第32話 「私」が「僕」になった瞬間

※このエピソードは、ヒロイン視点の過去回想です。

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 憧れの彼には、恋人も、気になる女の子もいないという。

 そして、こんな自分のことを「俺にはもったいないくらい」とも言ってくれた。

 僕っ娘というのが何なのかはよくわからないけれど……。

 なら……それなら、もし自分がその「僕っ娘な女の子」になりさえすれば。

 彼は、振り向いてくれるのだろうか。


 卒業式を境に綺麗さっぱり終わるはずだった初恋は、それどころか明確な目標を得たことで、さらにその想いが加速していった。

 だから、地元の私立帆港学園へ進学した彼と別れ、同じく地元にある女学院に入学してからというもの、徹底的に僕っ娘について研究した。


 書籍やネットで概要を調べるのはもちろん、実際に僕っ娘な女の子のキャラクターが登場する漫画や小説、アニメ作品などにも目を通した。

 中学時代、彼が昼休みによくスマホでプレイしていたらしいゲームもインストールした。

 半年ほどかけて知識を蓄えた後は、いよいよ日常の中でそれを実践していった。

 言葉遣いや立ち居振る舞い、身にまとう雰囲気に至るまで。

 少しでも自然体な僕っ娘に近づく為に、それらを少しずつ自分の中に定着させていった。


『わた……いや、は……そう、


 憧れの彼のために、「私」が「僕」になった瞬間だった。

 けれど、この時はまだ知らなかった。

 自分が一生懸命にやっていることが、周囲の人間からはどんな目で見られていたのかを。


『自分のこと「僕」って言うとかさ、痛すぎでしょ。中二病ってヤツ?』

『そんなのが可愛いとでも思ってんの? バーカ、キモオタしか寄ってこないっての』

『メンヘラアピールに必死なところ悪いけど、それ、気持ち悪いだけだから』


 それからの半年の学校生活は、地獄のような毎日だった。

 色々な人から色々な事を言われて、色々なことをされた。

 そのうち何人かの素行の悪い生徒に目を付けられたことを皮切りに、いじめは更にエスカレートしていった。

 それでも……僕っ娘になりきることだけは絶対に止めなかった。

 いつか彼の理想の女の子になって再会を果たす日を夢見て。

 それだけを心の支えにして、耐えて、耐えて、耐え抜いた。


 ※ ※ ※ ※


 転機となったのは、高校一年の三月。

 僕っ娘になりきるのもすっかり板についてきて、


(そろそろ、彼に会いに行ってみようかな……)


 なんて考えていた自分にとって、あのはある意味では良い機会だったのかもしれない。

 普段から生傷の絶えない様子を心配していた家族は、病院に連れていかれた自分の額の火傷を見て、さすがに「もうダメだ」と思ったのだろう。

 その日の晩の家族会議で、女学院からの転校が決まった。

 転校先は、もちろんあの学校以外考えられなかった。


 しかし、そこでまた、自分の中の臆病な自分が顔を出した。

 高校生活最初の一年間、ただひたすら僕っ娘な女の子になることだけを目標に過ごしてきた。

 どんなに迫害されようとも耐え抜いて、ようやく目標に手が届きそうな所まで来た。


(だけど……彼はまだ、僕っ娘な女の子が好きなままの彼でいてくれてるのかな? 高校生になって、好きな女の子のタイプも変わっていたらどうしよう?)


 この一年間の努力が全てムダになるかもしれない。

 そう考えると、とてもじゃないけれどいきなりこのままの姿で彼の前に現れる勇気なんてなかった。


(……確かめないと)


 だから、「過去にフられた女の子」ではなく、まずはあくまでも「転校生」として彼と再会することにした。


 彼の僕っ娘への思いが以前と変わらないものであることを確かめてから、頃合いを見計らって正体を明かすことにしよう、と。


『楠木碧人だ。こっちこそ、これからよろしくな』


 一年ぶりに再会した彼は、あの頃と少しも変わってはいなかった。

 あの頃よりもかなり身長が伸びていて、声もいくらか低くなっていて。

 だけど、転校早々に肩身の狭い思いをしている自分にそう声をかけてくれるような、そんな優しい彼のまま。

 そして、何よりも。


『俺はな、僕っ娘な女の子が好きなんだよ』


 彼が廊下でそう叫んだ時は、自分こそ嬉しさのあまり叫びだしたくなった。

 今まで必死に頑張ってきたことが無駄じゃなかったと分かったのが嬉しくて、あの時は整えても整えても頬の緩みが収まらず大変だった。


 憧れの彼は──僕っ娘な女の子が好きな、あの頃の彼のままだったんだ。

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