第七夜『命運の剣-the Swords in the Stone-』

2022/05/17「桃色」「テント」「最初の剣」ジャンルは「ラブコメ」


 どこでもない湖のほとりにテントが張っていた。テントの主はこの湖に住む精霊がきたえた剣を欲しており、彼は如何様な困難こんなんも自らの手で砕き足で超えてきた為、精霊が何を言っても挑戦して達成して見せようと意気込んでいた。


「俺はぜってえ、二度と剣は造らん。何があっても、ぜってえ、だ!」

 湖の精は水の滴るペプロスかトーガの様な衣装を身にまとい、湖の上に素足で立ちながら、テントの主の依頼を全く聞く耳を持たんと言わんばかりに全否定した。

 その口調は都の下町のべらんめえ口調そのもので、腕をまくり、今にも手が出そうな剣呑けんのんな態度で、端正でこの世の物とは思えぬ美貌びぼうをしていたが、それに似つかぬ今にも物理的に噛みつきそうな表情だ。おおよそ湖の精と聞いて思い浮かべるような女性ではなく、そしてその動的な性質に則して髪型はショートヘアのシニヨンだった。

「そこまで強く否定なさるとは、あなたの身に何があったのですか?」

 テントの持ち主は、そう仰らずに剣を造って下さいよ。と半分喉まで出た言葉を引っ込めて、精霊に訊ねた。

「おめえ、俺がどんな剣を造ったか知ってるな? 知らずにここまで来る訳ないよな?」

 湖の精はテントの主の言葉に心を開いたか、食い気味に語り始めた。テントの主は、はい勿論です。と泉の精の言葉を肯定しようが、泉の精の語る様に口を挟めなかった。

「一番腹が立つのは、あのバカ王子だ! あの野郎、俺の傑作を、俺の最高の傑作を受けとったはいいが、何もしてないのに折れたとほざいて返品しやがった! その後もあのバカ王子の態度には、今思い返しても腹が立つ事しかない! 自分で折った剣を修繕してやったら、最高の剣だ、と悪びれずに言いやがった! メーカーに対する敬意と言う物が微塵みじんも感じられない! バカ王子の後見人共も同罪だ! 特にあのクソ手品師がバカ王子の手綱をちゃんと握ればあんな事にはならなかったし、俺は修繕をするハメにも、あんな馬のケツ未満の結末もきっする事は無かった! 腹が立ったからクソ手品師は牢屋に閉じ込めてやったが、目を離した隙に逃げ出しやがる! 終いにゃ、あのバカ王子は一生永遠あの剣をいて暮せば良かったのに、俺に突っ返しやがった! あのまま剣を下げていればバカ王子は世界の王になる事だって出来たのに、返せと言った訳でもないのに返品しやがったんだ!」

 泉の精は一呼吸のままに怒りを吐き出した。呼吸は絶え絶え、顔は耳まで真っ赤、しかし怒りは全く収まらず、怒りで肩はぐらぐらと揺れる。

「そうだったのか……それは可哀想に、酷い仕打ちをする人も居たのですね」

「ああそうだ、あの剣を身に着けていれば永遠に王様になれた。あのバカは王様で居る事に弱音を吐いて逃げたんだ! 俺が腹を立てているのはそれだけじゃない! 俺がドズマリー湖から越した後の事だ、この世界の王になれる神の剣をパンノニア湖の脇の土中に埋め、あのハナタレ王の手に渡る様に仕組んだ時の事だ。俺の描いた絵の通りに事が運んで、ハナタレ王は帝国をボコボコにしてくれた。俺は俺の剣が活躍するのを見聞きして誇らしかったよ、だがハナタレ王は調子に乗ってテメエを見失う程の酒を呷って、そのままおっ死んだ。俺の剣は遺産争いの形で身内での争いに使われたよ。この世の王になれる神の剣を、子や兄弟を殺すのに使ったんだよ! この件で俺は湖よりも深く反省して、剣に健康や不老不死をもたらす事は絶対だと誓った。尤も、それだけあってもオチはあのとんずらバカ王子だ! 全く腹が立って笑えて来るぁ!」

「嘆くのも道理ですね、自分の作品が蔑ろにされて喜ぶ人なんて居ないでしょう」

「ああそうだ! お前は話が分かるな。だがそれだけじゃねえんだ、俺の三本目の、いや四本目の剣は蔑ろにされる事はなかった。蔑ろにされなかったんだ……あの腰抜け王は立派にやった、俺の作品はもう人間の手に渡る必要が無かったんだ……」

