第十八夜『うちの学校の池に人魚が居た-Immortals-』

2022/05/28「池」「少年」「最高のトイレ」ジャンルは「悲恋」


 僕は人魚姫の原作が嫌いだ。なんで人魚姫は泡になって死ななくてはいけないのか理解が出来ない、この本を書いた人は本当に性格が悪いと思った。

 僕が作家なら絶対人魚姫はハッピーエンドにするし、絶対そうした方がみんな喜ぶに決まっている。

 僕は体育の授業を休んで教室で読書をしていた。別にズル休みではない、身体が弱いから免除してもらってるだけだ。クラスメイトの連中は嬉しそうにプールで泳いでいるが、別段羨ましくはなかった。炎天下で何かするのは、それが水中であろうがなかろうが苦痛が上回る。

 クーラーの付いてない教室は蒸し暑く、窓を開けて風を取り入れても居心地がいいとは言い難かった。図書室へ行こうかとも思ったが、突然窓から強い風が入り込んで来て本をめくり髪を揺らがせた。

 そうだ、どこか木陰へ行こう。この明るさなら木陰の中でも本は読めるだろうし、風が強いのならばきっと体感温度は涼しいに違いない。そう考え、学校にある池の周りの木立へ向かう事にした。


 うちの学校の池に人魚が居た。

 アンデルセンの作品で見た通りの姿だ。人間の上半身と魚の下半身は境目は口で説明しづらい曖昧な物で、しかし確かに人間の身体と魚の身体の境界も作り物ではなく肉体として存在していた。しかし、その上半身は何故だかラッシュガードを着て、ライフジャケットを上から羽織っていた。

「あらこんにちは、ご機嫌いかが?」

 人魚は僕に対して、まるで毎日顔を合わせる旧友に声をかけるかのように挨拶をして来た。あまりの自然さに、この人魚はひょっとしてクラスメイトの誰かの変装なのではないかと考え込んでしまった。

「え、あの、人魚……?」

 僕はまるで脳味噌が凍ったようになって、喉から上手く声が出なかった。人魚なんて物は絵か作り物の衣装かはく製でしか見た事が無かったし、そもそもこの池は人間大の生物が生息するには広さも深さも全然無い!

「そう、人魚。会うのは初めて? それじゃあ代表して初めまして、私はヤオ・アンダーソン。あなたは?」

 人魚は本で読んだ通りの美しい顔と声でこちらへ改めて挨拶をして来た。僕がもしも船乗りだったならば、これを警戒していたかもしれない。しかし目の前に居る人魚からは全く害意という物が感じられず、そもそもここは海原でも何でもない。

「えと、あと、僕の名前は、」

「ああ、言いたくないなら言わなくても平気よ。多分すぐ二度と会えなくなるから」

 人魚は僕をまるでただの子供だと言わんばかりに、まるで厭世家えんせいかの様な態度で、どうでも良さそうな風に言った。

陸枝英二りくええいじです。僕の名前は陸枝英二!」

 バカにされたままでたまるか! と名を名乗る。すると人魚は、ヤオは僕が名乗ると小さく関心を抱いた様な笑みを浮かべ、しかし態度は先ほどと寸分変えずに身を池からこちらに寄せてきた。

「陸枝君か、君友達から何て呼ばれてるの? あ、待って当てるから。そうだエリックだ、きっとエリックでしょ?」

「いえ、僕は友達からはリックと」

「へ、そ、いいよ私はエリックって呼ぶから」

 ヤオは僕の言葉を遮って立て板に水したが、不思議と不快ではなかった。むしろ気の合う友達と言った感触すら覚えた。

「何読んでるの? 私読書が好きなんだ! まあ私は紙の本読めないけど。良かったらそれ読んでくれる?」

 ヤオは池に下半身を浸けたままグイグイと迫って来る。しかしこれは困った、今手に持っているのは人魚姫なのだ、まさか本物の人魚相手にそんな人魚が題材のバッドエンドの話を読み聞かせる訳には行かない。

 その時授業の終わりを告げる鐘が鳴った。天の助けだ、これを言い訳に逃げ出そう。

「ふーん、まあ今日のところは納得してやるか。また機会があったら本を持って来てね。気長に待ってるから」

 そう言うとヤオは大きい水音を立てて池に飛び込んだ。ヤオは全身スッポリ池に潜ってしまった、どう見ても人一人潜伏出来ないこの池に、だ。

「おーいリック、どうした? こんな所でサボりかよ? お前にしては珍しいじゃん」

 僕によくつるむクラスメイト達がプールから戻って来た。

「なあ、この池、何か出るって話とか聞いたことあるか?」

「は? 何言ってんだお前? 仮に学校の七不思議とか考えるにしても、こんな狭くて見通しの良い場所がロケ地になる訳ねーじゃん!」


 それから体育の時間には、僕はヤオと時間を過ごす事になった。ヤオは何でも知っていて僕よりずっと頭が良かったが、その一方で各種文学に対しては無知かつ貪欲だった。古典文学は知識としてある様だったが、自分が知っている訳や挿絵ではないと言って興味を示して来た。

「なんでヤオは何でも知ってるのに、本の事は何も知らないの?」

「ひっど! それ嫌味でしょ? 私は紙の本触れないの、手がこれだから。別に体が乾いても死んだりはしないんだけど、不老不死だし」

 不老不死! 確かに人魚が不老不死と結びついている話は聞いた事があるが、アンデルセンの絵本から飛び出したような外見の、最期には泡と消えて死んでしまう人魚に瓜二つのヤオが言うのは何というか背筋から総毛立つ様な不気味な物を覚えた。

