにした。ハーロックは確信を得たような神妙な顔をし、ヘンリエッタはしくじった相手を見る憐みのにやにや笑いを浮かべた。

「そうでしたか、大変失礼しました。時に、あなたは何故ご自分を呪った相手の顔を知っていて、その事をつぐんでおられたのですか? 何か話せない事情でもあったのですか?」

 ハーロックの質問に、依頼人は黙り込んでしまった。ハーロックはまるで、その沈黙から情報は引き出せたと言わんばかりに質問と情報の整理を行ない始めた。

「ネメアの獅子とは単独犯なのか、それとも組織なのか? ネメアの獅子が呪いをかけたと言う狂言の様な文言を信じ、自分を呪った相手を知った風だが、それはつまりあなた自身がネメアの獅子の一員であり、メンバーが人を呪う現場を見た事があったのでは? そしてあなたはネメアの獅子の機嫌を損ね、結果として制裁を受けた。違いますか?」

「そうだ、俺はネメアの獅子だった。でも呪いの話は本当なんだ! 恥を忍んでお願いします。俺をネメアの獅子の呪いから助けてください!」

 次々と投げかけられる質問の体をした詰問に、依頼人の男は音を上げた。

「だそうだ。良かったな、アロー君。君はネメアの獅子とやらじゃないらしいぜ」

 ハーロックが縛られた巨漢に話しかけると、巨漢を縛りつけていた縄がビリビリと音を立てて四散した。

「いやはや窮屈きゅうくつだった。いや縄がダメにならないよう大人しくしているのは大変だったよ。それよりキングストンさん、鎌掛けや録音装置頼りと言うのは感心しないな。探偵たるもの足で稼がないと」

 巨漢はさも当然の様に椅子から立ち上り、ハーロックに文句を言った。どうやら自分を縛っていた事はさして気にしていないらしい。

「紹介しましょう、こちらハーキュリーズ・アロー。私の探偵仲間です」

「ご紹介に与かったアローと言います、この度は騙し討ちの形をした事を深くびます」

 アローは依頼人に握手を求めたが、依頼人はそれに応じはしなかった。当然の話だ。

「詫びます。じゃない! 私は今この瞬間もネメアの獅子に監視されているんですよ! 私は解決の兆しが見えたと聞いたからここへ来たんです! いい加減真面目にやってください!」

「失礼しました、しかしながらこれらは全て必要な事だったのです。これで呪いは解く事が出来る。」

 ハーロックの言う事に、依頼人は半信半疑か落ち着きを少々取り戻した。

「いいですか、私の言う事を落ち着いて聞いてください。あなたが呪いをかけられたのではない、ネメアの獅子から暗示をかけられただけです。あなたは今から気を失い、覚醒した時にはネメアの獅子の事を忘れている」

 そう告げるや否や、依頼人の目の前でハーロックは手を叩き、彼は気を失った。


「それで、どこまで目星がついていたんですか?」

 目を覚まし、呪いから解放された依頼人を見送った後、アローがハーロックに訊ねた。

「いや何、最初に依頼に来た時から目を見て概ね全部分かっていたよ。もっとも、僕に分かったのはやましい事がある事と、本気で怯えている事くらいだけどね。これが保護を望めず、警察にも助けられない状態なら唾棄だきすべき凶悪犯罪だ、私立探偵の出番と言う訳さ。だからちょっと鎌かけして、具体的にどんなやましい事情を抱えているか聞き出す必要があった。まあ、その内容も僕の推理通りで、ただの答え合わせに過ぎなかった訳だけどね」

「相変わらずの怪物っぷりだ、しかし今回の事件は根本的な解決をしてないのではないか?」

「いや何大丈夫だよ。僕も調べたのだが、ネメアの獅子は存在をまことしやかに語られているが、被害者の具体的な声はどこにも無いのだよ」

「へえ、つまりネメアの獅子はあの人の妄想だったって事?」

 ハーロックの説明にヘンリエッタが質問を挟んだ。

「それは違うよ、ワトソン君。奴らは確かに存在しているが、あの依頼人の様に声無き人を食い物にしていて、何も反撃や助けの声をあげられない人ばかりを狙っているのさ。繰り返すが、まことに唾棄すべき凶悪犯罪だよ」

「ふうん、じゃあ先生はその凶悪犯罪者集団とやらの一員を見す見す見逃しちゃった事にならない?」

 ヘンリエッタはハーロックの声に、面白がるように異を唱えた。

「いや、だからこそのあの即興劇さ。あの言動は確かに助けを求める被害者の物だ、仮に元ネメアの獅子だろうがなかろうが、僕は彼を助けたよ。それに人間、過去に犯した罪があるなら僕が糾弾せずとも自然にあの人は自分の罪に追いつかれるさ」

「さて、私も演技に付き合ったんだ。下のバーで何か奢ってれないかな? しかし助手ちゃんの仕事ぶりは初めて見たけど、中々良いコンビだ。おまけに美人で羨ましいばかりだよ」

 アローが二人の肩に腕を回し、馴れ馴れしく声をかける。既に酒が入ったかのような態度だ。

「欲しいならあげるよ、あいつはじゃじゃ馬どころか疫病神だ。整理整頓せいりせいとんこそ上手いが、毎日の様に宗教の勧誘をしてきやがる」

「ダメでーすー、こちらとしても先生以外の元で働く事はありませんー。何せ先生の魂はこちらの神に委ねられる運命なんですー」

「ははは、仲が良い様でなによりだ。それでは邪魔な私はお暇するとするよ」

「おい、待ってくれ、アロー君。ワトソン役は要らないのか? 持って行ってくれないか? 返品不可で回収してくれたら僕はとても助かるんだが!」

「ほら先生、バカな事言ってないでこっちに魂を委ねて下さい。今日こそ神社へ参拝に行ってもらいますよ」

「おい、アロー君、美人の助手だぞ、欲しいんだろ? 引き取ってくれ!」


 港の湾岸沿いの集合住宅の一角に事務所があった。外観は普通の集合住宅の一室と変わらないが、表札は部屋が探偵事務所である事を示していた。

 探偵事務所には、額が少し広い赤茶色の髪をした探偵と、クラゲの様な髪色と深海の様な色の瞳をした千早姿の助手が居た。

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