 湖の精は怒りが尽きたのか、しかし感情的に振る舞う事をやめずに、今度はすすり泣き始めた。

「続けてください」

「俺はあの二件の後、今度はハノイの湖に越した。当時の俺は完全に塞いでいた。勝つだけではダメ、王位に執着する人間でなければダメ、健康でなければダメ、それらの条件を全て満たした上で、根本的に俺の剣を預けるに足る人間でなければダメ。そんな男が現れるのに俺は九百年も待った。あの腰抜け王は俺の剣を受けとると、敵軍を追い返す事に使った。ここまでは前の剣三振り、いや二振りと同じだ。所有者は敵に恐ろしく見えるし、敵や障害と定めたモノなら何でも斬れる。あの腰抜けは戦には向いた性格ではなかったが、敵を恐れる心だけは戦に適していた。腰抜け王は持ち前の怖がりを発揮して、俺の剣を使って徹底的に侵略者を追い返した。押し返して平和になったからと俺の剣を返品しやがった! 平和になったからもう要らないよ。と、俺の剣をペンとすきに持ち替え、愛と知恵と面子で国を興しやがった!」

 泉の精は子供の様に泣きじゃくりながら続けた。

「分るか? 俺の気持ちが! 俺は何百年も待ってベストを尽くした! でも人間共は俺の事を要らないと言い放ったんだ! それも最初は俺の助けが無くてはならないという顔をして近寄って! それで最後には俺の事を捨てるんだ!」

 テントの持ち主は湖の精の剣幕に何も言えなかった。

 湖の精は湖畔の岩に顔を伏せて泣いていた、テントの持ち主は何も言わずに湖の精の頭を撫でた。


 あの湖の住民に会う事が出来て、なおかつ気に入られれば想像を絶する恩恵に与かる事が出来る。そういう触れ込みで訪れて遭遇すら出来ない者が大半だったらしい。

 近隣の住民の言うところによると、あの湖の精はどこでもない場所に居て、あの場所に居ながらにしてあの場所に居ないらしい。一言で言うと運命を持った人間でなければ会う事すらできないのだと。

「しかしあの様子では、あれ以上交流をするのは良いとして、剣を造って貰うのは諦めるしかなさそうか」

 嵐の様に語り尽くし、嵐の様に湖へ帰って行った湖の精に残されたテントの主は、幕屋の中で誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。


「おう起きたか? 朝飯作ってるぞ」

 テントの主がテントから出ると、湖の精が何やら即席の石窯らしい物を構っていた。

「そら食った食った、今から忙しくなるぞ。久方ぶりの大仕事になるんだからな」

 そう言って差し出された手には固焼きのパンと串焼きにされた魚が乗せられていた。テントの持ち主は元々豪胆で好奇心の人間だった為、好意をふいにするのも良くないと、物怖じせずこれを食べた。もし仮に、これが食べたら外の世界に囚われる代物だと言っても食べただろう。


 簡素な食事を終えた二人は湖の底の工房へと足を運んだ。

「驚いたか? そう言う魔法だ、俺が良しとか入れと言えば、客は何の苦も無くうちへ入れる。俺がしとか帰れと言えば、強制退去だ。分かり易いだろう?」

「ええ、大変おどろきました」

 テントの主の言葉には全く驚きの色が無かったが、泉の精はそういう事にした。

 泉の底の工房は水の中で燃える不思議な窯や、見た事のない様な色の光る金床、金鎚だと一目で分かるもののどこか物理法則を無視した造りの代物があった。

 泉の精は興味を示すテントの主の腕を測り、体幹を測りつつ自慢話気味にこれらの代物の持つ逸話を話した。テントの主はやっぱり驚きの色を示さなかったが、その表情は嬉しそうだった。

 そこからは泉の精も慣れたもので、トンテンカンと猛スピードで魔法の様にテントの主に相応しい長さの剣を造って見せた。彼女の経歴そのものの様に、まるでおとぎ話に出てくるような綺麗な剣だった。

「さささ、俺の目の前で腰に佩いて抜いてみてくれ」

 久しぶりに自分の本分を思い出したのだろう、泉の精は嬉しくてたまらないと言った様子でテントの主に催促をした。

 しかし、テントの主に剣は抜けなかった。

 テントの主は焦りの色こそあらわにしなかったが、心中は気が気でなかった。心傷つき立ち直った女性が自分の為に心を砕き、技を尽くしてくれたのだ、剣が抜けないなんて事は絶対にあってはならない。

