第六夜『虞美人そうそう-Requiem-』

2022/05/16「部屋」「やかん」「激しい城」ジャンルは「ミステリー」


 ヤカンが鳴って、お湯が沸いたのを知らせた。私は早速即席焼きそばにお湯を注いだ。

 一見居心地の良い客間だが、ここから見えるのは一面暗い海、例えばレジャー用の帆船なんて物は見えない。聞こえるのはと不快な波の反響音はんきょうおんだけで、ここは私にとって座敷牢ざしきろうのように感じられた。

 このホテルー虞美人草荘ぐびじんそうそう―は今、煮詰まっている。無論、悪い意味でだ。

 故に今宵人が死ぬ。それがこのホテルのいわれであり、うわさだった。無論そんな事実はどこにも無い。

 このホテルに泊まりに来ている客は缶詰に成りに来た小説家や放送作家、趣味の悪い倒錯者やら配信者、その他怖い物見たさの物見遊山だ。

「ダメだ、オチが思い浮かばん」

 私はこのホテルの利用者としては前者だった。メリットだけ抽出した場合、このホテルは気が散る要素が少なく、それでいて刺激や居心地の良さと悪さを兼ね揃えている。言うならば、立派で惨めなミザリー居心地の良い針のむしろの旅館と言ったところか。

 そもそもここは立地条件が最悪だ。領海内の孤島に位置し、電気や電話は通っているが船は週一、ヘリポートはあるが一度も使われていない。ついでにマトモに電波が通っているのはロビーや談話室のみで部屋一つ一つは意図的に電波が弱くされていると来ている。

 閉鎖空間に宿泊してみたい。自分を追い詰めたい。そう言った願望を叶えるのがこのホテルのありようと言えるだろう。

 即席焼きそばを湯切りし、ポテトサラダとかつお節とケチャップと青のりとマヨネーズをぶちまける。ぐちゃぐちゃと色が汚くなるまで混ぜて啜る。うまい。一皿千五百キロカロリー也。

 えりを正して美味いフランス料理のコースを食べるのは良い経験だろう。しかし、人生に必要なのはフランス料理ではなく刺激しげきだ。毎日襟を正してフランス料理のコースを食っても、それは良い経験でも良い刺激でもなくなる。それはこのホテルもそうだ。

 故にこのホテルは閉鎖空間を提供し、そしてついでに死んだ人間がどーの、人が良く死ぬとか云々と噂を付け合わせているのだろう。悪い意味で煮詰まった人間に刺激を与え、良い意味で煮詰める。それがこの虞美人草荘の本意なのだ。

 しかし、私はこの数日の間で、この閉鎖空間にすっかり慣れてしまっていた。

 最早今の私は生きていない。死んでいないだけで、生きていない生ける屍だ。

 今思うと、虞美人草荘にまつわる事実無根の噂はこうして生ける屍となった人間が泊っている事から、面白半分で利用客が言いだした冗句ではないのだろうか? そう考えれば腑に落ちるし、何より私ならそうする。

 くだらない事を考えていると、先程の非常に体に悪そうな食事が悪かったのだろう、胃の調子が良くない。胃薬をコーラで飲み干す。これ即ち最強の二人、このタッグなら胃荒れ知らず、私はこれであと十年は戦える。

 そう口ずさんだところでコーラを飲んだせいだろうか、満腹中枢がレッドアラートを鳴らす。私は口をすすいで歯を磨き、画竜点睛を欠いた原稿を放り出して横になった。

 ザアザアと波の反響音はますます大きくなって響いていた。


 胸騒ぎがする。この不調は決して暴飲暴食のせいじゃない、私の胃は今コーラと薬が効いて快調だ。しかし体中汗まみれで寒気がする。

 ザアザアと、潮騒しおさいがまるで浜辺に居るかのように聞こえる。違う、私が潮騒だと思っていた音は潮騒ではなかった。

 潮騒の様な音を鳴らしながら、影がぬるりと部屋へ入り込んできた。文字どおり影が、だ。

 私は釘付けになった様に動けずに影を見ていると、影達はみるみる内に潮騒の様な足音を立てながら私を包囲し、同じく潮騒の様な音で話しかけてきた。

「迎えに参りました、同志よ」

 何の事か分からなかった。この影人間達は私を自分達と同じ影人間と認識にんしきしているのか?それとも私が影人間と認識しているこいつらは私と同じ人間なのか?

「両方です、同志よ。我々は元人間であり、今は神々と呼ばれる存在となっています」

 影人間達が私の思った事を言い当てて言った。なるほどこいつらは神であるのは狂言で無いのかもしれない。

「しかし神々よ、私が同志と言うのはどう言う事だ? 私は神々の様になるのか? そもそもあんた方は何の神なんだ?」

「お答えしましょう。あなたはこのホテルに宿泊し、要件を満たしました。故に我々と同じく苦しむ作家の神として、作家の地獄へ行くのです」

 影人間達は私に対して、まるで食堂へ食事にでも誘う様な口調でそう告げた。

「苦しむ作家の地獄? なんで私が殺されて地獄へなんて行かないといけないんだ!」

「それは違います、あなたは生きたまま我々苦しむ作家の神々の列に加わるのです」

「冗談じゃない! 私はまだあの世へ行くつもりは無いぞ。大体なんで地獄へ勧誘をして、さも受け入れられる様な調子でいるんだ?」

 その質問に、影人間たちは疑問を投げかけられるのは当然。そして、受け入れられるのは当然と言わんばかりに滔々とうとうと説明を続けた。

「あなたは我々を受け入れます、何故なら我々はあなただからです。我々を受け入れなかった場合、あなたはこのまま現世で人生を全うするか、或いは我々でない我々に苦しまない作家の神々の一員として作家の天国へ連れていかれます」

 苦しまない作家の天国? それこそ願ったり叶ったりではないか、私は影人間達へ苦しまない作家の天国へ連れて行くよう懇願した。

「よろしいのですか? 作家の天国へ行ったら、あなたは未来永劫永遠に苦しむ事は無く、生みの苦しみも、創作の不調も、誰からも作品を作る様促されことも無く、延々と酒池肉林で満ち足りて暮らす事になります。逆に、我々と供に作家の地獄へ落ちたのならば……」

 影人間達の口が笑って見えた。私には確かに笑って見えた。


 このホテルー虞美人草荘―は今、煮詰まっている。良い意味で煮詰まっている。

 このホテルは宿泊客がよく自殺するとか、利用客は専ら缶詰にされに来た作家ばかりだとか、生ける屍が宿泊しているとか、行方不明者が頻出ひんしゅつするだの、地獄じごくの入口へとつながっているとか言われている。

 このホテルで自殺者がよく出ると言うのは真っ赤な嘘だ、事実無根だ。それでも虞美人草荘にはそう言った噂が止む事は無い。火の無い所に煙は立たぬ。

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