「不老不死で本を読めずにダメにしちゃうって、僕には全然想像が出来ないな。寂しかったり空しかったりしない?」

「うにゃ全然、仲間達もみんなこんな感じだからね。まあ仲間と言っても全員が人魚じゃないんだけど、中には絵本作家を志してる子も居るね。まあ全然売れてないんだけどね、あはは!」

 ヤオは声を立てて笑った。不思議とよく響く声だが、池の周りの木々がそれを遮った様に周囲には届かなかった。

「けどね、私の友達で紙の本で小説の類をよく読むのはエリックが初めて。私の友達と呼べる連中はみんな自分勝手でね、仮に本を読み聞かせてと言っても応じてくれないと思う」

 そう語るヤオの横顔は一抹の憂いを帯びていたが、どちらかと言うと幸せ自慢と言った具合だ。

「ただね、私はエリックには幸せにはなって欲しくない。どっちかと言うと私のワガママにうんざりして欲しい。その方が私に都合がいいし」

 ヤオは突然意味の通らない事を言いだし、僕は意味が分からなかった。

「私は私を害する人や、私を欲望の対象にする人と会わないの。そういう星の元に生まれているとでもいいのかな、とにかく私は自分の身を守る目線で言うとすごく運がいいんだ」

「ふうん、それってすごい事じゃないか」

 何を言いたいの? 僕はそう思いながら、口にせずにポジティブな言葉だけを伝えた。

「まあね、おかげで私は誰かに傷つけられる事は今まで生きてきて一度も無い。誰かを傷つける事はままあるんだけど」

 授業の終わりを告げる鐘が鳴った。ヤオは何かを気取った様な仕草をし、せわしないさよならの挨拶をして池にそそくさと飛びこんだ。池には何度も見た、異様に大きな波紋が生じていた。

「よ、リック。にやけてどうした? 生まれて初めて女子と口でも利いたような顔してるぞ」

 プール上りの級友達が話しかけて来た。バカな事を言うな、女子と喋った事くらい人並みにある。

「違う違う、お前は女の人と話した事はあるが、相手が女と思って話した事が無いんだよ。俺には分かる、なんせ俺は違いが分かる男だからな」

 それは一体何が分かっているのかと追求しようと思ったが、級友達は逆に問い詰めて来た。これは敵わんと僕は話題を逸らした。


 図書室で読書をして休み時間を費やす。ダメだ、まるで本の内容が頭に入らない。

 あれから僕の頭には、クラスのグループの連中が言ってた事が突き刺さったままだ。相手が女と思って話した事が無い。一体どういう事だ? 僕の態度は客観的に見て常軌を逸して見えるのだろうか、僕は他人から見てどうなっているのだろうか? しかしクラスメイトの連中にどういう意味か尋ねるのも癪だ。そんな恥ずかしい事など、死んでもゴメンだ。

 そうだ、こういう時こそヤオに訊ねよう。ヤオには自分の仲間の話を聞かされたのだ、こちらから世間話をしかけてもいいだろう。何せあの人魚は僕に本を読ませては自分勝手な自分語りをしてばかりなのだ、僕の話も聞いてもらおう。

 今はとにかくヤオに会いたい。


 うちの学校の池に人魚が居ない。

 前と同じ時刻、似たような気候、同じ状況、だけどヤオは居ない。まあそういう事もあるさと、僕は大分前の当初の目的である読書をして過ごした。


 うちの学校の池に人魚が居ない。

 今日もヤオは姿を見せなかった。まあ二回連続で予定が合わないなんて事、人間なら普通にある事だ。僕は何も気にしてはいない。


 うちの学校の池に人魚が居ない。

 ヤオは一体どこへ行ってしまったのだろう、そもそもこの池に飛び込んだ生物はどこへ行くのか? この足がつく浅い池に飛び込むなんてことが可能なのだろう? そもそもヤオはどこから来た? ヤオの言う事にはヤオには仲間が居るらしいが、池のどこにもそんな様子が無い。

 ヤオに会いたい。


 うちの学校の池に人魚が居ない。

 ヤオに会いたい。 

 うちの学校の池に人魚が居ない。

 ヤオに会いたい。

 うちの学校の池に人魚が居ない。

 ヤオに会いたい。

 うちの学校の池に人魚が居ない。

 ヤオに会いたい。

 うちの学校の池に人魚が居ない。

 ヤオに会いたい。

 ようやく分かった、僕はヤオに会いたい。だからヤオは僕に会ってくれないのだ。何となく会って本を読むだけで良かったのだ。

 人魚姫は人間とは運命が交わらない、僕は自分で自分を壊してしまった。

 僕はヤオの事をどう思っていたのかは、今となっては正確には分からない。だが、ヤオの事が恋しいのもまた事実だ。

 うちの学校の池に人魚が居た。今、うちの学校の池に人魚は居ない。


 鬱蒼うっそうとした森の中に立派な屋敷が建っていた。屋敷は宿泊施設だった。

 屋敷の中には様々なヒトが居て、今は小規模な立食パーティーの最中であった。ただ、立食パーティーの参加者はどれもどこか人間ではなかった。

 ある参加者は黄色く豊かな尻尾を複数生やしており、ある参加者はウサギの様な長い耳を垂らしており、またある参加者は下半身が魚のそれであった。

 パーティーの参加者達は人類の動向や行く末と言った哲学的命題を話し合っており、概ね人類に対して悲劇的ないし独善的な種であると言う論調で話していた。

「ヤオは最近どう? 何か話すに値するような事でもあった?」

「ううん、特には。いつも通り」

 ヤオと呼ばれた女性は憂いを帯びた様子で返答した。

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