「おい、どうしたんだよ?剣を抜いておくれよ。お前の身体にぴったりに作ったんだ、これまでの剣とは違う、俺が気に入って造った最高の剣だぞ。絶対に合うって、合わない筈がないんだ……」

 テントの主は剣が抜けない旨を口にしようとしたが、言葉が喉から出なかった。ここで自分が剣に相応しくないと口にしたら、彼女を傷つけてしまう。息を大きく吐いて、吸い、握る手に力を込めるが、剣は何も言ってくれない。

「抜けよ! 抜けって言ってんだろ! 俺の剣が抜けないって言うんなら、それなら……帰れよ!」

 泉の精がそう言った瞬間、テントの主は突風に吹かれたような、水に背中から落ちたような感覚に襲われ、湖の底から元居たみさきへと吹き飛ばされた。腰に佩いていた剣は失せ、泉の精の居た形跡はどこにも無かった。


 もう何もかもダメだ。おしまいだ。俺の居場所は人界のどこにも無い。せっかく心から剣を造りたい人間が見つかったと言うのに、自分は役立たずのお払い箱だ。

 最早俺は人界のどこにも居る意義は無い。どこでもない湖は文字通りどこにもなくならねばならない。

 形而下けいじかであり形而上けいじじょうであり半導だった俺の肉体は泡となって湖に溶け、完全なる形而上存在になりつつあった。俺の身体だけでなく、この湖自体もだ。俺達の居た場所はただの湖になり、俺達はどこでもなくなった。

 最後のあの人間には悪い事をした。悪いのは俺であって、あの人間ではない。俺の役目が終わったのはハノイの戦いが終わった時に疾うに分っていたはずなのに、それを理解出来ていない振りをし続けていた俺が全て悪いのだ。

「ごめんな、俺の存在がお前の傷口になっちまった…」

 指が溶け、腕が溶け、胴体が溶け、頭部も溶けて、俺は俺の全身が溶けていくのを自分で看取った。


 * * * 


 どこでもない島に一人の少年が居た。島の真ん中にはただ塔があり、塔の他には何もなく、ただただ空と見果てぬ地平線とだけがあった。

「おうおう、なんだ? そこに御座おわすのはバカ王子殿どのじゃないか」

 そう後ろから話しかけられ、バカ王子と呼ばれた少年は振り返った。

「義姉さん……」

 バカ王子と呼ばれた少年は、べらんめえ口調の女性に対して申し訳なさ半分、驚きや嬉しさが入り混じった表情を浮かべた。

「全くこんな訳分からねえ場所にまで逃げやがって……お前、地球の表側だと居た痕跡が完全に無くなってたから実在を疑われているぞ?」

「うん、それについては本当に申し訳ないと思っている。それから義姉さんが僕にくれた剣の事も本当に済まなかった。ただ僕も、僕が力になれるような事が地球の表側で起こったら助けに行く積もりだったんだけど…」

「『僕が助けに来てくれると信じている人達が頑張っていて、結果として僕が出ると逆に彼らの侮辱ぶじょくになる』だろ? お前は本当に千年経っても変わらないな、それだから陛下陛下と心酔している家臣に刺されんだよ!」

 バカ王子と呼ばれた少年はべらんめえ口調の女性に言われるままで、申し訳なさそうに黙り込んだ。

「はいはい、昔のジメジメした話はこれっきり! 聞いたら驚くぞ? 義姉ちゃんな、実は地球の表側で本当の本当に最高の最高傑作を造ったんだ。注文通りのオーダーメイドじゃなくて、義姉ちゃんが造りたいように造った唯一の作品でさ……」

 そう語るべらんめえ口調の女性は、憂いも無く、悲しみも無く、嘆きも無ければ苦しみも無い、まさしく祝福を受けた楽園の住民の様だった。


 * * * 


「どうだい、青年。私の話は正しかっただろう?」

 街の角で手品師が旅人に話しかけた。

 手品師はクラシカルな魔術師の格好をしており、過去にそこの旅人に湖の精の噂話を吹き込み、興味を煽るよう仕向けていた。

「ええ、あなたの話は正しかったです。ところで、あなたは彼女の事を知った風に話していましたが、彼女が何者なのか、彼女に何が起こるか全て知っていて私に話を持ちかけました。そんな事はありませんか?」

 手品師は悪戯いたずらっぽく微笑ほほえんで青年に答えた。

「さあ? とんと分かりませぬな。私はただの、脱出の奇術が得意な、宮仕えの経験があるだけの手品師です故」

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