第35話 女王様への埋め合わせ

「許さないわ、絶対に」


「そのスタンガンをカバンにしまえ!」


「スタンガンじゃないわ乙女の秘密よ。言ってみればつけまつげのたぐいと同じ物です」


「化粧品と非殺傷系個人携行兵器は同類じゃねぇんだよなぁ!」


 優雅なクラシック曲が流れる午前のロッシュ店内。

 その一角にあるテーブル席の対面で物騒な物を掲げる大瑠璃に、俺はソファー席から腰を浮かせた状態で必死に説得を試みていた。


「私というものがありながら、あっさり別の女と一緒になるなんて。まったく信じられない楠木君ね。万死に値する蛮行よ。言い訳があるのならまだ喋れる内にしておきなさい」


「だ、だから! それについては今しがた事情を説明してやっただろうが!」


「……ええ、そうね。なんだか期せずして敵に塩を送ってしまったようなものだから、私にとってははなはだ面白くない話ではあったけれどね」


 じりじりとスタンガン片手ににじり寄ってきた大瑠璃は、そこでようやく気を鎮めたらしい。

 渋々ながらも右手のブツをカバンの中に収めてくれた。

 やれやれ、つくづくおっかない女王様だ。


「それにしても迂闊うかつだったわ。まさかあの紫藤君が、実は紫藤だったなんて。道理で最初に彼女の私服姿を見た時におかしいと思ったのよ。あんないかにも可愛らしい見た目の子が男の子のはずないものね。その上まさか……あなたと彼女の間にそんな過去があったなんて」


 あの後。

 天音と無事に和解した後に、その一報を入れようと俺は大瑠璃に電話を掛けた。

 そこで、ひとまずは天音が無事だったこと、しっかりと仲直りができたことを伝えた。

 その他の詳しい話は後日、大瑠璃への埋め合わせも兼ねてすることになり。

 そして今日、期末テストの二日目を明日に控えた日曜日。

 朝からロッシュで待ち合わせをした大瑠璃に事の経緯を説明し、今に至るというわけだ。


「こんなことなら、一昨日あんな風にあなたを焚きつけるんじゃなかったわ」


「そう言うなって。あの時のお前の一喝があったから、俺は大切なものを取り戻すことができたんだ。本当に、お前には感謝してる。ありがとう、大瑠璃」


「ふんっ、嬉しくない。そんな感謝の言葉だけ貰ったって、ちっとも嬉しくないわよっ」


「い、いや、だから今日は、こうして埋め合わせのためにお前に付き合ってるだろ? ほら、今日は俺のおごりなんだ。コーヒーだけじゃなくて、何でも頼んで良いんだぞ? な?」


 俺はぷくーっ、と頬を膨らませてぶすくれる女王様をなだめすかす。

 Tシャツに腰高のデニムパンツと、今日も今日とて見た目だけならクールで大人な感じなのに、拗ね方は完全に子どものそれである。

 しばらく不機嫌そうにそっぽを向いていた大瑠璃が、やがてポツリと呟いた。


「……イチゴパフェ」


「おう」


「大きいやつよ」


「わかった」


「あーんして食べさせて」


「それは自分でやってくれ」


 高校生にもなって一人で食事も云々うんぬん、とか言っていたのはどこのどいつですかね、まったく。

 ふてくされる大瑠璃の姿がなんだか段々愉快に思えてきて、俺は苦笑した。


「それで? その肝心の紫藤君、もとい紫藤さんはその後どんな様子なのかしら?」


 いつも通り寡黙にカップを拭いていたマスターにパフェを注文すると、大瑠璃が聞いてくる。

 口では敵だの何だのと言ってるけど、なんだかんだでこいつも心配していたみたいだな。


「俺も一昨日の夕方に別れたきりだけど、電話した限りじゃ特に変わりないみたいだったぜ? 浅間たちにやられた傷の治療も大体終わったって言ってたしな」


「そう。まぁ、大きな怪我がないのはなによりね」


「一昨日のこの店でのことを話したら、あいつもお前に感謝してたよ。今朝電話したら、自分も直接お礼が言いたいからあとでロッシュに顔を出すって……」


 カランコロンッ。

 不意に耳に響いたドアベルの音色に、俺は店の入り口に視線を向ける。


「いらっしゃい」


「ど、どうも」


 恐る恐る入ってきたのは、白い半袖シャツにグレーの矢絣やがすり模様の膝丈スカート、つまりは帆港学園指定の夏用制服に身を包んだ女子だった。

 休日で、しかも部活動もない試験期間中だというのに制服着用とは妙な奴だ。

 一体どこのどいつだ、と思っていたら。


「あっ! よ、よかった。このお店で合ってたみたいだね?」


「え……天音、か?」


 なんと、つかつかと俺たちのいるテーブル席に近寄ってきた制服女子は天音だった。


「おはよう、碧人くん!」


「お、おう、おはよう。体の調子はどうだ?」


「大丈夫! 怪我の方はもうなんともないよ」


 席を立って出迎えた俺に、天音がコクコクと頷きを返す。

 まだ所々に絆創膏やガーゼといった治療の痕跡が見えるものの、それ以外はたしかにいたって健康体のようだった。

 前々から思っていたけど、こいつもなかなかタフな奴だよな。


「っていうか、その夏服はなんだ。いつもの学ランはどうしたんだよ?」


「ああ、これ。それが、実は発注ミスがあったとかで、今までなかなか帆港の制服が届かなかったんだけどね。昨日になってやっと一式届いたんだよ。それで、どうせなら碧人くんに一番にこの制服姿を見せたかったから、その……着てきちゃったっ」


 言って、天音はくるりとその場で一回転して見せた。

 後頭部でまとめ上げられた黒髪と、グレーのスカートがふわりと風に舞い上がる。

 ついでに、シャツを押し上げる豊満な胸もたぷんっ、と揺れる。


「ね、どう? 僕の夏服姿、似合ってる?」


 あざてぇ! なにこいつ超あざてぇ!

 ちくしょう、そんなんバチクソ似合ってるに決まってんだろ!

 マジかよ、このあざと可愛い僕っ娘俺の彼女なんですけどぉ!

 ……と、あたり構わず叫び散らしたい衝動を鋼の精神で押さえつけ。

 俺はあくまでも理性的に、シンプルかつ短い感想を述べるに留めた。


「めっちゃ興奮する(とても似合っているよ、ハニー)」


「ふぇ!?」


 あれ、おかしいな? 

 セリフと心の声が反対になってしまったゾ?


「……すまん、つい本音が」


「い、いや、いいんだよ。それだけ、うん……似合ってるってことだもん、ね?」


「ああ、似合ってる。前の私服姿も似合ってたけど、制服姿もなかなかかわ──」


「オッホン!」


 言いかけた俺の言葉を遮り、大瑠璃が咳払いと共に着席を命じる。


「二人とも、とりあえず席に座ったらどうかしら?」

 

 さっきからしきりに指でテーブルを小突いているのを見るに、どうやら女王様は放置されてご立腹あそばされているご様子だ。

 しまった、せっかくイチゴパフェで少し機嫌が直っていたというのに。


「そ、そうだな。まぁ、ひとまず座って何か頼めよ、天音」


 俺はいそいそと天音をボックス席の奥側へ促し。


「楠木君? あなたは当然よね?」


「へ?」


 自身も天音の隣に腰かけようとしたところで、ストップがかかる。

 見れば、大瑠璃が自分の隣の座面をポンポンと叩きながら、蛇のごとき眼光で俺を睨んでいた。


「え……っと?」


「どうしたの? 早くしなさい」


「……はい」


「え……碧人くん?」


 仕方なく大瑠璃の隣に座ろうとすると、またまたストップがかかる。

 見れば、天音が留守番を言いつけられた飼い犬のような目をしながら、俺に向かって小さく手を伸ばしていた。

 口でこそ言わないものの、目だけで「……行っちゃうの?」と訴えてくる。

 なんだ? なんなんだこの状況は!?

 たかが座る席を決めるだけでなんだ、この謎の緊張感は!?


(ど、どうする? いや、これもうどっちの隣に座ってもアウトなんじゃないか?)


 やばい、完全に詰んだ! もうどうすりゃいいんだ!

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